「観覧車に連れられて」

繭墨 花音

第1話

 この観覧車には、ある都市伝説があった。


 街の中でも大きなデパートに設置されており、それなりの高さもあることから景色も良く、地元民に愛されている。長く親しまれている観覧車は、ちょっとした街のシンボルだ。営業時間は夜9時まで。というごく普通の観覧車に、不思議な都市伝説が囁かれていた。



 営業時間ギリギリの午後8時59分59秒にゴンドラに足を踏み入れると、異世界に飛ばされるという。



 そんな都市伝説を思い出して、私はこの状況にとりあえずの理由をつける。


 確か、観覧車に乗ったのだ。時間は確認しなかったが、夜だった。

 そういえば、「時間ギリギリだけど乗せてあげるよ。でも一人で乗るんか?寂しいなぁ」と係員のおじさんに言われた気がする。

 まさか...と腕時計を確認すると、針は8時59分59秒を指したまま止まっていた。


「...わけわかんない」


 ほんとに、最悪だ。

 仕事でちょっと成績が落ちて上司に小言を言われて、気晴らしに観覧車に乗っただけだというのに、係員のおじさんには同情されるし、昔の自分を見せつけられるし。


 私は、実家にいた。だが〈今の〉実家ではないようだ。家具の配置や物の劣化、今ではあまり見ないような種類のおもちゃが目につく。

 そして、居間でくつろぐ若い母と小さな私。


『あのね、参観日のことなんだけど...』


 母が子供の私に戸惑いがちに言う。あぁ、と頷く。


 これは参観日前日の記憶だ。


 明日の参観日を楽しみにしながら、上機嫌で宿題をする私は、小学二年生のはずだ。自分の夢を発表する授業で、母に見てもらいたくてたまらなかった。


『明日、どうしても外せない仕事が入って...』


 どもる母に、言葉をすぐ理解できずにポカンと口を開ける私。


『ごめんなさい...』


 しっかり誠意を込めて頭を下げる母。だが、私は許せなかった。持ってた鉛筆を勢いよく投げ捨て立ち上がる。


『なんで!来るって言ってたじゃん!』


『ごめんなさい、急に仕事が...』


『仕事の方が大事なの!?』


 子供の私には仕事の大切さなんてわからなかった。働いている今だからこそわかるし、わからなかった理由もわかる。もちろん、母が何も言い返さなかった理由も。


『もう知らない!ママなんてだいっきらい!!』


 子供の私はそう叫んで家を飛び出した。外は雨だというのに。


 だいっきらいという言葉にショックを受けたのか、母はしばらくその場で唖然としていた。そしてハッとしてすぐ外に出たが、私の姿はなかった。

 

 小さな自分は確か、公園に行くのだ。そこで馬鹿みたいに怒りながら滑り台や砂遊びをする。私は追いかけるまでもないと判断し、その場に残った。


 母がどうしようと呟きながらオロオロしていると、ちょうどサラリーマンの父が帰ってきた。そういえば父が私を探しに来たな、と思い出す。


『あなた! 今あの子が飛び出しちゃって...』


『飛び出した? こんな雨の中かっ? 早く探しに行かないと何かあったら...、どうしてそんなことになったんだ』


 父の、少し威圧的な声に驚く。彼は普段とても温厚で、怒ることも攻めることももちろんほとんどなかった。母は泣きながら事情を説明する。


『明日の参観日...行くって言ってたけど行けなくなって...、仕事が入ったの。それであの子が怒って...』


 だいっきらいって言われたの。


 ぽそりと漏らした声は、雨音に掻き消されそうなくらい、細かった。


 父は少し考えるように目線を落とし、わかったと頷いた。


『母さんは家に残っていてくれ』


『えっ...』


『私が探しに行くから。その間に職場に電話して仕事の休みを取りなさい』


 父の物言いには有無を言わせないものがあった。だが、大丈夫だからと困惑する母をなだめる。母はしぶしぶ頷くと家に入り、父は私を探しに駆け出していった。


 母は私が心配なのだろう。心ここにあらずといった状態だった。だが涙をぬぐって自分を奮起させるように頬に平手をかます。


 そして迷わず職場に電話をかけた。謝罪の言葉を何度も口にし、何度も頭を下げ、必死に明日の参観日に出席できるよう頼んだ。そうしてようやく上司を説得できたようだ。パァっと明るい表情を見せると、お礼の言葉を早口で幾数も重ねた。


 電話が終わると、よしっとガッツポーズをする母。私は一部始終を驚きながら見ていた。実は、母が休みを取ったということを知らなかったのだ。


『ただいまー』


 陽気に間延びした父の声に、母は即座に駆け出す。玄関には、父と手を繋ぎ、ずぶ濡れで拗ねた私がいた。母は自分が濡れるのも構わず私を抱きしめた。


『どこに行ってたの!こんなに濡れて!』


 母はまた泣き出した。声だけは一応怒っているが、安心したのか沢山の涙を流しては強く抱きしめている。


『...ん?』


 私を抱きしめていた母が怪訝そうな顔をする。そして私の額や首に手を当て、驚く。


『熱がある...!』


 そう、私は熱を出してしまった。

 結局学校にはいけず、一日寝込むことになったのだ。


 参観日...寝込んでいた日は、母がつきっきりで看病してくれた。仕事があるって言ってたじゃないかと子供の私は内心毒づきながら、母にめいいっぱい甘えていた。


 参観日は行けないけど、私が病気なら仕事を休めるのんだと、この時に学習していた。だが違ったみたいだ。

 母は休みを取れたことを言わなかった。もし言ってしまったら、私が意地でも学校に行くかもしれないし、そうでなくても酷くがっかりしたのは間違いないだろう。母が配慮してくれた結果のようだ。


「ふふっ...」


 私が笑みをこぼすと同時に、ガタンと周りが揺れた。思わず身構えると、私はいつの間にかゴンドラの中に戻っていた。


「お疲れ様でしたー」


 どうやらさっきの揺れは係員がドアを開けた衝撃のようだ。私はとりあえずゴンドラから降りる。余計なお世話をやいたおじさんを見て、現実世界に戻ってきたのだと、少し息を吐き出した。


「ありがとうございました」


 私は頭を下げて、その場を去った。





 都市伝説。

 信じるには値しないが、無視するには気が引けるような、そんな話。


 人から人へ伝うたび、少し変貌したようだ。


「異世界じゃなくて、過去だったんだ」


 私の呟きは、闇夜に消えた。







 end



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「観覧車に連れられて」 繭墨 花音 @kanon-mayuzumi

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