世の青春小説には青春小説としての手触りがあり、読んだ者はそれがある種の「青春」を描いた作品なのだとすぐに解る、と思う。この作品も例に漏れず、最初の一文目から「ああ、自分はこれから誰かの青春を観るのだな」と理解させられた。しかし、それを我が事のように、自分自身の青春のように追体験できようとは思わなかった。読み進める内に、この作品には「知らない誰かの青春」が描かれているのではなく、紛うこと無き「自分自身の青春」が描写されているのだと気づく。登場人物たちは皆、あの頃の私達がそうであったように壁にぶつかり、壁に悩み、壁と戦っている。彼らが壁を打ち倒せたかは、ここで明らかにすべきではない。私達が私達の壁を乗り越えられたように彼らも壁を壊せるかもしれないし、私達が私達の壁を前に立ちすくんだように、彼らも壁を背に座り込んでしまったかもしれない。そこは是非このレビューを読むあなた自身で確かめて欲しい。読後、あなたは「こんな風にうまくいくわけがないだろう」と笑うだろうか。「こんな風に苦しむことなんてないのに」と呆れるだろうか。彼らの青春のひと時がどのような区切りを迎えるにせよ、しかし確かなことが一つだけある。これは少年少女の、小さくて大きな前進の物語なのだ。かつての「私」や「あなた」が綴ったような。