3日前

「お、やってるねぇ」

「……来たんすか……」

と、僕は飛び退いて強く打った背中をさすりながら立ち上がった。

「何回転げてんの。あれだな、ミヤはホラーゲームとか出来ないタイプだな」

「べつに幽霊やらゾンビやらは怖くないですけど」

「驚き耐性がなさ過ぎるってことだよ」

何も言い返せず、僕はもう一度マイクの前に立つ。

「追い出す?」

と、ヒヨさんは首を傾けて聞いてきた。

「……黙っててください。音、撮ってますから。雑音が入る」

ヒヨさんはぼうっとした目のまま、口の端をあげて笑った。


綺麗な発声、綺麗な声、身体に無理のない歌い方。

色々な歌手を見て、色々な本を読んで、それなりに研究してきたつもりだ。自分の声も――最初は吐くほど気持ち悪く感じたが――とにかく聞きまくってトライアンドエラー。ついでに鼻炎持ちなので鼻炎の薬もとても大事。

努力の甲斐あり、かなり綺麗な、奥行きのある声が出せるようになってきた気がする。

……少なくとも練習では。

ヒヨさんはそんな僕の歌声を聞いているのかいないのか、無数のCDがぶら下がった壁を背にして、バンドスコアをぱらぱらやったり、校内持ち込み禁止のスマホをいじったりしている。

「……ヒヨさんも歌います?」

と、僕は聞いた。

「あー」と、彼女はスマホから視線を外して上のほうを見る。「それは遠慮しとこうかな」

「ヒヨさんも声、変わってますもんね」

「『も』が余計だな」

「そんな遠慮しないでくださいよ」

昨日あれだけ失礼なこと言われたので、こちらも軽口を叩きやすい。

「歌は好きだけどさ、まだいいの」

「まだって? あ! もしかして、軽音、戻る気だとか?」

ヒヨさんみたいな声の人がいれば、僕の声はいくらかマシに聞こえてくれるかもしれない、という期待がなくはない。が、ヒヨさんは少し間をおいて、

「戻りたい、ってわけでもないんだよねぇ」

と、言って壁に背をつけた。歴代のCD割らないようにそっと体重をかけて。

「じゃあもう、なんで、ここにいるんですか……」

初めて部室で会ったとき、この人は何をしに部室に来ていたのだろうか。

「なんでだろうね……なんか自分でもよく分からん。でも、ミヤがここにいたら、私もここに居ても良い感じがするんだよね。初めて会ったとき、楽しかったし」

人を暇つぶしのオモチャか何かと思っているのだろう。あるいは友達が少ないだろうから、相手をしてくれる僕が貴重な存在なのに違いない。

「はい! ではミヤくん! わたしはそろそろ退散いたします。ドロン!」

と、ヒヨさんは忍者よろしく両手で印を切り、たたた、と部室から出て行った。


入れ替わるように、大黒が入ってきた。

「……宮本、ちょっといいか」

「あれぇ! 珍しいなぁ!」余計なことは喋ってはいけないと思うあまり、不必要に陽気に返事としてしまう。「こんな早くにどうしたんだい!?」

「なんかキャラおかしくね? ……まあいいや、実は昨日、来栖から電話来てよ……」

「何か言われたの? リハのこととか?」

「いやそうじゃなくて」

と、大黒は困ったように笑う。

「なんだよ、勿体ぶらずに言ってくれって」

と、僕は言った直後に後悔する。

「来栖に、バンド解散しないか、って言われちまった」

陽気キャラを急造していたせいか、僕の絶望感は2割増しだった。


来栖は放課後になっても部室に来なかった。

練習もせず部室を占領するわけにもいかず、僕と大黒は、一旦誰もいない教室に戻った。

練習では一番主張が激しいくせに、気の小さいやつなのだ。

きっと言ったそばからバンドメンバーに会うのが気まずいのだろう。

「話をしないことには、何も分からないんだよなぁ。僕、なんも聞いてないし」

「ま、そのうち連絡あるさ。そのままないがしろにするようなヤツじゃない」

しかし、となると、

「……今日の練習はなしかな」

「そうだな」と、大黒は立ち上がって「じゃあな」と教室から出て行った。

1人取り残された僕は窓際の席へと移動し、頬杖をついて窓の外を眺めた。

1年生の教室は新校舎の3階にあるので、体育館やその隣にある2階建ての旧校舎が見下ろせる。

寂しさはあった。

しかし、やはりそれと同時に――

「なあ」

と、大黒が教室に戻ってきた。

「な、なに? 脅かさないでよ」

「いやいや、椅子蹴飛ばすほどか?」

と、大黒が半眼になって近づいてくる。

「何かあったの? 忘れ物?」

「……俺はな」と、大黒は神妙な顔をして言う。「入部してからここまでずっとやってきたんだし、せめて次のステージまではバンド続けたいと思ってる、俺は」

「うん、分かる。僕だってまともに歌えてないし、体育館で歌えないのももったいないし」

「歌えない、か」大黒の表情がちょっと曇る。「……じゃあ宮本、お願いがあるんだけど」

「なに?」

「お前、文化祭では、もっと普通に歌えよ」

「……え?」

僕はまたも虚をつかれ、一瞬頭の中が白くなる。

「なんか、お前の声、不自然なんだよ。確かに、俺らがやってるような曲に宮本の普段の声は合わないかもしれないけど、でも、それよりももっと自然にさ。最初にバンド組んだときくらいが一番、俺は――」

「いや、普通ってなんだよ。いいでしょ、僕の歌いたいように歌っても。とにかく、今日はもう――」

「待てって、まだ話は終わってねえ」

と、大黒は僕の前に立ちはだかる。

「……なに? 僕の声が無駄な努力の結晶だとか、そういうこと言いたいの?」

「んなこと一言も言ってねえし! 話そらして逃げんなよ」

大黒の語気が強くなるが、僕も負けじと言葉をひねり出す。

「来栖も……来栖のやめたい理由も、それってこと?」どうがんばったって声が震える。「僕の変な声が、気になるってことなんだろ?」

「そうじゃねえって……もっと自由に歌ってくれって来栖も言ってたんだよ。なんか今のお前の声、窮屈なんだよ」

何を言われても、どう説明されて、自分のしていたことを真っ向から否定されているように思えて、僕は、教室から逃げ出した。


日は傾き、薄暗くなった部室に電灯がついた。

何をしていいかも分からずウロウロしていた僕は、最終的にこの部室へたどり着いてしまった。

僕は過去の部員音源がぶら下がった棚に向き合って、一枚ずつ、CDをチェックしていく。

どのCDも真っ白い盤面に録音年、場所、それからバンド名と、そのメンバーの名前がマジックで書かれている。

そのCDは何枚ものCDの後ろに隠れていた。


《2016年 文化祭メイン フィールズ/原田陽世 薬師杏 山本凜音》


ちょっと異様なメンバーだ。

2年のエースこと薬師先輩は河野楽器主催のU-25ベースコンテストで入賞したほどの名手だし、凜音先輩といえば父親がプロサックスプレーヤー、自身もジャズドラマーとしてその業界では有名な天才女子高生である。

「その中に、ヒヨさんが……」

年季の入ったCDステレオにアンプをつなぎ、再生ボタンを押す。

音はあまり綺麗でなく雑音が多い。客席から撮っているらしい。

入りのSEは向井秀徳バージョンの「はあとぶれいく」。

センスが良い。

イントロが終わって歌が入った直後くらいから音がフェードアウトし、照明が上がる。歌が始まる。

重いドラムと歪んだギターの音に、浮遊感のあるエフェクトギターが鳴る。

やがて聞こえた歌声は、鼻につくような、雑音の多い、音程もお世辞にも合っているとは言いがたい声だった。普段のヒヨさんよりもっと汚いかもしれない。

でも不思議と聞かずにはいられない、その先を、未来を想像させるような歌声だった。

「しかし、人にツマランとか言えた口かよ、こんな声で」

と言いつつも自然と笑顔になってしまう。

何故か、僕自身も肯定されたような――。

と、


『ッたねえ声』


思わず振り向いたが、誰もいない。

一瞬遅れて、マイクが拾った部員の声らしいことに気がついた。

『エフェクトで誤魔化してんじゃねーよ』『あいつだけくっそヘタなのに、なんで杏とか凜音とやってんだろ』『2人、優しいんじゃね』『哀れみっしょ』『あるかも』

待てよ、お前ら、なんでそんなことが分かるんだ。

『はい音外した』『あ、今また』『練習しろやマジで』『はやく次のバンドなんねーかな』『俺もう出るわ、終わったら呼んで』『おっけー』

お前らは何様なんだ。一体なにを聞きにきているんだ。

『この前、またアンプ壊したらしいぜ』『あれだな、神様がもう歌うなって言ってんだよ、本人も薄々気づいてんだろ』『この前ので何台だっけ』『4つめだろ』『ここまでくるとウケるな』

偶然に決まってるだろ、馬鹿なのかよ、こいつらは。

『歌う価値ねえわ、やめろよ、もう。半年くらいやって分かっただろ』何がだよ。『偉そうな顔しやがって、バックがうめえだけで』偉そうに見えるのかよ、お前にはヒヨさんが。『ああいうやつがいるとヘタでも良いとか声汚くてもいいって思われるて迷惑なんだよね』

じゃあ今ついさっき、ヘタでも良いかもって思わされた僕は何なんだよ。

声汚くても良かったんじゃんって思わされた僕は何なんだよ。

終わらない陰口が、部屋の中をぐるぐると暴れ回っている。

僕はそれをなんとか止めるため、ありったけの声で叫びながら、CDステレオを床にたたき付けた。CDが飛び出す。

僕はそのCDを取り出し、真っ二つに割った。

その切り口で親指の付け根を切ったことには、部室を出る時に気がついた。

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