4日前
「なんだそれ。マンガみてえなバンソーコー」
「……ちょっとね」ちょっと歯形を隠しているだけだ。
「ふーん」
と、大黒は怪訝そうな顔でギターを担ぎなおす。厳しい残暑のせいか、その坊主頭にうっすら汗をかいている。
「来栖はどうしたの?」
「知らね。どうせ先に着いてるんだろ。あいつ基本30分前行動だし」
「だな」
遠くで聞こえていた演奏の音が、段々大きくなってくる。
ぼくらが目指すは体育館。
そこでは、文化祭メインステージのリハが行われている。
そのステージは俺ら初心者には持てあますくらいデカい。
用意された機材もなんだかデカく、部室にあるボロいのとは比べものにならないほどデカい音が鳴る。
音楽経験の少ない高校生風情には過ぎた舞台だ。
そして、ここが重要なのだが、部員は皆、短いながらも平等に出番が与えられる。
「もうすぐだから、最後の最後まで……」
僕は舞台裏でベースの指板に指を滑らせる。
「直前ぐらいリラックスしようや。宮本は練習やりすぎなんだよ。もうソコソコ上手くなってんじゃん、ベースも、歌も」
と言ってくれるが、お世辞なのが丸出しだ。
僕は不安で仕方がない。
最近は毎日のように、軽音楽部入部の時のことを思い出す。
我が軽音楽部では、入部時に先輩の伴奏で一曲歌うのが『儀式』になっている。
僕の番がきて、渾身の力でマイクを握って歌い始めた途端、先輩たちがざわつき、部内のエースたる薬師先輩に「ちょっと宮本君、そのへんにしとこうか」と、サビに行くまでもなく止められたことはショックだった。のど自慢でカネ一つで歌を止められるやつの気持ちがちょっと分かった気がした。「また機材壊されるかと思った」と呟いたやつもいた。
「いや、あれはみんな途中で止められてただろ。よっぽど歌えるやつ以外は」
「同情はやめろ! あれから僕は決めたんだよ……せめて誰にも邪魔されずに気持ちよく綺麗な声で歌えるようになろうと!」
「やる気があるのは良いことだけどよ」
「体育館ライブは音源にも残っちゃうしね。自分のヘンな声が残ると思うと、なんか、もう死にたくなる」
「そこまで言うほどかよ」
言うほどなのだ。
「あ、そうだ」と、僕はふと、大黒に聞いてみる。「なあ、大黒。ヒヨさんって先輩知ってる?」
「ああ、そりゃもちろん知ってるぜ。ってか知らないのかよ、『壊し屋のヒヨドリ』のこと」
物騒な二つ名がついている。しかも鳥?
「……なんで壊し屋なの」
「読んで字のごとく、なんでもかんでも機材を壊しちまったんだってさ」大黒は、まるで自分が現場に居合わせたかのように朗々と言う。「声を拾ったマイクはすぐに故障、アンプもスピーカーもみんなぶっとんじまう奇声怪人。口は拳が入るほどデカくて強靭かつ柔軟、喉と肺は金属製で、特殊な波長の声があらゆる機器を狂わせてちまうらしい」
「……そんな風には見えなかったけどな……」
「ん、なんだよ、見えなかったって?」
「ああ、いや」さすがにその人と朝会ったとは言えない。「大黒も馬鹿だな。そんな妖怪いるわけないだろ。で、そのヒヨドリは早くにやめちゃったんでしょ? そんな噂が出るくらいだから」
「ああ。まあ、確かにその辺は深く知らねえけど……」
「なんだよ急に歯切れ悪くなって」
「いや……なんていうか、変わった人だったんだろうな。一度でいいから聞いてみたいね、その歌声」
「うーん、まあ、そうだね。でも機材壊したのは流石にウソだろ」
「おい、お前ら、もう次だから準備しろ」
と、ドラムの来栖が短く叫んで、くだらない雑談は打ち切られた。
「おいテメ、大黒ァ! そこ走ってるッつってるだろが!」
と、来栖がドラムの手をとめて罵声を浴びせ、スティックよ折れよとばかりに乱暴に叩きつける。
同じタイミングで、メインステージ付きの文化祭実行委員からリハ終了が告げられた。
「……リハ時間、イントロで使いきってどうすんだよ」
と、僕は来栖を睨んだ。当の本人はさっきの罵声と打って変わって、申し訳なさそうに背中を丸めている。
「い、いや、すまん、つい……大黒もすまんな」
「つい、じゃねえよ、人格変わりすぎだよ、いっつも」
毎度のことなので大黒はさして気にしていない。
「いやなあ、だって、お前走ってんの、気持ち悪ぃし……」
「言うてお前も、そんな安定してねえじゃん。肩に力入りすぎ。そんなんじゃ大好きな凜音先輩みたいになれないぜ」
「な、お、お、別に俺はあんな風になりたいわけじゃ……」
「分かりやすすぎだな!」
どうでもいい。問題はそこじゃない。
「歌えなかったじゃないか……どうしよう……」
しかし、何故か安心している自分もいた。
僕はベースをケースに仕舞い、舞台を降りてすぐ横の扉へと足を向けた。
「宮本、ほかのバンドリハ見ないの? 凜音先輩たちの番だぜ、勉強になる」
と、来栖に言われたが、
「いや、うん、ちょっとね」
と、断り、僕は扉から中庭へと出た。
「……なんでちょっとホッとしてんだろ」
そんな独り言をつぶやきに来たつもりだったが、
「なんでホッとしたのかな?」
と、特徴のあるダミ声が返ってきて、思わず肌が粟立った。
「な、な、なにしてるんですか、こんなとこで……!」
「驚く度にいちいち後転しなきゃ気が済まないの? ミヤは」
僕は砂埃を払って立ち上がる。
「だって驚かすから……」
「驚かすつもりはないんだけどなぁ」
と、ヒヨさんは眠そうな目のまま、口角だけを少しあげて、裏声っぽくヒヒヒと笑った。
昨日、僕の鼻をかんだ歯がちらりと見えた。
「で、聞いてたんですか?」
「うん。でも、歌わなかったね。ざんねーん」
「来栖が、えっとドラムが、イントロで演奏止めちゃって進まなかったですから」
「ツマランだったねぇ」
「まあ、そうっすね。ベースは弾けましたけど」
僕は頭を掻いて、視線を逸らす。そして気になっていることを聞いてみる。
「ヒヨさん、って、軽音でどんな曲やってたんすか? パートは?」
「それは内緒かなぁ」
と、あえなくかわされた。
「そうっすか」
「ま、部活やめるひとなんてみんなおんなじ理由じゃない? あんまり面白くなくって、1年前に辞めちゃった。軽音自体おもしろくなかったしっ」
それを現役の部員がいる前で言うか。
「そっすか……でも、本当に先輩だったわけですね」
ヒヨさんは、コンクリートで作られた縁に座った。
「まあミヤも座んなよ」ぽんぽん、と隣のスペースを叩く。少し砂埃が舞う。
「はあ」
僕は言われるがままに隣に陣取った。そしたらヒヨさんは、
「ドラムやギターなんか放っといて、そのまま歌っちゃえば良かったのに」
と、言った。
バンドをやっていた人間の言葉とは思えない。
「……いや、それはありえないでしょ。バンドなんだから……」
「そこじゃなくない?」と、ヒヨさんは厳しく指摘する。「ミヤは、あんな声で歌いたくないから、ホッとしたんでしょ」
「ち、違いますって。歌い方はアレが一番良いんです、僕には」
「いーや、良くない。無理してる」
「無理してないです!」
「じゃあ何で怒ってるわけ?」
「それは……!」
僕は思わず立ち上がって、体育館の壁に手のひらをたたきつけた。
「お、なに、熱くなっちゃって」
「熱くないです。なんなんですかヒヨさん。僕がどんな気持ちであの歌い方してるかも知らないで」
「そりゃまあ、知らんけど」
さすがにこれはカチンと来た。
「……そんなんじゃ、軽音楽部いられないわけだ。協調性がない。人の気持ちが分からない。それじゃバンドなんて組めないですね」
そう吐き捨てて、僕はすたすたと歩き出した。
そんな僕に向かって、
「また、見に行っていい? 歌ってるとこ。気持ち、分かりたいから~」
と、ヒヨさんは言った。
良いとも悪いとも言わずに、僕はその場から逃げるように立ち去った。
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