第2話

その後もタカマさんとは家が近いこともあってバイトの後などにちょくちょくお宅にお邪魔しては、とりとめの無い話をしたり新しい小説の構想なんかについてもよく話し合ったりした。僕らの会合は時に深夜まで及ぶ事もあったが、相変わらずタカマさん宅では僕が持参した菓子はおろか茶の一杯すら出てくる事はなかった。


しかし今にして思えばこそ彼の対応は非常識なのかもしれないが、その当時の僕はタカマさんの知識や熟慮された考えを聞ける事こそが何よりの歓待だと思いこんでいた。僕は本当にタカマさんを師匠の様に慕っていたのだ。


ある日、いつもの様にタカマさんの家に伺うと彼は珍しくせかせかとパソコンに向かって小説を書いているようだった。僕は今更ながら少し緊張してしまった。というのも僕はそれまでタカマさんが小説を書く姿を見た事が一度もなかったのだ。何もタカタカマさんに限ったことではなく、人が小説を書いている場面などそう見れるものではない。


僕は彼の集中を害すまいとソッと部屋の隅に正座してしばらく息を殺していた。


タカマさんはいつも黒い服を上下に着ていたし酷い猫背だったので、まるで大きな穴がそこに座って揺れているかの様に見えた。秋の夕暮れ、静寂の中でキーボードを叩く音だけが小刻みにテンポよく鳴り続けた。三十分くらい静観していただろうか。突然、大きな穴に両手が生えて伸びをした後に深いため息をついた。


「お疲れさまです。ひと息入れたらどうですか?」


僕が出し抜けに自分の存在を主張しても、タカマさんは少しも驚いた様子がなかったので少しがっかりしてしまった。おそらく彼はすっかり気が付いていたのだ。


「やあキミ、来ていたのか」


しかし彼はそう言って何食わぬ顔で微笑んだのである。


「すみません、性懲りも無くまた押し掛けてしまって。執筆中でしたか?」


僕が尋ねるとタカマさんは首を横に振った。


「いや違うんだ。小説を書いていたんじゃない。これまあ‥副業だよ」


「副業?」


「そうとも。昔からの知り合いにウェブライターの斡旋をやっている人がいてね。時々こうして仕事を貰っているんだ」


「へえ。ライターというのはお金になりますか?」


タカマさんはうーんと首を捻って考える顔をした。


「どうかな。今の私は一文字一・五円換算で、大体一度に五千文字程度の依頼がくるからね。上手くいけばひと仕事七、八千円てところかな」


「へえ。結構もらえるんですね。割の良い仕事じゃないですか」


僕がそう言うとタカマさんは顔をしかめた。


「そうでもないよ。基本、納期は絶対厳守だし駆け出しの新人でなくとも一文字一円以下なんて当たり前だよ。私の場合は結構歴が長いし納期だって必ず守っているからね」


「それでも、文章を書いてお金がもらえるんだから良いことじゃないですか」


「キミ、少し考えが甘いようだね。ライターは小説家とは違う。好きな事を勝手に書いてネットに上げてるのとはワケが違うんだ。ちゃんとクライアントからの指示通りに記事を書かなきゃいけないんだよ」


僕はなんだかこの話題に居心地の悪さを感じていた。


「そうなんですか」


「これっぽっちも知らないレストランをベタ褒めする記事を書いたりしなきゃいけないんだよ?小説家にとって、これが苦痛以外の何であると思うねキミ」


なぜか自分が謝らないといけない様な気がしてきて、僕はひどく申し訳ない気持ちになっていた。


「よく知りもせずに軽率な事を言ってしまいました」


「いや良いんだよ。この大変さは、経験した者でないと解らないだろうしね」


僕が潔く謝るとタカマさんはさも満足そうに頷いてみせた。多分僕はこの時初めて彼に対し、少しだけイラつきをおぼえたのかもしれない。


「まあ私も偉そうな事は言っているけど、斡旋してくれている知り合いには迷惑をかけているんだ。ワガママを言って随分仕事の量を制限してもらっているんだよ」


「どうしてです?」


「決まってるじゃないか。本業はあくまで小説を書く事なんだよ。私はウェブライターじゃない。小説家だ」


「なるほど」


「そうだ。キミにもウェブライターの仕事を紹介しようか?エラく興味があるみたいだし」


「ええ!?本当ですか?」


僕が驚いた顔するとタカマさんは得意げな表情で笑ってみせた。


「この業界も人手不足だからね。なあに、心配ないよ。キミくらい書けるなら私程とはいかなくても、頑張れば二、三年で一文字一円はいけるだろう」


タカマさんは手を二回ほど「ポンポン」と叩き再びパソコンに向かった。


「さっそく知り合いに連絡しておくよ。キミのメールアドレスと電話番号、教えても構わんだろ?」


僕はやりたいという気持ち半分、正直めんどう臭いなと思う気持ち半分で、断りたかったのだがタカマさんの強引な雰囲気につい「はい。お願いします」という言葉が口から出てしまった。


タカマさんの知り合いという人から電話が来たのはそれから二日後のことだった。


『ライブコートの星崎と申します。ウェブライティングの依頼の件でお電話させていただきました。さっそくですが仕事のお話で。初めてだし未経験という事なので三千文字以上、何文字書いても一律四千円ということでお願いします』


「あっはい」


『では依頼内容はメールしておきますので。よろしくお願いします』


「よろしくお願いします」


星崎さんはタカマさんの昔からの知り合いだという割に、なんだか業務的でタカマさんの名前が一度も出ないまま電話は切られた。僕はやっぱ断っておけば良かったと後悔したが、タカマさんの顔を潰すわけにもいかないので今回だけ引き受ける事にした。次はきっぱり断ってしまおうと決めていた。


ところが記事を入稿した次の日にその星崎さんから思わぬ連絡があった。


『先日いただいた原稿に関してクライアントの方から連絡がありまして』


「はい、どういった事でしょう」


何か不手際でもあったのか、やはり断っておけば良かったと僕は電話口で頭を抱えた。しかしそれが詰まらない杞憂であった事をあっけなく彼の口から知らされる。


『先方は大層ご満悦でした。元々はあまり頻繁に注文をくださるお客様ではなかったのですが、これを期に依頼を増やしても良いと仰っていまして。もちろん、今回のライターさん、つまりコウズカさんがやってくれるならという条件つきでなんですが』


「はぁ」


状況が飲み込めてなかったせいで随分と間抜けな声で反応してしまっていたと思う。要するに、たまたま今回のクライアントが僕の記事を大いに気に入ってくれて、早くも次の仕事の依頼がきているという事だった。しかも僕を指名しているとの事だ。これには僕も大いに浮かれてしまい、あんなに断ろうと思っていたクセに二つ返事で次の仕事を承諾してしまった。


しかも次回から、一文字一円に値上げしてくれるという事だった。これは破格の待遇である。

しかしまだ青二才だった僕は金額的な事よりもむしろ自分の文章が社会で価値があると認められた事の方が嬉しかった。あまりの予想外に脳ミソが処理落ちを起こし、電話を切った後の部屋で三十分ほど自作の妙なダンスをしていたくらいだ。僕は身体の毛穴という毛穴から溢れ出そうなくらい喜びに満ち満ちていた。


とにかくこの事をいち早くタカマさんに知らせなくては。そう思ったら居ても立っても居られなくなり、財布も持たずに自転車に跨り家を飛び出した。辺りはすっかり暗くなっており、工場でもいつもの乾いた音の代わりにそれぞれの家族が過ごす夜の生活音が控えめに聞こえていた。


僕はいつもの様にドアを三回ほどノックしてタカマさんの名を呼んだ。


「タカマさん、コウズカです。こんな時間にすみません。どうしてもお伝えしたい事があって」


そう言ってみたが中から返事がない。留守なのかとも思ったが念のためもう一度の名前を呼んでみた。


「タカマさん!」


少し大きな声が出てしまい一瞬ハッとなった。


「なんだいキミ」


中からいかにも面倒臭そうにタカマさんがのそのそと這い出てきた。


「キミ、あんまり大声を出さんでくれ。近所に迷惑だろう。一体全体どうしたんだ」


「申し訳ありません。つい興奮してしまって。例のウェブライターの仕事なんですが、先方から僕の文章が好評だったって褒められたんです。次の仕事の依頼も来ました。次回から値上げもしてくれるそうです」


僕はかなり興奮気味にタカマさんに報告をした。しかし僕が思っていたよりもタカマさんの反応は随分と冷めたものだった。


「ふうん。そう。良かったじゃない」


「ああ、ええ。なんだか、世間に認められた様な気がしまして。紹介してくださって、ありがとうございました」


僕はいつもよりも彼の機嫌が悪い事に気が付いて、ひょっとして間の悪い時に来てしまったのではないかと考えた。


「それで?」


「え?」


「それでどうしたんだい?見たところ今日は手ブラみたいだけど、斡旋した私に御礼の品とかは無いのかい」


その時のタカマさんの顔は酷く意地が悪そうに見えた。


「ああ、すみません。急いでいたもので取るものも取らずにここに来てしまいました」


「冗談だよ。しかしねキミ、社会というのはそういう時こそしっかりとした気遣いが必

要なんだよ。私だったから良かったものの。非常識さ。ま、ひとまず中に入りたまえ」


ここでようやくタカマさんは僕を中へと促した。


「実はね、ちょうど筆がのってきていた時だったんだよ」


相変わらず殺風景な部屋の中で僕とタカマさんは向かい合って座った。今日もきっと、何も出ないのだろう。


「そんな時にお邪魔してすみません。やはり今日はもう失礼します」


僕が立ち上がろうとするとすかさずタカマさんが手で制した。


「いや、もう良いんだ。今日は多分もう書けないから。無理に書いても意味がない」


「僕のせいですね。本当にすみません。下らない事で集中を乱してしまって」


「仕方ないよキミ。ドアに『ただいま執筆中、面会謝絶』とでも貼っておけば良かったのさ」


と言ってタカマさんはケラケラと笑っていたが僕としてはとても笑えた気分ではなかった。これではまるきり僕のせいで小説が書けなくなったと言われている様なものだった。


「それよりキミ、星崎さんと電話で話したんだろう?私の事は何か言っていたかい?」


「いいえ、特に何も。最初はとても冷淡な対応だったものでイヤな人だと思ったんですが、今回の事でだいぶ打ち解けました」


「ふうんそうなんだ。まあ彼も忙しいみたいだからね。しかしキミ、勘違いしちゃいけないよ。星崎さんはあくまで仕事としてキミと付き合っているからね。優しい人だと思ってたらいつ切り捨てられるか解らないよ」


「そうなんですか?」


「そうとも世間は修羅の道なのさ」


タカマさんがフンフンと鼻息を荒くしていたのでもうこれ以上はこの話題は止しておこうと思った。何か別の話はないかと考えていたのだが、いかんせん頭の中は褒められたん事で一杯だったから特に浮かぶ事もなかった。


「時にキミ、最近SNSで『ふぁふぁ』さんや取り巻きの連中と親しくしてるようだね」


「ああ、そうなんです」


ふぁふぁさんというのはここ最近知り合った作家ネットのユーザーだった。僕がたまたまふぁふぁさんの作品を読んでレビューを書いたところ、向こうからも僕の作品の読了感想がきた。それ以来ふぁふぁさんとは作品の相互評価やオススメ書籍の紹介をし合ったりしてSNS上でのやり取りを続けている。最近では、ふぁふぁさんからの繋がりで何人かのネット作家さんたちとも親しくなりはじめていた。


「キミは彼らとは付き合いが長いのかい?」


「いえ、まだそこまでの付き合いではありません。ふぁふぁさん以外の方とはあまり交流は無いですし」


そう言うとタカマさんはなんだかホッとした様な顔をした。


「そっか。まあ、付き合う相手は選んだ方が良いよ。ふぁふぁさんがそうだとは言わないが、取り巻きの中にはバカ大学の浮かれサークルみたいなノリで小説を書いてる奴もいるからね。キミが本気で作家を目指すなら付き合いは避けるべきだ。朱に交われば赤くなる、だよ」


「はあ。なるほど」


まるでその人たちを見知っている様な口ぶりだった。しかしこの頃にはもう僕の中でうすうすタカマさんという人がそんなに厚みのある人間ではないんじゃないか、という考えが出てきていた。


その日も、結局水一杯すら出てこなかった。


ウェブライターの仕事が徐々に数が増えていき、僕は小説を投稿する暇もないほど忙しい日々を過ごしていた。SNSの方もほったらかしにしていた為、随分と通知が溜まっていて確認するのにもひと苦労だった。


そんな中、タカマさんのいつものくだらない他のユーザー批判に紛れて、例のふぁふぁさんからメールがきていた。


続く


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