ネット小説修羅の道

三文士

第1話

まるで意中の相手からようやくデートの約束を取り付けた時の様に、身体中が芯から熱くなっていた。熱病に侵されてすっかり浮き足立っていた。いや、実際の僕は男女がお互いに抱く幻想よりもっと深く濃い霧の中で自分に都合の良い夢を見ていたと思う。その霧が晴れた時、自分の立っている場所が何処だった分からなくなってしまうとも知らずに浮かれていた。だがその霧が晴れた今日でも、人が生きるにあたってそういった幻想を抱く事が必ずしも不必要だとは思わない。幻想がなければ人生がどれほ味気ないものなのか、僕は知っているからだ。


『それでは明後日の11時にお待ちしております』


そう書かれたメールをパソコンのモニター越しに眺めながら、僕はしばらくの間ニヤついていたと思う。


目的の駅は僕のイメージとはだいぶ違っていた。開発が進み大きな複合商業施設が隣接して建てられていた。初めての場所なのに何処かで見た気がしていたのだが、それが仕事場の最寄り駅に似ていると直ぐに気が付いた。良い意味でも悪い意味でも、世の中の風景は並列化されてゆく。僕の住んでいる場所からは歩いていけなくもないのだが、今から人生の大きな選択をしようという場面でたかだか180円をケチっても仕方あるまいと思い、こうして電車に乗って来たわけである。


僕はこれから、小説家に会おうというのだ。


タカマさんと最初に知り合ったのはネット小説の投稿サイトだった。タカマさんは僕が初めて書いて投稿した作品に初めて評価と読んだ感想を書いてくれた人だった。


『文章がまだ粗くて、ところどころ?となってしまうが目の付け所が良い作品。また次を読みたい』


そういうコメントだった。見ず知らずの人から自分の作品がお世辞抜きの評価をされた事に、当時の僕は小躍りして喜んだ。さっそく投稿サイト内でお礼のメッセージを送り、しばらく後にSNSを通しての交流が始まった。彼はタカマカケルというペンネームで投稿している古参ユーザーで、サイトがまだ設立して間もない頃からずっと書き続けている人らしかった。そんな人が目を通してくれただけでも十分なのに、なんと彼は過去に紙と電子でそれぞれ一冊ずつ本を出版していたという事実が僕を更に有頂天にさせたのだった。彼はプロだ。プロの小説家なのだ。


その後しばらくSNSでお互いの作品に対しての感想や宣伝をし合ううちに僕らは急速に親しくなっていった。そうして今日、実際に会おうという事になったのだ。


そしてついに今日がやってきた。今から憧れのプロの小説家に会いに行くと言うだけで僕の胸は休みなく高鳴り続けた。もし今日という日があと一週間先でであったなら、きっと僕の心臓は披露で麻痺を起こしていたに違いない。その時の僕にとって、それほどにタカマさんは大きい存在だったのだ。


タカマさんの家は下町にある小さな町工場がひしめく一画にひっそりと佇んでいた。辺りは平日の昼間だからか人の気配が殆どしなかったが、金属を叩く機械の「カッコンカッコンカッコン」という乾いた音がそこら中で鳴り響いている。鳴神荘というその建物は薄汚れた古い造りのアパートだったが、年季の入った佇まいが小説家という孤独な生業らしさを演出しているようで余計に僕を感動させた。教えられた号室の前まで行ってドアをノックすると「はぁい」という気怠そうな男の声が聞こえた。


「本日お約束してましたコウズカと申します」


コウズカと言うのは僕のペンネームだ。僕らはここまでペンネームのみでやりとりをしていた為、お互いの本名を知らない。僕が名乗るとドアが開いて中から人の良さそうな男性が出迎えてくれた。


「やあいらっしゃい。さあどうぞ。お入り下さい」


その人がタカマさんだった。タカマさんの部屋は六畳一間くらいの大きさで、文机に置かれたパソコンと本棚から溢れて乱雑に積まれた単行本以外は特に何も無い殺風景な部屋だった。


「なにぶん気楽な男やもめなんです。お客さんが来ると言うのにこの有り様ですが、どうか目を瞑っていただきたい」


そう言ってタカマさんは気まずそうに頭を掻いてみせたが、僕としてはむしろいよいよ小説家の部屋らしいと勝手に納得していたくらいだ。タカマさんの生活は僕が抱く清貧な小説家イメージそのものだった。


「いえいえ。僕のことは気にしないで下さい。それよりもこちらこそ無理矢理押しかけてしまったみたいで申し訳ありません。お忙しかったのではありませんか?」


「そんなことはありませんよ。仕事よりもこうやって同じく創作をされている仲間との交流のほうが私にとっては大切なんです。お互いに高め合えれば作品もグッと良くなりますから」


「同じく創作をされている仲間」というその言葉によって、スーッとした高揚感が僕の身体を突き抜けていった。敷居が高いと思われていたプロの小説家が、かくも寛容に僕を受け入れてくれるなんて。僕はよっぽど運の良い男なのかそれとも本当に何か光る物が自分の中にあるのでは。そんな風に考えれば考えるほど、僕はいよいよ浮かれずにはいられなかった。


「ああそうだ。すっかり忘れてました」


そう言ってタカマさんは突然姿勢を整える


と僕に向かって深々と頭を下げた。


「初めまして。タカマです。小説家です」


「あっああ、失礼しました。コウズカです」


僕は動揺していた。タカマさんがはっきり自分を「小説家です」と言い切った事にすっかり面を食らってしまったのだ。


「どうかしましたかコウズカさん」


「いえ、タカマさんがご自分を小説家だと言い切ってらっしゃるのが、何というか、羨ましいというか。凄いなと思いまして」


「何故です?貴方だってネット上とは言え自分が書いた小説を人目に晒しているじゃないですか。これを小説家と言わずして何とします。お金を稼げているかいないかは問題じゃありませんよ」


目から鱗だった。タカマさんの言葉ひとつひとつが僕の胸に突き刺さる。刺さった言葉は身体中の血管を巡り、僕の神経を支配した。


「まったく、タカマさんの言う通りです。僕の小説家としての心構えが足りない事の言い訳ですね。もっと自覚を持ちます」


「それは少し大袈裟ですよ。ですが、それくらい大袈裟で良いかも知れません。小説家というのはそれくらい、修羅めいた職業なんです」


「修羅‥ですか」


「そうです。小説家は修羅の道ですよ」


そう言ってタカマさんは静かに微笑んだ。修羅なんていう言葉を日常で使っている人に僕は初めて出会ったが、彼の持つ独特な雰囲気が不思議と軽薄さを感じさせなかった。


「まあ何もありませんが、ゆっくりしていって下さい」


彼の言葉通り僕が持参した安い菓子以外は水しか出てこなかったがそんな事が気にならないくらい僕らは熱く語り合った。


「昨今ではネット小説が注目を浴びていると言われてますが、あくまで偏ったジャンルの作品しか日の目を見ていない。『作家ネット』ではどのカテゴリーのランキングでも、似たような内容の作品ばかりが上位にきている」


「まったくです。『ホラー』や『ノンフィクション』ならまだしも、『文学』というジャンル分けで登録した作品がどう見てもハーレムコメディ的な内容でしかない」


「そういう内容の方がアクセスが良いのは解りますがね。これはやはり、『作家ネット』運営側の怠慢でしょう」


作家ネットというのは僕やタカマさんがメインで作品を投稿しているウェブ小説のサイトだ。一応ここは日本で一番の作品投稿と登録者の数を誇っている有名サイトである。ここからデビューして商業作家になった者も少なくない。しかしながら最近ではアクセス数の多いジャンルだけがピックアップされる傾向にあり、多くのユーザーが偏ったジャンルの投稿ばかりする様になってしまった。この、所謂アクセス数絶対主義のせいでユーザー同士の揉め事も多く、今や作家ネットは開設五周年を前にして無法地帯になっていた。


「ハーレムや異世界が悪いとは言わない。しかし、売れるからそればかりを出していては、いずれ業界全体が衰退してしまう。まあ、目先の利益に囚われてしまうのはどこの業界でも一緒ですね」


「利益が無くては人もついてこないし広告がうてませんからね。何より会社は食べていけない。新規の客層が獲得出来なくてはどのみち消滅してしまいますからね」


「その通りです。本当に小説というのは、創り手だけではなく関わる全ての人間にとってまさしく修羅の道なんですよ」


「はい‥」


自分たちが進もうとしているこの先の未来が、あまりにも暗澹としている事についため息が出てしまいそうだった。


「時にコウズカさん、失礼ながら貴方いまおいくつになられますか?」


「はい。今年で二十六になります」


「そっか。じゃあキミより私は四つ上という事になるな。まあ仲良くやろう。よろしく」


「はい。よろしくお願いします」


年齢を言ったとたん「コウズカさん」が「キミ」になり、敬語が何処へともなく消え去ったが、僕としては初めからタカマさんに師事を仰ぐくらいの気持ちで出向いて行ったのでその時はさほど気にはしなかった。


その日僕らは時が経つのを忘れ存分に語り合った。自身の小説のこと。好きな作家のこと。ネット小説のこと。作家ネットのマナーの悪いユーザーのこと。などなど、話は尽きなかった。


「おや、もうこんな時間だ。すまないねキミ。長い間引き留めてしまったよ」


「いえいえ。僕の方こそ長居してしまって。そろそろ帰ります」


「それではまた」


「ええ、また」


僕らの初日はそんな具合に和かに終わっていった。


初めて会ったのに長時間も食事はおろか酒も酌み交わさずに家に帰って来たのは僕としては例に無い事だった。それでも小説家というストイックな職業ゆえの簡潔な関係性なのだろうと納得していた。僕にとってはタカマさんと語り合ったあの数時間がまさに憧れの創作者同士の高め合いそのものであった。酒や食事などという邪推は表現者には必要ない。ただ志と理想だけあればそれで良い。当時の僕はそういった青臭い想いに胸を躍らせていた。


家に帰った僕はさっそくパソコンに噛り付き、身体中を駆け巡る悶々としたエネルギーを文章へねじ込んだ。 その日のうちに作品をネットに投稿し、何気なく時計を見るともう深夜一時を過ぎていた。僕は自分の創作活動に確かな充実を感じていた。


ちょうどその頃から僕の作品はポツポツとアクセス数が上がってきており、まだ何の成果も得られてはいなかったが早くも何者かに成った気分でいた。あの時の僕は何が何でも小説家になろうとしていたのだ。最近は、もしあの頃の自分に会って何か助言をしてやれるとしたらとつい考えてしまう。漠然とただ何者かに成ろうとするのではなく、自分が何をしたいのか。自分に何ができるのか。それをよく考え行動するべきだと言ってあげられたらどんなに良かったかもしれない。しかしあの頃の僕ではそれを言葉として受け入れる事は出来ても本当の意味で理解するには到底及ばなかっただろうとも思えてくる。


経験があってこそ理解できる言葉もある。だがせめて誰かがそう言ってくれていたらばと、そう思えて仕方がない。


続く

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