第2話 他人の庭先で待つ少女

 僕の家は、華やいだ街の郊外にある。

 とうてい自転車で通える距離ではないから、行き帰りは一時間ほどバスに揺られなければならない。

 高校の授業が終わったその足で、一直線に家へ帰ってきても、秋が深まってくればあたりは真っ暗になっている。

 バス停からは家まで約二キロ、うっそうと茂る林の中を抜け、舗装もされていない砂利道を抜けて自転車で家に帰るわけだけど、途中には申し訳程度しか街灯が設置されていないから、ほとんど暗闇の中を進まないといけない。

 でも、僕は怖くなんかなかった。このあたりには不審者は出ない。当たりまえの話だ。周りに何もないんだから。家はただ一軒。それも僕と、フランク(死んでるけど)、男二人が住んでいるだけ。襲われる心配もない。

 ただし、幽霊はいる。山ほどいる。僕が住んでいる場所にどういういわれや因縁があるのかは分からない。

 でも、感覚的には学校や街の中の十倍くらいは多い気がする。おおげさにいえば、自転車のペダルひとこぎごとに幽霊に出くわす感じだ。

 まあ、それもあまり気にならない。他の人の目が気にならない分、街で幽霊を見るよりは数倍ましだ。

 ときどき、ただいま、って手を振ってやる。そうすると向こうも手を振りかえしてくる……、ときもあるし、そうじゃないときもある。

 仕方ない。幽霊だって人間と同じだ。気分が乗ってるときもあれば、そうでないときもある。

 大事なのはきちんとコミュニケーションをとっておくことだ。これも人間と同じ。特に最近はそれを実感してる。


 話が回り道をしたけど、基本的に僕の家の周りには誰もいないわけで、逆にいたらおかしいわけだ。

 それで、もし自分と同じ年くらいの女の子が月のない闇夜の晩、家の前に立っていたら、それは驚いても仕方ないだろ?

 女の子は、あとで瑠璃っていう名前だということが分かるんだけど……、は隣町の高校の制服を着て、僕の玄関の前の石段に足を組んで座っていた。顔はよく見えなかった。でも、あたりが暗いだけに彼女の脚の白さがきわだち、そこだけ浮き上がっているように見えた。

「遅かったね」

 瑠璃はジャンプするように勢いよく石段から立ちあがった。

 僕はぼうっと彼女を眺めていた。彼女は顔も背も小さくて、なにより美人だったけど、僕が心を奪われていたのはそこじゃなかった。

 それは彼女の瞳。鳶色とびいろの大きな彼女の瞳は、なにか人を魅惑するものを持ちあわせていた。

 この感覚は何かに似ている。そう思った。懸命に答えを探した。

 そうだ。幽霊だ。幽霊たちは“誰か”を欲している。自分の未練や欲求をかなえてほしくて、自分の世界に“見える人”を引きこもうとする。

 その感覚にすごく似ていた。

 ヤバい。引きこまれちゃだめだ。僕はお腹に力を入れた。

「誰?」

 あえて、不機嫌な声を出してみる。

「女の子から名乗らせる気? こういうのは男から名乗るのが普通じゃない?」

 乗せられるな。これは罠だ。僕の家の庭先に勝手に居座っているこいつの方がおかしいんだ。

 僕はしばらく無言のままでいた。

「意外と生意気なのね。ちょっと計算が狂っちゃった」

 瑠璃はため息をついた。

鬼城きじょう英斗。高校二年生。2000年12月29日。浅葱原町あさぎはらまちに生まれる。血液型はAB型。中学校時代、三年間テニス部に所属してたけど、今はまったくやってない。父親の名前は宋次郎そうじろう。外資系の商社に勤務。母親は秀子ひでこ。元国家公務員、のち、主婦。どう? 違ってる?」

「ストーカーか。あんた」

 全部当たっていた。気味が悪いほどに。

「違うけど」

「じゃあ、何だよ。探偵か?」

「んー、半分正解。でも、あなたの思ってるのとは違うかもね」

「用がないなら帰ってもらえます? ここ僕のうちなんで」

「あ、丁寧な言葉になった。ちょっとビビってるんでしょ。エイトくんにしては珍しく」

「僕の何を知ってるって言うんだよ!」

「ほとんど全部かな。ちなみに私、あなたより一つ年上だから敬語使ってくれる?」

 瑠璃は不敵に笑った。

「とりあえず僕疲れたんで家に入るから。そこ、どいてくれます?」

「私も入れてよ。エイトくんに頼みたいことがあるの」

「それが何なのかは分からないけど……」

 僕は瑠璃をにらみつけた。

「僕は絶対にきかない。そして家にも入れない」

 瑠璃はまた笑った。

「そうだ。言い忘れたことがあるの」

 瑠璃は僕の耳元に唇を近づけた。

「あなたのお父さん、人殺してるよね」

 湿っぽい吐息と一緒にそう言われて、僕は瑠璃を家の中に招き入れるしかなかった。


「やっぱりお金持ちだね。広い。広い」

 瑠璃は家に入るなりそうはしゃいだ。

 僕は彼女の無邪気さに、ちょっと戸惑った。あやうく彼女に抱いていた警戒心をほどいてしまうところだった。

 そんな僕の気の緩みはフランクによって救われた。彼はこの、得体のしれない侵入者を刺すようににらんでいた。

「そんなに怖い顔しなくてもいいの」

 瑠璃がこっちに近づいてくる。

「私はあなたの敵じゃないから。私はあなたの味方なの」

「あんたは味方なんかじゃない!」

 僕は大声で叫んだ。

「エイトくんに言ったわけじゃありませんー」

 僕はぽかんと口を開けた。

「じゃあ、誰に言ったんだよ」

 瑠璃は僕に何も答えなかった。

「ねっ」

 瑠璃は虚空に向かってウインクした。僕は背筋が寒くなった。だって、ちょうどその方向には僕の同居人、フランクの血まみれの顔があったからだ。


「何か話したいことがあるなら、さっさとしてくれませんか? 僕まだ夕飯食べてないんで」

 僕はキッチンのテーブルに瑠璃と向かい合って座った。

「それは私も一緒だけど。それより、お客さまが来たら飲みものとお茶菓子くらい出すのが礼儀じゃない? 私、一時間くらい外にいて、のどが乾いてるんだけど」

「自分が呼んだ客ならね!」

「じゃあ、私は招かれざる客ってわけ?」

「ご想像にお任せします!」

 僕は瑠璃の後ろにある冷蔵庫を開けた。瑠璃は背中を向けてくすくす笑っている。

「私、シークワーサージュースね」

「なんで分かるんだよ。後ろ向いてるのに」

 自分の顔が冷たくなっていくのが分かった。

「バーカ。今のは何でもないって」

 瑠璃がこっちを振り向いた。

「そこに鏡があるでしょ」


 瑠璃はステンレスの名刺入れから、一枚の名刺を出した。シークワーサージュースを片手にだ。


 冥界探偵社  所長 坂梨瑠璃


「こういう者です」

 瑠璃がおどける。

「意味が分からないって顔してるね。でも見て字のごとくよ。さっきも言ったとおり、私が探偵っていうのは半分正解。でも、私の依頼人は人間じゃないの」

「人間じゃない?」

「幽霊よ。幽霊」

 瑠璃はこともなげに言った。

「不公平だと思わない? 日本中に幽霊はたくさんいる。その幽霊を除霊する人たちも、それに応じた人数分いる。幽霊が出たっていったら、すぐ除霊。お札を貼る。念仏を唱える。印を組むとか。塩をまくとかね。彼らはそれでお金を儲けてるわけよ。

 でも、それって根本的な解決になってない。力技で除霊しようとして、仮に成功したとしても、その霊の思念の残りかすみたいのはどうしても残ってしまう。つまり完全には成仏できてないってこと。

 それなら、どうすべきか。簡単なことよ。彼らの未練のもとから取り除いてやればいい。原因を探って、それを解消してやること。それが私たち冥界探偵社がやってることなの。分かった?」

「それは分かった……、分かりましたけど、結局僕にどうしろと」

「あなたに、冥界探偵社に入ってほしいの。うちのエージェントとして働いてほしい」

「でも、僕は普通の高校生ですし……」

「まだ分からないの? あなたに霊視能力があるのは調査済み。っていうかね。二年前のことまだ覚えてるでしょ」

 僕は口をつぐんだ。

「あれだけ強烈なポルターガイスト現象、霊気の爆発が近くで起これば、少しでも霊感のある人間ならすぐに気づく。普通の人間ならあんな霊気の波に巻きこまれて生きてはいれないわ。でも、あなたたち家族三人は生き残った。

 そのあと、ご両親は海外に向かわれた。これはうちで物理的に調査済み。でも、そのあとも強力な霊気が二つ、この家に残っている。そうなれば答えは簡単じゃない。強力な霊気の正体は、あなたと、あそこにいるあの人よ」

 瑠璃はフランクを指さした。

 僕はもうどうしたらいいか分からなかった。とりあえず手元にあったコーラを一気飲みした。

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