冥界探偵エイト
流川大舞
第1話 誰がフランクを殺したのか
(あっち行けよ)
(あっち行け……)
「あっち行け!!」
最後は声になって出てしまった。目の前の、チャリをこいでいたおばさんがぎょっとして、こっちを見た。
「あ、すいません。そうじゃないんです」
そう弁解したけどだめだった。にらみつけられて、バカだのアホだの頭おかしいだの、好き放題に言ったあげく、最後には砂までかけていって、おばさんは遠くに消えていった。
「たく、おまえのせいだぞ」
僕は背中にいたそいつをにらみつけた。
電柱の影にいた透明な、五十過ぎくらいのオヤジが、薄くなって消えた。
嫌になる。17年間、いつもこうだ。
僕には幽霊が見えてしまう。見えるようになったのが、いつからかは正確には覚えていない。
最初の記憶として残っているのは3歳のころで、そのとき見た幽霊は小学校高学年くらいの女の子だった。
「ママ、あそこ。あそこ」
三歳の僕はお座敷の畳の隅を指さしたけど、母親にはまったく見えていなかった。
「どこ? どこなの?」
だんだんと母親の顔が青ざめていった。
「あそこだよ見えないの?」
無邪気な僕の質問はさらに母親の恐怖心をあおったらしい。でも、幼い僕はそれに気づかなかった。
「見えないの? ママ。ねえ、ねえ」
「もう言っちゃいけません!」
「でも、お姉ちゃんが、あそこに……」
僕は納得できなかった。でも、母親の表情がそれまで見たことがないくらい怖いものだったから、僕は仕方なく口をつぐんだ。
そのときから幽霊のことは一切言わないでおくことに決めた。
それだけなら、ただ見えるだけなら、僕の一生も平穏に過ぎていったかもしれない。
でも、中学生のころ、十四歳のときに事件が起こった。
その日は仕事で世界中を飛び回っていた父親が帰ってくる日で、母親も豪華な料理を作って待ちかまえていた。
できるだけ早く帰ってくるように言われ、僕も部活を早めにきりあげて、二時間前から、父親が帰ってくるのを待っていた。
なんとなく落ち着かなかった。その日は朝から胸騒ぎが続いていたからだ。ねっとりとした、身体じゅうにまとわりつくような嫌な感じが朝食を食べる時も学校にいるときも離れなかった。そして、こうして家に帰ってみると、その嫌な感じがいっそう強くなった気がした。
キッチンに置かれている固定電話が鳴った。
「お父さん、もうすぐ帰るってよ」
母親にそう言われて、嫌な感じがいっそう強まった。頭がガンガンしてくる。
ヤバい。ヤバい。ヤバい!
「お母さん、早くここから出たほうがいいよ!」
「何言ってるの? 雷でも落ちるっていうの。それとも台風?」
母親は悠長に笑っている。
「出よう。早く出よう!」
インターホンが鳴った。ディスプレイに父親の顔が映る。
「危ない!」
ドアが開いた瞬間だった。
玄関に飾られていた花瓶が弾けとび、居間のシャンデリアが落下し、本棚とタンスが同時に倒れてきた。廊下に花瓶の中の水がさあっとこぼれ落ちた。
「大丈夫か?」
そう声をかける父親は久しぶりに帰ってきた家の
大丈夫……、そう言いかけて、僕は悟った。父親の肩の上に、血塗られた男性の顔があったからだ。東南アジア系の男性。30~40代くらいだった。
一番ぞっとしたのが、彼に明確な敵意があったことだった。
目と目が合った。
反射的に目をそらしたけど、敵意は消えない。
普通の幽霊なら、そこまでの感情を持たない。ただ無為に、無感情に漂っているだけだ。
ごくまれに強い感情を抱いている幽霊もいる。俗に言う
でも、その幽霊は違っていた。明確な敵意が火花を散らすように、一帯に充満していた。
僕か? 一瞬そう考えた。霊感のある僕なら、ありえるのかもしれない。強い意志を持っている霊ならば、「なぜ気づいてくれないのか?」という気持ちを霊感の強い人間に抱くのかもしれない。
いや、違う。僕は思いなおした。この敵意は僕には向けられていない。
ここにいる他の誰かだ。
僕は母親を見た。母親はおびえきっていた。フローリングの床に足を投げ出し、全身を震わせていた。僕は霊と母親を頭の中で結んでみた。
(違う。お母さんじゃない。じゃあ……)
父親を恐る恐る見た。父親の目は平静を保っていた。でも、そのとき僕は分かってしまった。
(父さんがこの人を殺したんだ)
「久しぶりだな。
父親は僕の肩に触れようとしていた。僕はその手を叩き落とすように振り払った。
父親は呆然とした様子で僕を見ていた。僕の頬に脂汗がにじんだ。
その日の夕食は静かなものになった。いろいろなものの残骸が家のあちこちに散らばってる中、僕たち三人は無言で食事をした。
その夜、僕は眠れなかった。精神的な問題じゃない。バチッ、バチッ、というラップ音が、どこからともなく聞こえてきたからだ。自分の部屋でベッドに寝ころんでいるときも、トイレに起きたときも一晩中ずっとその音は聞こえ続けた。
僕はさすがに心細くなって、父親と母親の寝室に向かった。彼らの寝室のドアを開けようと、ノブに手を置いた瞬間だった。
バチッ、という大きな音が鳴った。僕は思わず手をノブから離した。
父親と母親が慌てて寝室から飛び出してきた。
「何があった!」
そう叫ぶ父親の背後から、昼間見た男性の霊がにやっと僕に笑いかけた。
次の日、僕は眠たい頭で朝食を口に入れながらテレビを見ていた。
父親がチャンネルをワールド・モーニング・ニュースに変えた。その名のとおり、世界のニュースを扱っている番組だ。
僕はパンを食べる手を止めた。
昨日の男性の霊と、同じ顔の写真が画面に映ったからだ。
「嘘だろ? フランクが死んだのか!」
「父さん知ってる人?」
「ああ。うちの会社のフィリピン法人の社長だよ。若いけどできるやつでな。そうか、海で死んだんだな。あのバカヤロウが。波が高い日はサーフィンなんかするなって何度も釘をさしておいたのに」
「残念だったね……」
そう言いながら、僕は唇をかみしめていた。
ニュースのテロップには大きく「事故死」と書かれていた。でも、僕はこう言いたかった。
父さん、あんたがその人を殺したんだろ。なに、しらばっくれてんだよ!
でも言えなかった。何も証拠がなかったからだ。それに彼は腐っても僕の父親だった。
そのかわり、僕はフランシス・カスティーヨというフィリピン人の名前を胸に刻んでおくことにした。
それから数日後に、父親はまた海外へ出発した。
でも、自分を殺した人間である父親が出て行ってからも、フランクは僕たちが住む一軒家で暴れ続けた。
強いラップ音、発信先不明の電話。ひとりでにドアが開いて閉まる。正体不明の声が聞こえる。
僕はだんだんとそれに慣れていったけど、母親は日が経つごとに精神をやられ、衰弱していった。
決定的になったのはあの日から三か月ほど経った九月の夜のことだった。
深夜、日付が変わったころ、母親の寝室から悲鳴が聞こえた。
「どうしたの? 母さん」
僕は寝室を勢いよくあけた。
「男の人が見えたの。色の黒い男の人……」
「なんだ……」
僕はため息をついた。
「なんだじゃないわよ」
母親がそう言ったとたん、寝室の窓ガラスが次々に割れ、壁にかけてあった大型の絵が母親の頭上に倒れてきた。
僕は飛びこんで、おおいかぶさるように母親をかばった。
絵は僕たちのすぐ真横に落下した。
「大丈夫? 怪我はない?」
僕はきいた。でも、母親はそれに答えなかった。
「もうやだ。もうやだ……」
母親は泣き始めた。僕はどうすることもできなかった。ただ横にいて、ずっと黙っていた。
その一週間後、母親が父親のところに行くと言い出した。
「ほら、お父さんもいろいろとさみしいでしょ。このまえ帰ってきたときそう言ってたのよ。だから、そばにいてあげたくて」
「じゃあ、僕も……」
「英斗はここに残ってた方がよくない? 学校のお友達だっているでしょ。部活もあるし」
「でも、一人暮らしって……」
「ときどき、おばあちゃんに来てもらうわよ」
母方のばあちゃんの家は僕の家から近かった。そのばあちゃんに来てもらおうということらしい。
「いや、でも、僕まだ中学生だし……」
「もう決めたことなの。男の子なんだからやれるわよね。生活費はちゃんと渡すから」
おかしいな、とは思った。だけど、まあ、母さんが決めたことなら仕方ないか、そうあきらめて首を縦に振った。
でも、その日の電話ですべてが分かった。母親が父親とこう話しているのを聞いてしまったのだ。
「……英斗は連れて行かないわよ。だっておかしいと思わない? 最近、あの子が私に近づくたびに変なことが起きるんだから。小さいころからそうだった。いつも変なものが見えるって言ってたし。もしかしたら私たちの子どもじゃないのかもしれない。化け物よ。あの子は化け物なのよ!」
僕は笑った。笑いしか出てこなかった。妙に浮ついた気分のまま洗面台に向かった。
鏡に血だらけのフランシス・カスティーヨが映っていた。僕はフランシスに言った。
「よろしく、フランク。これからここは僕たち二人の家だ」
フランクが僕に微笑んだ。
それから僕は、二年後、どうにか高校に入ることができ、17のこの歳まで普通の高校生としてフランクとともに過ごしてきた。僕はどうにか平凡に生きていくことができればいいと願っていた。2か月前、
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