33 暴虐悪鬼(2)

 翌日、朝霧に煙るカリオンをクレイオスとアリーシャ、そしてディルとイドゥの四人が歩いていた。皆が旅装束であり、外套を羽織って朝の肌寒さから身を守っている。

 この街は川と海に面しているせいか、周囲に漂う朝霧はとても濃い。通りの先を見通せぬよう、白い霧の壁が視界を邪魔している有様だ。

 そんな中でも、勝手知ったると言わんばかりにハバの護衛の二人はすいすいと進んでいく。この街で過ごした時間が長い証に、その早足の歩みに遅滞はなく、目的地まで一直線であった。

 無言のまま四人が南カリオンを進んでいけば、やがて目的地にたどり着く。距離としては、宿から雑務ギルドへ行くより近い。

 クレイオスのつたない土地勘であっても、街の外周の、特に入口に近い場所に到着したとわかった。宿も外周にあるため、すぐに到着するのは当然だろう。

 そんな四人の目的地は、少しばかり大きな建物。雑務ギルドと同じくらいの大きさで、何かの施設であることを示す看板が掲げられている。

 その看板にある絵は、斜めに走る三本の野太い線だ。魔獣ベスティアの爪撃の痕跡が、ちょうどあんな感じになるだろうか、と模様を見ながらクレイオスは一瞬だけ思考を巡らせた。しかし、すぐに視線を外し、その建物の前に居る気配へと目をやる。

 見えてきたのは、三人の人影。近づくことで朝霧が薄まり、その姿が見てとれるようになると、心中で密かにクレイオスは驚愕した。

 一番に目についたのは、異様に背の低い人影だ。周囲の二人の腰ほどの体長しかなく、しかしその癖して体の横幅は誰よりも太い。表現するならば、ずんぐりむっくり、と言ったところだろうか。

 近づくことでつぶさに見てとれるようになれば、その顔には立派な髭が蓄えられ、厳めしい顔は不機嫌そうに顰められているのがすぐにわかった。土人族ヒューマンの子どもほどしかない身長ではあるが、その面構えと身から立ち上る雰囲気は大人の戦士のソレだ。

 ここまでくれば、どれほどの田舎者であってもその正体はわかるもの。


 鉱人族ドヴェルグ――鍛冶神フェラリウスから生み出された、人族の一種だ。


 その身に着けているのは鉄を編んだような鎧――鎖帷子であり、背中には野太い柄の大斧が提げられている。鉱人族ドヴェルグに相応しい重装備だが、彼らの本質は恐ろしく頑強で力強い肉体だろう。

 実際、鎖帷子から剥き出しの腕は削り出した荒い岩の如し、その膂力は土人族ヒューマンなど歯牙にも掛けないはずだ。

 そんな、初めて見る異種族にクレイオスが思わず注視していると、鉱人族ドヴェルグの方も視線に気づいて振り返った。

 そして、厳めしい顔をさらに恐ろしげに歪め、クレイオスを睨んで声を荒げる。


「あぁ? 何見てやがんだノッポ」

「ノ……?」


 恐らくクレイオスを指して吐き捨てた言葉に、青年は意味が分からず首を傾げた。

 その様子も気に食わなかったのか、ぺ、と唾を地面に吐き捨て、鉱人族ドヴェルグはそっぽを向いてしまう。

 あんまりな態度にまるで意味が分からず、クレイオスは思わず目的の建物の前で立ち尽くす。どう返事をしたものか、と困惑する彼に、鉱人族ドヴェルグの隣に立つ別の人影が声をかけてきた。

 それは鉱人族ドヴェルグ以外の二人の人影の内、土人族ヒューマンの青年だ。鼠色の髪を収まり悪くあちこちに飛び跳ねさせていて、その下の垂れ下がった目尻はどこか頼りない。

 だがそれらに愛嬌があるのも事実で、そんな顔に人懐っこい笑みを浮かべていた。


「やあ、エスカペオスが悪いね。彼なりの挨拶なんだ、流しておくれ」

「そう、なのか。気にしてはいないが……」

「そりゃよかった。それで、君も斥候に? お仲間は中に入っちゃったけど」


 青年が視線を移動させて建物の方を向くのに合わせ、クレイオスもそちらを見ると、アリーシャの黒髪が扉の向こうに消えていくところだった。

 置いていかれたようだが、さして気にした様子もなく紅蓮の青年は首肯を返す。


「俺は文字が読めないし書けないからな。中に入っても仕方ない」

「あ、そうなの? 僕も書けないんだよね、読むのはちょっとだけできるんだけど……おっと、僕の名前はテティス。同じく斥候に志願した一人だよ」


 ぺらぺらとよく喋る青年テティスが差し出す右手に応え、クレイオスは己の名を明かしながら握手する。それから残る一人の土人族ヒューマンの少女に目をやれば、彼女もクレイオスに向き直った。

 ローブ姿の彼女の胸に刺繍されているのは、鎚と火かき棒が交差する模様。つまり、少女は鍛冶神フェラリウス神官であるということだ。


「……テルナ。よろしく」


 鍛冶神フェラリウス神官の少女テルナは、言葉少なにそう言うとすぐに視線を外した。

 無愛想な態度であるが、クレイオスも他人のことは言えないので「ああ、よろしく頼む」とだけ返答する。

 そんな彼のいらえに、なぜかテティスは満面の笑みでクレイオスの肩を叩いた。


「いやー、妹もこんなので悪いね! でもクレイオスがぜんぜん気にしない性質たちでよかったよ」

「兄妹なのか」

「ああ、そうさ。シベルの街の――って、わかんないか。バルドリッグ領の西の方の街の出身でね。神官いもうとの見聞を広める名目で僕ら南下してきたんだけど、そしたら魔物モンストルムが出現してる、っていうじゃないか。是非、一目見たいなと思ってたら、『討伐ギルド』が斥候を出す、って言っててさ、この時ほどギルドに所属しといてよかった、って思ったことはないね!」


 人懐っこいのはディル以上か、と一瞬で思わされるほど、テティスという少年は一息でペラペラとよく喋った。彼の妹と仲間の鉱人族ドヴェルグエスカペオスの無愛想さとはまるで対照的で、だからこそ彼らの中ではバランスがとれているのだろうか。

 一瞬、そんなくだらないことを考えるほど彼に気圧されて適当な返事を寄越してしまうクレイオスだが、一方のテティスはそういう反応など仲間で慣れているのだろう。微塵も気にした様子もなく、テティスは自分がどれほど魔物モンストルムというものに興味を持っているかを延々語り続ける。

 その物見遊山な考えを諫めようかとも数瞬思ったが、矢継ぎ早に放たれる言葉にクレイオスはすぐに口を噤んだ。口を挟む余地がない。諦めたとも言う。

 故に、話を聞き流しながら、クレイオスは傍の建物を――『討伐ギルド』を見やった。

 早く帰ってこないだろうか、と鼠色の青年に辟易しつつ。


 当然ながら、紅蓮の青年は事前に『討伐ギルド』なる存在の説明を受けている。

 通称『傭兵溜まり』――その名の通り、傭兵どもが主に利用するギルドなんだという。

 ギルド、と付いてはいるが、雑務ギルドと同じく特殊な立ち位置の組織で、その設立者はなんと前代の王様。

 他国との交流時に似たようなギルドを知り、王自らが種々の権利を与えて市民に設立させたのがこの『討伐ギルド』だ。

 主な仕事は名の通り、危険な害獣や魔獣の討伐。雑務ギルドと同じく、領民からの依頼をギルド員に受けさせ解決する、という手段を取っている。

 荒事を扱う関係上、傭兵のように武力を持った人間がギルド員となることから、『傭兵溜まり』と様々な感情と共に呼ばれているのだとか。特に、依頼内容が干渉することもある雑務ギルドや領地を守る兵士などからの覚えはよくない。

 ともあれ、その目的と設立者から、この討伐ギルドは国難に対応するために動員されることもある。兵士は簡単には動かせず、しかしどうしても戦力が必要な今回のような案件などが最たるもの。

 これを拒めば権利を取り上げられるのだから、ギルドに拒否権はない。

 故に、今回の斥候を求める案件の窓口は、この街の討伐ギルドとなっていた。


 クレイオスの願いが通じたのか、そんな討伐ギルドの扉が開く。無論、出てきたのはディルら三人と――見覚えのない男。

 その男は磨きあげられた鉄の鎧を着込んでおり、腰には華美でない程度に装飾のなされた剣を携えている。鎧の下には鎖帷子が掛けられ、鉱人族ドヴェルグよりも立派な装備をしていた。

 クレイオスが初めて見るそんな出で立ちの中でも、特に目を引くのがショルダーアーマーに刻むように施された模様だ。

 盾の形の中に、熊のような獣の猛る横面が描かれている。赤と金で装飾されていて、まるでその模様を見せつけるかのような派手さなのだ。

 そんな男は鎧にふさわしく清潔な姿で、後方に撫で付けられたブロンドの髪は朝霧の中だというのに不思議と輝いて見える。髭もさっぱりと剃られ、角張った顔はつるりとしていた。

 だが一方でその碧眼はどこか気だるげであり、一つ鼻を鳴らすと正面のクレイオスを胡乱げに見やる。


「フン。そこの赤毛が仲間か?」

「え、ええ。そちらの……その三人も斥候部隊だそうです」


 男が確認するようにディルへ水を向けると、何故か彼はとても緊張したような面持ちと声で返答した。

 その様子にクレイオスは違和感を覚えるも、ふと気づけばイドゥやアリーシャもあまり良い顔色ではない。彼らの意識はブロンドの男に集中していて、一挙一動に緊張してるように見えた。

 何をそこまで気を揉んでいるのか、クレイオスにはまるでわからず困惑する。

 そんな男はディルの言葉でようやくテティスらのことも認識したようで、視線をそちらに移すと形の良い片眉を跳ね上げた。

 その視線の先には、エスカペオス――鉱人族≪ドヴェルグ≫がいる。

 彼をじっと見つめる男は、口の端を歪めて面白がるような言葉を放った。


「……ほう、山のアナグラ族か。王都ならともかく、こんなところに居るとは珍しい」

「あぁ?」


 そんな心底意外そうな声に、そっぽを向いていたエスカペオスもようやく凶相と共に振り返る。

 そして黒曜石の目でギロリと男を睨み、髭が囲む口を勢いよく開かんとして――彼の肩の模様を見た瞬間、それをすぐに閉じた。その代わり、盛大な舌打ちを漏らす。


「チッ、ノッポどもの貴族ノービリスさまかよ」

「いかにも、シューアデス家のモイラスだ。……しかし、貴様らアナグラ族が土人族ヒューマンの身分階級に付き合う必要がないと言えど、その態度は気に食わんな」

「そうかい。気が合うじゃねぇか。俺もお前さんのデケェ態度は嫌いだ」


 モイラスと名乗った男とエスカペオスの間で、投げられた言葉が火花を散らす。

 いかにも険悪な雰囲気に、当事者達とクレイオス以外の全員の顔色が加速度的に悪くなった。まるで今にも襲い掛からんとしている魔獣ベスティアを見ているかのような緊張感だ。

 特に、アリーシャはクレイオスをちらちらと見て、視線で「静かにしてて!」と訴えているほど。青年が不思議に思いながらも黙っていたのは彼女に従っているからだった。

 数瞬、そんな最悪の空気がギルド前に漂うも――モイラスが鼻を鳴らし、何事もなかったかのように歩み出すと、ほんの僅かに霧散していく。

 緊張を多大に孕んだ空気から解放されると、周囲の人間は安堵したようにほっと胸を撫で下ろした。あの陽気なテティスさえも無言でエスカペオスの後頭部を小突くほどなのだから、よほど生きた心地がしなかったのだろう。尤も、鉱人族ドヴェルグが気付かない威力でやる分、彼はまだ余裕がありそうだが。

 そんな彼らだが、息つく暇もなく、ギルドから離れていく男から声が飛んでくる。


「何をモタモタしている。村までの馬車は用意してあるのだ、とっとと行かんか」

「は、ハイ!」


 そんな鋭い声に慌てて従う斥候の面々に、やはりクレイオスは首を傾げつつも黙ってついていくのだった。







 モイラスが用意しているという馬車は街の門にあるらしく、先陣を切る彼に一行は黙してついていく。

 お喋りなテティスとディルさえも黙りこくる中、クレイオスは声を潜めてアリーシャに問いかけた。


「なんだ、この空気は。あの男は何者なんだ?」

「……やっぱりわかってなかったのね」


 疑問符だらけの表情の青年に、アリーシャは危惧が当たっていた、とため息を漏らした。それは呆れではなく、彼が黙っていてくれたことへの安堵だ。

 それから、こちらを一顧だにしないモイラスをちらと見てからクレイオスに答えを返す。


「彼はこの国の貴族さまよ。さっきもそこの……鉱人族ドヴェルグさんが古い言葉で偉い人ノービリスって言ってた通り、私たちより身分が上の人なの。セクメレル伯みたいな、ね。だから、逆らったり、気分を害すような態度をとったら、それだけで私たちを殺せちゃうのよ」

「……そんなに強いのか」

「力じゃなくて、権力がね。彼が命じれば、一瞬で私たちは衛兵に追い回される身分にされちゃう、ってこと」


 だから不躾な態度で話さないでね、と彼女は念を押すように付け加える。クレイオスは黙って頷くが、その表情はわかっているかいないのか、微妙なものだった。

 『貴族』なる人間と一緒にいることで皆が緊張せざるを得ないのは理解したが、だからといって自分はどうしたらいいのかわからないのだ。それでもクレイオスは、せめて一言も口を利かないのが一番だ、と辛うじて納得する。

 そんな様子にアリーシャは一抹の不安を覚えるも、彼女とてどんな対応が一番なのかわからない。故に、彼女は「どうかおかしなことになりませんように」と祈ることしかできなかった。

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