34 暴虐悪鬼(3)
モイラスが用意したものは、ハバの商隊のソレとさほど拵えの変わらぬ二台の幌馬車だった。
それらに四人ずつで分かれて乗り込む前に、モイラスは馬車の向かう目的地――否、斥候の行程を皆に話す。
「――さて、我々斥候はこれからこの馬車に乗って、メオル村へ向かう。その後、アーマン、キトゥラ、カイニスの村へ徒歩の速度で順に見て回ることになっている。その間の報告は、部隊長に任ぜられた私にするように」
ここで初めてクレイオスが知ったように、この斥候部隊のリーダーを務めるのはこの貴族の男である。
そこに疑問を挟む余地はないようで、誰もクレイオスのように不思議そうな顔はしていない。エスカペオスでさえそうなのだから、貴族というのはそういう役割があるのだろう、と青年は納得する。
そんなモイラスは有無を言わさぬ語調でそう言った後、数瞬、斥候の面々を色の濃い碧眼で睥睨した。
彼はそのまま馬車へ向かってしまい、何が機嫌を損ねたのかわからぬ平民たちは困惑したようにお互い目を合わせた。
しかし一方で、唯一の異種族たる
それを見て、仲間のテティスが思わず問いかけた。
「彼が怒ってる理由がわかるのかい。エスカペオス?」
「……テメエらノッポの習慣は知らねえがよ。
「…………あ」
青年の問いに、エスカペオスは意外にも素直に答えた。
そしてその答えに、ディルが「しまった」と言わんばかりの声を漏らして表情を青くする。
貴族の言葉に対して無言で立ち尽くすのは、いかにもまずい。それで罰せられなかったのは彼の温情か、それとも平民にそれほどの礼儀を期待していなかったのか。
事実として、上の立場の人間への正しい礼儀作法を身につけた人間はこの場には居ない。神官のイドゥとテルナはある程度のものを身に付けては居るが、実に最低限のものだ。田舎者二人に関しては言うに及ばず。
気をつけてはいても、このように失敗してしまうのだからどうしようもない。いずれ首が飛ぶのは時間の問題と思えてしまい、アリーシャは思わず頭を抱えた。
とはいえ、あまり悩んでいる暇はない。そのまま突っ立ってのろまな有様を見せてはモイラスを余計に怒らせる可能性がある。
故に不安を抱えながらも七人は早々に人数を分け、乗り込んだ馬車と共に暁のカリオンを飛び出たのだった。
*
まだ暗い街道を、クレイオスら斥候が乗る二台の馬車が早足の速度で駆けていく。南カリオン及びその周辺は王領――つまりヒュペリウス領であるため、その街道はセクメラーナ周辺に比べれば比較的整備されたものだった。
そのおかげで馬車の上下の揺れはマシであるものの、それでも幌の中の空気は、クレイオスをして居心地が悪いと思わせる状態なのである。
先頭を走る馬車に居るのはモイラス、ディル、クレイオス――そしてエスカペオスだ。
御者も含めてこのような男所帯となっているのは、後方の馬車に少女たちとテティスを詰めたためだ。万が一モイラスの気を損ねた時に、彼女たちに累が及ばない様にしようというディルの気遣いである。
そのことにエスカペオスが是とも非とも言わなかったためにこうなったが、テティスの方をこちらに連れてくればよかった、とディルは後悔の表情を以て無言で語っていた。
ギルド前での会話の通り、貴族と
馬車に乗り込むときでさえ、エスカペオスにモイラスが「手を貸してやろうか?」と面白がるような笑みで言い放っていたほど。
当然、それは彼の気遣いではなく、
それに対してこめかみに血管を浮かせながらも、「いらねえよ」と乱暴に言い放つのみに留めてくれたのはエスカペオスなりの配慮であろう。馬車に乗る前にテティスが何かを言い含めていたようなので、それに従ってくれたらしい。
とはいえ、気が短く偏屈な
それは金属の立方体で、無骨な指先が動くたびに表面の彫刻模様も一緒に動くという代物。模様を組み合わせて何かの形を目指して指を動かしているようで、クレイオスはその物体に実に興味を惹かれていた。
しかし、そこで話しかけるわけにもいかなくなったのは、やはりすぐさまモイラスの機嫌が急降下していったからである。
なにせ、エスカペオスの操る金属は動くたびにガチャガチャとやかましい音が鳴るのだ。馬車の揺れと断続的に鳴るうるさい音、そしてモイラス自身が抱く何らかの不満から、彼の仏頂面はディルが顔を蒼白にさせるほどの険しさになっている。
そんな両者のどうしようもない相性の悪さから、馬車内に最悪の空気が生み出されていた。これでは如何にディルといえど、口を噤んで必死に外の様子を窺っている振りをせざるを得ない。
クレイオスもアリーシャに言われていた通り、下手なことは言うまいと黙っていた。
そうした二人の考えと会話を拒む者二名によって、馬車内はしばし無言の状態が続く。しかし、それは不意に視線を挙げた者――エスカペオスによって破られたのだった。
「おい、赤ノッポ」
「……俺のことか?」
「ああ。その右手の
頑なに口を閉ざし、手元に集中していた彼は、何を思ったか対面のクレイオスに突然話しかけたのである。
一瞬、誰に話しかけたのかわからなかったクレイオスだが、視線と意識がこちらに向いているのを感じてどうにか反応した。何の用だろうか、と
その視線を辿り、彼が釘付けになっているものは
先刻までの厳めしい顔からは想像もできないほど目を見開いて篭手を見つめるエスカペオスは、しばしの沈黙の後にようやく言葉を続ける。
「ちょっと、見せちゃくれねえか。少しでいいんだ」
「……悪いが、これは大事なもので――」
「ほう、なかなかの代物じゃないか」
そこでこれまた驚くほど
故に断ろうとしたところで、横合いから面白がるような声が割って入る。当然、四人しかいない空間で誰の言葉だなどと疑問に思う余地はない。モイラスが二人の方に向き直り、同じように黄金の篭手を見ていた。
何故二人して急に――と困惑したところで、青年ははたと気づく。馬車に乗るまでは全身を隠してしまう外套を羽織っていたが、今はそれを使って槍を包み、馬車の隅に置いているのだ。
篭手は露になっている状態で、彼らからしてみれば、クレイオスが意外にも立派な装備を身に着けているのにようやく気付いたというところだろう。
そこまでは良いが、問題は貴族の男に目を着けられてしまったということ。どう対応すればよいかわからず、答えに窮していると、目の前のエスカペオスがさらに言葉を募ってくる。
「なあ、頼む。そんなに立派な武具は見たことねえ。きっと名のある
「アナグラ族にそこまで言わせるか。ますます気になるな。近くで見せてみろ」
エスカペオスの必死な言葉に困っていると、今度はモイラスがますます興味を持って手招きしてきた。これにはクレイオスもほんの僅かに顔色を変える。
まさに板挟み、対応する手段が思い当たらない。必死に頭をフル回転させる青年だが、対人経験の乏しい彼では黙りこくる以外に何もできなかった。
暫時の沈黙を挟み、それでも言葉の出てこないクレイオスにモイラスの顔色が変わっていく。面白がるような表情は、どんどん不機嫌になっていくのだ。それに比例して、口も挟めないディルの顔色も悪くなる。
そして、ついにモイラスが怒りの表情となって身を乗り出した。
「……平民風情が俺に逆らうか! 見せろと言われたならさっさと見せんか愚図め!」
罵声を浴びせ、貴族の男は狭い幌馬車の中でクレイオスに向けて一息に距離を詰めた。それに一瞬反応して手を出しかけた青年は寸でのところで抑えるも、結果として右手を差し出す形となってしまう。
その右手をモイラスが引っ掴み、黄金の籠手を剥ぎ取ろうとして――
――その瞬間、前触れのない炸裂音が耳を貫いた。
バヅン! という落雷のような音と共に、モイラスの体が勢いよく後方に弾け飛ぶ。誰もが反応する間もなく男は幌馬車の骨に後頭部をぶつけ、目を回して倒れこんだ。
モイラス以外の全員はいったい何が起きたのかを目撃し、故に驚きに身を固める。
彼に掴まれた黄金の籠手が鋭く発光し、その直後に音と共に男の体を斥力によって弾き飛ばしたのだ。
籠手そのものが謎の力で突き飛ばしたかのような現象に、皆が口を閉ざす。無論、その持ち主も例外ではない。
それから少しして、事の次第を遅れて理解したディルとクレイオスは一気に青ざめた。訳がわからないにせよ、貴族を怒らせた末に吹き飛ばしてしまったのだ。
これでは処刑となることもあり得る――とディルは知らず粘ついた唾を飲み込む。
それでも恐る恐るモイラスの様子を窺えば、男は――完全に気を失っているようだった。
だからといってやってしまったことがなくなるわけではないが、二人はひとまず安堵のため息を吐く。それから、ディルが戦慄した視線をクレイオスの籠手に向けた。
「それ、そんな恐ろしい物だったのか……」
「なるほどな。それで触らせちゃくれなかったっつーことか。魔法だか呪いだか知らねえが、オレも流石にもう触ろうたぁ言わねえよ」
青年が呟くのにあわせ、エスカペオスも身を引いて諦めたように鼻を鳴らす。目だけは相変わらず黄金の装飾を羨ましそうに見ているが、体の方は少し距離をとっていた。
一方のクレイオスとて、こんなことになるとは想像もしていなかった。当然だろう、幼馴染みとて安易に触ろうとしなかったのだから。誰にも触らせなかった故に、こんな事象が起きるとは知らなかった。この分では、槍も同様かもしれない、と心の片隅で危惧する。
だが、それを馬鹿正直に言うことはなく、あえてエスカペオスの言葉に訳知り顔で頷いておいた。この場を乗りきることにしたのだ。
ぎこちない演技だったが信じてくれたようで、
「……そこの
「だと、いいんだけどなぁ……」
偏屈な性格なりの気遣いか、エスカペオスはそんな気休めを口にしてくれたが、そんな都合のよいことは
ディルは青い顔のまま頭を抱え、「こんなことになるなんてなぁ」と重たい息と共に言葉を吐き出した。
その姿にとても申し訳ない気持ちになるクレイオスだが、彼とてできることはもう祈ることのみ。
神より賜った
*
結果的に、どうにかなってしまった。
太陽が天頂を過ぎて少しした頃にメオル村に到着したのだが、それに合わせてようやくモイラスも目を覚ましたのだ。
唸りながら身を起こす彼に、緊張に強張る青年二人だったが、直後に放たれた言葉に思わず呆けてしまう。
「いつの間に寝ていた……? チッ、こんなぼろ馬車で寝こける羽目になるなど――おい、何を見ている。見世物ではないぞ」
と、見事に意識を失う直前のことを忘れていた。
その後も、妙な体勢で寝ていたせいで痛む節々を気にして、クレイオスのことを特別意識している様子はなかった。
本当に
朝にモイラスが言っていた通り、ここからは徒歩での索敵となる。道中の村では情報収集と休息を行い、五日ほどかけて最後の村まで移動するとのことだった。
このメオル村はその第一歩であり、武装している一団がやってきて何事か、と集まる村人にモイラスが声を張り上げる。
「我こそは王都より命を受けて参った王都西門守備隊が一員、シューアデス家のモイラスである! 村の長は
その名乗りを耳にした村人の反応の変化は劇的で、瞬く間に上から下への大騒ぎとなった。
何せ、家名を持つことを許されるのは貴族のみ。平民は名前のあとに父の名と性別を示す言葉を組み合わせたもの――アリーシャであれば
故に名乗りのみで目の前の御仁が何者かを知り、大勢が口々に「貴族様のお越しだ!」と悲鳴のように叫びながら一方向へと走っていってしまう。
皆が皆、村長宅があるであろう方へ行ってしまったので、斥候たちの前には誰もいなくなってしまう。それを見て、やはりモイラスは舌打ちした。
「チッ、一人くらい案内に残らんか。貴族を野っ
などと、ぶつくさと文句を垂れながらモイラスは村の中へと足を踏み入れる。向かう先は村人が走っていった方なので迷うことはない。
その一歩から、一波乱ありながらもクレイオスたちの斥候としての活動が始まった
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