31 潮纏う港町(3)

 さっそく渡航費の稼ぎ方を話し合った四人だったが、その時間はさほど長くはなかった。

 結局のところ、旅人である二人が路銀を稼ぐ手段と言えば、手荷物を売るか、ギルドのような場所で仕事を貰い、真っ当に働くか――そんな二択しかないのだ。それ以外となると、星神ステラに顔向けできぬ犯罪に手を染めるくらいしかないだろう。そんなことは当然、誰もよしとしなかった。

 故に早々に結論を下した四人は、実のある話もできないまま席を立つ。


「根無し草じゃ、こんなもんだよな……悪いな、大したことも言えなくて」

「ううん、相談に乗ってくれて助かったわ。結局、ギルドを使えばいい、って確信できたわけだし」


 ディルが眉尻を下げて謝るも、アリーシャは笑顔で気にしていないように首を振る。自分よりも経験豊富な二人の意見と、己の考えが一致していたことで自信を持てたからだ。

 そんな彼女の言葉に、赤茶の短髪をかき回して青年は「そう言ってくれると助かる」と笑みを浮かべる。それでも申し訳なさそうな様子であるのは、生粋のお人好しだからだろう。

 それからディルは窓から外のように目をやり、その表情を曇らせた。彼の表情と同じく、空の様子は曇り空であったからだ。

 「一雨来そうだな」と零してから、赤茶髪の青年はアリーシャに外を見るように促しながら提案する。


「天気も悪くなりそうだ。雑務ギルドに行くなら早いうちがいいと思うし、今から行くか?」

「あら、ほんと……じゃあ、そうするわ。早いとこ報酬も欲しいし、どんな仕事があるのか見ておきたいもの」

「それじゃあ、私が案内しましょう。この街の雑務ギルドは川沿いにあってわかりやすいけど、街自体は迷いやすいですから」


 アリーシャが彼の提案に頷くと、その隣でイドゥが笑顔で案内役を買って出てくる。少し前の言葉は本気だったようだ。

 ディルもまた、「俺も行くよ」と背筋を伸ばしながら同行を申し出る――が、これはイドゥが即座に却下してしまった。


「ダメです」

「えっ、なんでだよ!」


 あまりにすげない拒否に、ディルがびっくりしたように勢いよくイドゥに振り返る。

 しかし、対する彼女はむしろ呆れたような顔色で、腰に手を当てて食堂の入口を指さした。


「忘れたの? ディルには今日仕事があるでしょう」

「ディル兄ちゃん! 人手が足りないから荷運び手伝ってくれなきゃ困る、って昨日話したじゃん!」


 その動きにつられてそちらを見れば、いつの間にかそこにはアヴ少年が。腰に両手を当てて仁王立ちし、頬を膨らませてディルに怒りの声を叩きつけた。

 彼の言葉でようやく自分の約束を思い出したのか、ディルは露骨に表情を「しまった」というように決まり悪げにする。それから慌ててアヴのもとへと駆け寄った。


「悪い悪い! 今行くから!」

「まったくもう! しっかりしてくれよ!」


 怒るアヴを宥めながら、ディルは入口の扉の向こうへ消えていく。その直前、クレイオスとアリーシャに身振りで「ごめん」と告げ、行ってしまった。

 そんな慌ただしい彼にクレイオスは薄い笑みと共に手を振って送り出す。

 残ったのは三人。思えば、クレイオス自身はあまり会話を交わした覚えのない魔法師のイドゥだが、その物腰の柔らかさとディルの手綱を握るしっかりした性格は好ましいものだった。

 彼女なら安心だろう、と心中だけで呟きつつ、イドゥに向き直って「それじゃあ、頼む」と軽く頭を下げる。

 対し、魔法師マギア・カネラーの少女は落ち着いた笑顔で「こちらこそ」と返したのだった。







 曇天の下、イドゥの案内で二人はカリオンの街を歩いていく。

 もうそろそろ朝の二度目の鐘が鳴ろうかという時分であるため、やはり街のどこもかしこも忙しない様子だ。

 大通りでは馬車がいくつも行き交い、そのほとんどは港から出たり、逆に港へと吸い込まれていったりしている。荷物の多くはやはり魚のようで、近くを通るたびに塩辛さと生臭さの入り混じった独特の臭気が鼻を衝いていた。

 慣れない匂いに、あっという間に山の狩人二人は揃ってげんなりしていたが、一方のイドゥは慣れたものであるのだろう。むしろ懐かしむように通り過ぎる馬車を見送っていた。


 そんな大通りを馬車の流れに沿うように進んでいけば、ついに三人も港に出る。

 見たことのない『港』に期待を膨らませ、通りを抜けた二人の目に移ったのは――想像よりも、ずっと開けた場所だった。

 目の前には、何にも遮られることなく左右に広がる大河。正面の対岸は小枝のように小さく、あまりにもスケールが違いすぎて、目の前全てが未知の領域にすら感じられるほどだ。

 そしてこちらの岸辺には、馬車どころか建物よりもずっと大きく感じられる物――『船』が沈むことなく川面に浮いているのだ。それも一つや二つではなく、今しがた岸から離れていくものも含めれば、五隻。

 岸辺の船には橋が架けられ、その上を何人もの男たちが重そうな荷を抱えて行き来しており、彼らが乗り込んでも船は微動だにせず沈む様子は見られない。

 そんな、初めて見る港と船の様子に、山奥の住人であった二人は呆けた面を晒して停止してしまっていた。

 彼らの驚きがわかっているのか、間抜け面が面白いのか、イドゥがくすくすと笑って二人に声をかける。


「どうですか? 港は」

「……う、うん。凄いわ。こんなに大きな川もだけど、あんなに大きなものが浮いたりするのね」


 話しかけられてようやく正気に戻ったアリーシャは、自身の醜態に耳まで真っ赤にしながらも正直な感想を漏らした。目の前の光景に圧倒されたのは事実だからだ。

 クレイオスもまた無言で頷き、驚いたことを肯定する。そして興味の赴くままに目を皿のようにしてあちこち眺める彼は、やがて何かの違和感を捉えた。

 その正体を探るようにさらに注視し、そしてすぐに片眉を跳ね上げて原因を理解する。


「イドゥ、あの船だけ形が違うのはなぜだ?」


 イドゥにそう問いながら、クレイオスは一隻の船を指さす。

 それは特に大きな船だが、他の船と最も違う点は、左右から突き出す棒――かい――も、真ん中から天に伸びる柱――帆柱ほばしら――もないことだ。

 それこそ本当に、変な形の大きな箱にしか見えないのである。

 クレイオスの指さす先を見たイドゥは、笑顔になってその問いに答えた。


「いい所に目を付けましたね。他が普通の船で、あれが海神船なんですよ」

「え? あれが王都に行くの?」

「ええ。複数人の海神マレラル信者の権能フィデスで動かしますから、余計なものは要らないんです。ですから、他とは違う形になっているみたいですね」


 彼女の返答に、アリーシャが意外そうな声で「そうなんだ」と呟く。彼女としては他の色々とついた船が海神船だと思っていたようで、シンプルな見た目である目的の船に驚いていた。

 一方で、クレイオスもそのことに驚いていたが、それ以上にもう一つの疑問に気を取られる。すぐさま、それを隣の案内役の少女に問いかけた。


「じゃあ、他の船はなんなんだ? 王都じゃなければどこへ行くんだ」

「それはもちろん、対岸の北カリオンや、バルドリッグ領の港町ですよ」


 事もなげに答えたイドゥだが、二人にはまるで意味が分からず首を傾げる。顔中に疑問符を浮かべているようなその表情に、対するイドゥも思わず訝しげな表情になった。

 だが、すぐに二人が田舎者であることに思い至ったようで、「ああ、ごめんなさい」と一言謝ってから説明を続ける。


「このシウテ川を挟んだ向こうにあるのがバルドリッグ領なんです。そしてほら、ここからもちょっとだけ見えるんですけれど、ちょうど対岸に街があるのがわかりませんか? あれが北カリオン。そしてこちらが南カリオン、ということです」


 イドゥの白い指が指す対岸を目を凝らして見てみれば、確かに小指の先ほどの大きさで街のようなものが対岸に見てとれた。それを見てようやく、今しがた出航した船はそちらへと真っ直ぐ向かっていることにも気づく。

 川を挟んだこちらと向こうで、物流と共に船の行き来をさせているのだろう。それがわかったアリーシャは、改めて国の広さというもを実感し、感嘆の声を漏らす。

 馬車で三日かかる移動距離というのは旅を始めたばかりの二人にとって相当なものだが、それに匹敵する領地というのはこの川の向こうにも存在するのだ。それどころか、南には同じような川がもう一つあり、さらにその向こうにももう一つ領地が存在する。

 そんな二つの川を持つのがこのノードゥス国であり、だからこそ自身が生きていた場所の狭さを改めて実感させられた。故に、それ以上に広いであろう大地テラリアルを歩かねばならない使命に、二人の中に不安が鎌首をもたげてくる。

 この先、本当に大丈夫だろうか、と思わず二人は顔を見合わせてしまった。

 そんな二人にイドゥは心配げな表情になるが、首を突っ込むべきではないと判断したのだろう。何も訊かず、「行きましょうか」とだけ声をかけ、雑務ギルドの方へ先導する。

 それについていく二人は、自らの見通しの甘さに肩を竦めるのだった。






 到着した南カリオンの雑務ギルドは、おおよそセクメラーナのソレと違いはなかった。打ち付けられた看板の絵柄も、内装もだいたい同じである。違いと言えば木造か石造かといったところだが、気にするべきところではない。

 そこでアリーシャは報酬片を実際の報酬と交換し、その上で護衛道中の出来事をギルドに報告する。

 話を聞くギルド員は、初めは懐疑的な様子であったが、イドゥも同じように証言してようやく目の色を変えた。どうやら彼女――というよりは彼女の雇い主のハバと知り合いだったようで、その護衛が言うのなら、と理解を示したのだ。

 その様子を見て、アリーシャはイドゥとディルが付いてきたがった理由の一つを理解する。万が一、クレイオスらの証言が門前払いされないように、と気を回してくれたのだ。

 どこまでお人好しなのやら、と胸中で呆れながらも、アリーシャは求められるままに見たこと、感じたことをギルドに報告し、素直に聴取に応じる。

 魔物モンストルムの再来という、この恐ろしい事態。しかしギルドの人間は、アリーシャの報告を聞きながら困惑しているようだった。

 緊張、恐怖、焦燥――そんな感情よりも困惑が先に来ているのは、かの化け物を直接目の当たりにしていないからであろう。

 脅威というものは、実際に出会わなければその恐ろしさを理解できないものだ。姿形の不気味さも、力の強さも、魂に訴えかけられる『敵』への不快感も。

 だからこそ、こんな様子で大丈夫だろうか、とクレイオスは密かに心配するも、彼に出来ることはその脅威を訴えることだけ。現場にいた人間として彼らの脅威性を語るも、いまいち通じていないのは明らかだった。


 終始、そんな手応えのままに聴取は終了し、三人は一抹の不安を感じながらも奥の部屋から依頼書の張り出される表へ戻る。

 結局、どこから来ているのかも、どれくらい居るのかもわからない相手に取れる手段など持たないのだ。ならば、今は自分の都合を優先させるしかない。

 そんな風にアリーシャは自分を納得させ、ひとまず非ギルド員用の依頼書に意識を向ける。とにかく今は、路銀を稼がねばならないのだ。

 少しでも報酬の良いものを探すべく、目を皿のようにして依頼書を一つ一つ見ていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る