12 邪龍討伐

 大地を踏み割る跳躍一つで、一瞬にして邪龍の視界からクレイオスが消え失せる。

 凄まじい加速を見せる彼を邪龍は目で追うことはできないが、しかし、四の瞳による感知領域から完全に逃れることはできない。その証拠に、緩い弧を描く右側の壁に着弾するように着地したクレイオスの姿を、アッローガンスは捉えていた。

 そこから壁を蹴ってこちらに殴りかかるクレイオスの拳を、邪龍は首を後方に引っ込めて紙一重で回避。直後、もう一方の頭部が攻撃を外したクレイオスへと勢いよく突撃する。

 しかし、クレイオスもまた、超加速した世界で正確に物の位置を捉えられるほどの動体視力を有していた。故に、邪龍のカウンターも完全に見切り、即座に全身の炎を前後に吹かして一回転する。

 直後、迫る頭部に向けて、炎の噴射を利用した高速の踵落としが打ち落とされた。風を切り裂き、落雷の如き一閃が頭部の眉間に炸裂する。

 その一撃で轟音と共に地面に叩きつけられる左頭。それを無視し、回避した右頭が鞭の如くしなってクレイオスへと勢いよく振り下ろされた。直撃すれば、筋肉の塊である巨蛇の全体重と勢いにより、どんな代物でも圧壊させるであろう一撃。

 対し、更にクレイオスは足の炎を燃え上がらせ、大気を吹き飛ばす勢いを利用してもう一度高速回転。その終端で振り上げた右脚が、叩きつけんと迫る邪龍の首へと正面から激突した。

 転瞬、インパクトの瞬間に右脚の炎を更に燃焼し、猛烈噴射。暗い洞窟空間に一条の流星を生み出しながら、更なる剛力と勢いを得た脚が、望外の重量たる鞭の如き一撃を正面から――蹴り飛ばす。

 爆音。

 邪龍の渾身の一撃を真正面から打ち破るという信じられない出来事に、蹴り飛ばされた右頭は信じられぬとばかりに蛇の威嚇音を発しながら勢いよく壁へと叩きつけられた。


 その有様を見据えながら、クレイオスは冷静に己のについて理解を深めていた。

 炎を燃やす――その意志ひとつあれば、全身の炎はそれに応えて燃え上がってくれる。それによって推進力が得られるのと同時、炎の燃焼具合によってその部分の筋力が飛躍的に上昇するのだ。ただでさえ凄まじい身体能力がさらに強化ブーストされるのである。

 反面、この炎には不思議なことに熱量がない。炎に包まれる己と殴り飛ばした邪龍を見る限り、火傷も焦げ跡もないのだ。例え邪龍の方は触れるのが一瞬であるとはいえ、肌から燃え上がる炎に触れる衣服に変化がないのはそういうことなのだろう。


 しかし、己の新たな力について思考を巡らせるのも、そこまで。

 クレイオスが地面に着地するのと同時、地面に叩きつけられていた左頭が地を這いながら黄金の瞳を血走らせ、大口を開いて青年に迫っていた。

 避ける暇もなかった紅蓮の青年は咄嗟に両手を上下に振り、食いちぎらんと喰らいついてくる顎門あぎとの牙を直接掴んで阻む。同時、両足を地面に突き立てて突撃の勢いを一気に殺すも、邪龍の全力の突撃は二条のわだちを地面に刻みながら青年を一気に壁際へと押し込んだ。

 そして同時に、アッロガーンスを包む風の鎧がクレイオスの全身を無数の刃で切り刻んでいく。

 奔る激痛に顔を歪ませながらも、決して屈するのことのないクレイオスは全身の炎を一気に燃やし尽くし、掴んだ邪龍の頭部を力強く前へと押し込んだ。


「オオオォォォ――ッ!」


 地下空間に響き渡る裂帛。

 この馬鹿げた怪力勝負の行方は――燃え上がる青年の一押しが打ち勝った。

 邪龍の突撃の勢いが壁の手前で完全に停止。そのまま牙をへし折らんと力を更に込めたクレイオスは、しかしその頭上でニタリと表現すべきほどに細められた黄金の瞳に気付けない。

 直後、クレイオスの全身を切り裂く疾風が突如として止む。

 そのことを不思議に思った瞬間――目の前の口腔が、その奥にある喉が、ぐわりと大きく開かれた。

 刹那、クレイオスが驚く間もなく、その奥から凄まじい突風が噴出。咄嗟にクレイオスは踏ん張るも、それでもその身体を一瞬にして吹き飛ばし、同時に彼の胴体の前面に袈裟懸けの壮絶な裂傷を刻み込む。


「がぁっ!?」


 臓器にまで達する傷に、痛みと不快感から勢いよく血反吐を吐きながらも、即座にクレイオスは全身の炎を燃焼。炎の力で傷を塞ぎつつ吹き飛ぶ身体の勢いを減衰し、壁に足から着地する。直後に壁を蹴飛ばしてそこから退避すれば、彼の居た場所をもう一方の頭が叩き潰した。

 すぐに地面に着地しながら、クレイオスは自身を反撃に移ることもできないほどの重傷であると判断する。その間にも、視界の端では大口を開いた左頭が口腔を大きく開き、こちらに狙いを定めていた。

 傷を塞ぐ時間を稼ぐため、逃げ回ることを選択したクレイオスは即座に跳躍しながら先刻の一撃に思考を巡らす。

 何をされたのか理解できないが、しかし今の身体に深すぎる裂傷を刻むほどの烈風を口から吐き出していたのはわかった。その瞬間に風の鎧が消えたのは、おそらく無関係ではないはずだ。

 それはつまり、風の鎧を生み出す力を、そのまま烈風を吐き出す力に変化させたということになるだろうか。訳の分からない怪物だとは思っていたが、これほどまでにデカいだけの蛇でないとわかると、やはり本物の魔物モンストルムだと思わざるを得ない。

 そんな相手と大立ち回りか、と苦い笑みを浮かべながら、クレイオスは足を止めず空間内を次々跳躍。その後塵を、片方の頭が吐き出す烈風ともう一方の頭の突撃が次々と粉砕していく。

 クレイオスが駆け、一歩踏み出すごとにその背後が塵に変えられていった。例えどれだけ頑丈になったと言えど、いずれの一撃も無防備に受ければ、未だクレイオスには死の危険が付き纏うことだろう。それでもなお、彼は恐怖に屈することなく前へ前へと疾駆していた。

 そんな、いつまでも続きかねない追いかけっこは、しかしクレイオスが唐突に方向転換して一直線に邪龍に立ち向かったことで変化する。それはつまり、ある程度傷が塞がったということ。

 突撃を敢行するクレイオスに、舐めるなと言わんばかりに邪龍の右頭が全身の筋肉を躍動させ、雷撃の如き鋭い突進で迎え撃った。

 両者の激突は直後のことであり――しかし、激しい衝突とはならない。

 全身の炎を燃やし、右ストレートの構えだったクレイオスは、しかし唐突に両足から紅蓮を噴射して空中へ跳び上がって機動力を発揮。激突する軌道を僅かにずらし、迫る蛇頭の鼻面にタイミングよく左手を突いて上方へと身体を翻せば、あっさりと邪龍の突撃を躱して見せた。

 それと同時に上空を奪った紅蓮の青年は、思い切り背中から炎を噴射して下へと急加速。両足の紅蓮さえも下方への加速に利用するように燃焼させ、突撃を空振りした蛇頭の付け根へと急速落下――一本の矢となって激突した。

 凄まじい勢いとそれに加わる蹴撃により、右頭はくの字に折れ曲がりながら苦悶の声と共に大地へと叩きつけられる。

 その上でしゃがみこんで着地したクレイオスは、容赦なく右腕を振り上げて追撃せんとし――即座に撤退を選択した。蛇体から転がり落ちる青年の髪を、左頭の放った烈風が切り裂いていく。

 どうにか烈風を回避したクレイオスだが、そこへ邪龍のプライドをかけて復帰した右頭が、薙ぎ払うように己の全身を振り回していた。

 すぐ傍に降り立った故に、クレイオスは咄嗟の回避もできず、反射的に全身の炎を更に燃やして右腕を立てて防御することしかできない。

 刹那――直撃。

 大質量と膨大な筋肉、遠心力を利用した鞭の一閃の衝撃は、クレイオスの防御を突き抜けて、身体の内側をとおして背中から吐き出される。内臓を直に突き動かされたかのような不快感にクレイオスが顔を歪めるのと同時、その邪龍に比べて遥かに小さな体は、放たれた矢の如く勢いよく吹っ飛ばされていた。

 岩壁に勢いよく叩きつけられ、瞬刻、青年の肺腑から全ての空気を吐き出させられた。だが、休んでいる暇はない、と真横へ苦しげな跳躍で飛び込む。直後、その後ろの壁を烈風が抉り取った。

 そこへさらに右頭が突撃を仕掛けてくるのを、クレイオスはふらつく身体を気合で抑え込み、力強く跳躍することで回避する。

 そのまま炎を噴射して双頭の巨蛇を軽々と飛び越え、反対側に着地した。同時に全身がズキリと痛んで表情が歪むも、それでも決して足は止めない。

 巻き上がっている砂塵に隠れるように、地を這うようにして一気に左頭まで疾走する。左頭は迫るクレイオスをその黄金の瞳で捉えるが、一方の右頭は紅蓮の青年の位置を探すように首を振っていた。やはり、双頭間で視界などの情報共有はないらしい。

 クレイオスはその確信を得ながら、さらに速度を上げて接近。

 対する左の蛇頭は真正面から迫る愚か者を嘲弄する笑みを浮かべ、すぐさまその口腔から己の邪権能マレフィデスたる烈風を発射した。

 大気を引き裂き、轟然と迫る刃の風。さらに頑健となったクレイオスでさえ当たり所が悪ければ即死する斬風だが、それに対し、青年の行った事は至極単純だった。


 ただ、己の力のみで正面から突破するのみ――!


 烈風と激突する瞬間、全身の紅蓮を前方に向けて一気に燃焼。爆発的に大気を押しのけた火炎の勢いは烈風の威力を大きく弱め、クレイオスの胴体に奔る裂傷と交差するような薄い切り傷を刻んだだけに留めた。

 結果、比較的軽傷でアッロガーンスの必殺を突破したクレイオスは、驚きに見開かれる黄金の瞳へ、固く握り込んだ右拳を振りかぶる。

 そして、背中と右腕から紅蓮の炎を全力燃焼。増強される膂力と前へと加速する推進力によって相乗的に増した拳の威力が、避ける間もない黄金の瞳へと全力で突き刺さる。

 柔らかい感触と共に一瞬で虹彩を打ち貫き、クレイオスの肩口まで腕が眼球の内側へと入り込んだ。

 腕一本という異物を頭部に突き込まれた邪龍は当然の如く、激痛と異物感に絶叫を上げ、クレイオスが更なる行動を起こすよりも早くその頭部を高々と跳ね上げた。そして苦悶の叫びを上げながら、前後左右に勢いよく振り回し、耐えかねた青年の身体が勢いよく大地の隅へと振り落とされ、叩きつけられる。

 そこからクレイオスが素早く起き上がれば、その眼前で双頭は顔を揃え、大口を彼に向けて開いていた。


「――ッ!」


 青年が咄嗟に跳ね飛ぶのよりも早く、双頭の口から烈風が噴出。逃れるより一拍早く、斬風が紅蓮の身体に直撃する。

 旋風の双撃がクレイオスの身体を切り裂きながら壁へと吹き飛ばし、叩きつけられた衝撃で動けない彼へ――二度、三度、四度、五度、と執拗なまでに連続して風の砲撃が撃ち込まれた。一撃ごとに凄まじい轟音が鳴り響き、この空間の上にある山すら微弱に揺らす。

 双頭という二つの砲台を駆使して交互に撃ち放つ、間断なき連射。それは巻き込まれた岩さえも粉微塵に変え、もはや肉片一つ残してやらぬという憎しみの篭もった連続爆撃だった。

 烈風の砲撃は、空間内に粉塵を朦々と巻き上げ、四十を数えたあたりでようやく停止の様相を見せる。動きを止めた邪龍は荒い呼吸を繰り返し、僅かに項垂れて疲労の様子を見せていた。

 さしもの邪龍も、邪権能マレフィデスをこれほど連続行使してしまえば、その行使に必要とする生体魔素ウィータ・マグにも限界が訪れたようだった。千年と数百年を生きた邪龍であれば、恐ろしい量のソレを保持していたのであろうが、さすがに底を尽いたらしい。

 荒い呼吸を繰り返し、大気中に在る魔素マグを必死に摂取して生体魔素ウィータ・マグの回復に努めんとしている。

 そして、己を脅かした不届き者を誅したことに満足しながら、怪我の回復のために眠りにつかんとした――その、直後。


 散々に風撃を撃ち込んだその場所から、神々しい紅蓮が天高く立ち上る。


 思わず鎌首をもたげ、信じられぬとばかりに目を見開く邪龍の黄金に、赤々と燃え盛る青年の姿が映り込んだ。

 吹き飛ぶ粉塵の中心で、ゆっくりと両足で立ち上がるその姿は、もはや傷のない場所を探せぬほどに傷だらけ。身に纏っていた革衣はもはや元がなんであったのかさえわからぬほど襤褸切れになり、その下の逞しい身体は肌の色が赤色かと勘違いしてしまうほど、血に塗れていた。

 一見して、立ち上がった死者。しかし、それでも彼は生きている。

 翡翠の瞳に爛々と戦意を滾らせ、不屈の魂がその全身で煌々と燃え盛っていた。

 その姿に、再び邪龍は畏怖を覚える。しかし、今度はその身から放たれる神威にではなく、あれほどの風撃を受けてなお立ち上がり、まだ立ち向かおうとするその心に、だ。


 ――これでは、いったい、どちらが魔物かいぶつなのだッ!?


 邪龍の知性が、そんな悲鳴を上げていた。それほどまでに、目の前のクレイオスを恐れ、すくみあがっている。まるで蛇に睨まれた蛙の如く、その総身を硬直させていた。

 対するクレイオスは、やはり満身創痍ながらもまだまだ戦うつもりでいた。流石に風撃の連射は死を覚悟したが、それでも全身の炎を全開にすることで耐えきって見せたのだ。

 目の前で硬直している巨蛇の烈風はこれで仕舞いのようだが、しかしこのまま肉弾戦に入っても終わりが来る気がしない。鱗は砕けるが、その下の肉身に殺しきれるほどのダメージを蓄積できる気がしないのだ。それは、蛇人間の時と同じだ。

 その上――クレイオスにも、そろそろ限界が訪れていた。

 流れ出る血の量や怪我の具合はもちろんだが、それ以上に、この身を包む紅蓮の炎が勢いを減じ始めている。やはり、炎は何かを燃やすことで勢いを増すもの。クレイオスの中のその何か・・が不足を見せ始め、炎は燃料不足になりかけていた。

 なればこそ、すぐにでも決定打が必要だ。蛇人間を確実に殺せる『槍』に該当する、そんな存在が。

 しかし、クレイオスの槍はもう砕けてしまっていて、代わりになるものは持ってきていない。

 どうしたものか――と僅かに周囲に視線を巡らせて。

 そして、見つけた。

 最後の可能性、命を賭すには些か皮肉と言わざるを得ないが、しかしこれしかない。

 迷っている暇はない。覚悟を即座に決める。

 腰を落とし、臨戦態勢に入ったクレイオスに対し、反応した――否、過剰反応した邪龍が咆哮をあげて突撃した。

 殺到する双頭を、真横に跳躍することで回避したクレイオスは、その途上で『それ』を拾い上げながら大地に足を突き立てて停止。追撃に迫る右頭を、すくい上げるようにして振り上げた右脚で思い切り蹴りあげた。

 顎下から思い切り蹴り抜かれた右頭は宙へと浮き上がるも、もう一方の左頭はその下を潜り抜けて大口開いて一気に迫る。

 対し、それを跳び上がることで回避したクレイオスは、宙の邪龍の右頭を蹴飛ばしながら踏み台にし、さらに跳躍した。

 蹴り飛ばされた勢いで右頭は真下の左頭に覆いかぶさるように叩きつけられ、両方の頭が凄まじい衝撃に一瞬の混乱を引き起こす。

 その刹那を利用して、クレイオスは己の残りの全てを費やし、全身の炎を一斉に燃え上がらせた。


 転瞬――仄暗い空間に、大輪の紅華が咲き誇る。


 そして、その右手に握られるは――砕き折った邪龍の牙。先ほど拾った物は、先刻自分で折ってやった代物であり、これこそがこの場で得られる唯一の武器だった。

 邪龍を、その邪龍の牙で打ち斃す。

 壮絶な皮肉だな、と苦い笑みを浮かべながら、クレイオスは燃え上がる全身を利用し、空中で投擲の構えをとる。

 そして、炎によって超強化された脚が、背が、腹が、肩が、腕が――全ての筋肉が唸りを上げて、邪龍の牙を振り下ろした。

 刹那、爆裂音。

 それは広大な空間を揺るがし、ただの音の衝撃が周囲の壁と天井に強烈な亀裂を刻み込む。


 投げ放たれた牙は、大気の壁を貫き、音の壁を容易く越え――煌く一条の閃光と化した。


 全霊を賭けた一閃は回避の須臾さえ与えず、重なる双頭に直撃し――抵抗すらなく両方を一瞬にして貫き、絶命させる。

 それどころか、双頭を突き抜けた閃光はさらに深く深く、大地テラリアルの奥深くへと突き刺さり、ノードゥス国全域に一瞬であれど微弱な地震をもたらしたのだった。




 これにて、青年の目覚め・・・は、英雄譚の幕開けとなった。

 あとに残るのは――旅立ちの時だけ。

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