09 憤怒の追跡

 駆ける。駆ける。駆ける。

 若草を踏みにじり、茂みを突き破り、生え並ぶ木々に激突しながらそれでも止まらず、紅蓮の怒りに燃え上がる青年は森を駆け抜ける。

 無計画の直進のようでいて、しかしその足取りは確固たるもの。彼には指標があり、目的地への道筋がはっきりとわかっていた。

 思考は真っ白でまともな考えもなかったが、しかし狩人としての目は彼に充分以上の情報をしっかりと与えているのだ。

 折れた木の枝、かき分けられた若草、乱暴に切り払われた茂み――それら全てが一方向に向けて伸びており、時折地面に残る三本指の足跡が蛇人間たちが通ったという確かな証拠だった。

 それらの情報を無意識ながらもしっかりと拾い上げ、そのおかげでクレイオスは完璧な追跡を実現している。

 スタミナのことなど考えない、掛け値なしの全力の追跡は凄まじい速度を発揮し、そのおかげで――鉛色の鱗に覆われた、一体の異形の背中を捉えることができていた。

 それを視界に収めるのと同時、クレイオスの胸の内で燃え上がる炎が更に爆発する。


 ――村を散々荒らしておいて、村人をたくさん殺しておいて、アリーシャを連れて行っておいて――よくも、よくもよくもよくも!


 まなじりを裂けんばかりに見開き、クレイオスは衝動のままに森を震わす咆哮を放つ。同時、大地を踏み割るほどの全力で踏み込んで加速し、背後の狩人に気付いて振り返らんとする蛇人間に一瞬にして肉薄した。


「オ――オオォォォッッッ!!!」


 矢すら追い抜かんばかりの超加速によってあっという間に蛇人間の背中に追いつき、突き出した槍がその頭部を捉える。過剰なまでの力を込めて放たれた一閃は狙い過たず蛇頭に直撃。もはや爆散と表現するに足る威力で蛇人間の頭部を穿ち貫き、バケモノに何が起きたのかを理解させぬまま絶命させた。

 一匹殺した程度で減ずる怒りではなく、クレイオスは槍にひっかかるその死体を乱暴に投げ捨てる。そして前方を見据えれば、その翡翠の瞳は数体の蛇人間の背中を見つけた。どうやら、村から撤退している奴らに追いついたらしい。

 それを見て犬歯を剥き出しにし、青年は溢れ出る怒りと闘争心に突き動かされるまま、噛み殺すように呟く。


「一匹たりとも逃さん――アリーを、返せ……ッ!」


 同時、一切の遠慮と躊躇を失った暴虐の狩人が、離れ行く蛇人間たちの背中を強襲した。







「ハァ……ッ! ハァ、ハァ……ッ!」


 荒い息を吐き、喘ぐように空気を求めながらもクレイオスの足は止まらない。

 その速度は始めに比べれば格段に落ちたものの、その目は逃げていく蛇人間たちの痕跡を確かに捉え、それを追って彼はまだ走っていた。

 身体能力に任せた全力の追跡劇は、十数体の蛇人間を次々と背後から貫き殺していったが、その中にアリーシャの姿を見つけることはできなかったのだ。故に、クレイオスは止まらず、まだ奴らを追って移動している。

 この頃になれば、さしものクレイオスも冷静を取り戻しつつあった。

 何故、こんなにも怒り狂って行動しているのか、と疑問に思うだけの余裕も生まれている。だが、それでも答えの出ぬまま青年は走り続けていた。

 アリーシャに何かある前に、一刻も早く助け出したい気持ちは変わらないのだから、例え単独での突撃がどれだけ危険であろうと、村に戻る気はさらさらないのだ。

 それに、何故だかクレイオスは今、身体がとても軽く感じている。

 村中を駆けずり回って蛇人間と何度も戦った後、こうして後先考えない全力疾走をしたというのに、揮う槍は軽く、曲刀を避けるステップは鋭い。返す刃の一撃はいつもよりも重く、簡単に蛇人間を屠れているのだ。

 故に、絶好調である今のうちに全てを解決したかった。アリーシャを助け、可能であれば蛇人間を殲滅したい。

 全ては幼馴染と村を守り切るために。


 そんな覚悟を抱き、走る速度を上げんとしたクレイオスは、不意に鼻を衝く血臭を感じ取る。

 蛇人間に獣でもやられたか、とすぐにこの情報を思考から捨てようとしたクレイオスだが、直後に聞こえた人間のうめき声に、即座に足の行く先を転換した。

 茂みをかき分け、血の匂いの強い方向に向かえば、匂いの主はすぐに見つかる。

 ひときわ太い木の根元に座り込み、力なくもたれかかるのは武装した男――なんと、マヌスだった。

 しかし、彼は己自身から溢れ出る血の海に沈んでいて、もはや手遅れであるのは明らか。左腕は半ばから失われ、無事な右手は裂けた脇腹から零れ落ちそうなはらわたを押さえるだけ。虚空を見つめる碧眼は茫洋としていて、正面に立つクレイオスを認識していなかった。

 それでも、クレイオスは膝をつき、彼に話しかける。


「マヌス」

「……ちく、しょう。な、んだ、あいつら……ち、くしょう、ちくしょう……」


 しかし、やはり反応はなく、うわごとをぶつぶつと呟き続けている。これでは何があったのかわからないが、身体のそこかしこに残る噛まれたような傷痕から、蛇人間にやられたのであろうことは簡単に推測できた。

 調査隊の護衛をしていた彼がなぜ、こんなところでやられているのかわからないが、クレイオスにできる処置がもうないのは明らかだ。

 クレイオスは緩く首を振り、「後で必ず来る」という贖罪の言葉を残して離れようとした――その耳に、マヌスの血と共に吐き出すうわごとが耳に入る。


「穴、掘った、だけなのに……なんで、あんなやつ、らが、出て、くるんだよ……くそ、くそ……ごめん、ごめん、な……俺、帰れ、ない……」


 思わず足を止め、振り返るも、マヌスはもうそれ以上の言葉を紡げなくなっていた。糸が切れたかのように右手は地面に落ち、生の気配は失せている。

 その姿に、静かに死神モールスへの祈りを捧げながら、クレイオスは再び前を向いて歩きだして思考を巡らした。

 穴を掘ったら、『奴ら』が出てきた。

 マヌスは今そう言ったが、この『奴ら』とは蛇人間のことだろうか。そう仮定するなら、銀鉱脈の調査の過程で蛇人間が出現したことになる。

 まるで訳が分からないが、しかし今思えば、蛇人間たちの痕跡もそちらの銀鉱脈の方へ向かっている気がするのだ。そう考えれば、この推測もあながちこじつけというわけではないだろう。

 実際に連中は山の地中に巣を作っていて、調査隊の調査によって地表に出られるようになったのではないか。となれば、蛇人間たちは一旦、巣を目的地として帰還しているのだろう。

 痕跡の方向とクレイオスの土地勘から、銀鉱脈の場所を正確に割り出す。

 おそらく、そこにアリーシャは居るのだ。

 その推測を信じ、クレイオスはそこへと駆けだした。




 そして調査隊が銀鉱脈を発見したという場所へ到着したのは、間もなくのこと。

 その到着と同時に、クレイオスは現場のその惨状に眉根を寄せて不快を露わにした。

 それほどまでに、山肌に開いた穴の周囲は惨劇に満ちていて、濃厚な絶望が未だに感じ取れてしまう。

 臓物は飛び散り、引きちぎられた手足が転がって、絶望と苦痛に満ちた表情のままの首が乱暴に転がっていた。くり抜かれた目玉はなぜか一箇所に集められ、長い腸はわざわざそこらの木の枝に引っかかっている有様だ。

 まるで人間で遊んだかのような、そんな悪意と稚気に溢れた惨状。これを為した連中のはしゃぎぶりと残酷さが窺えて、故にクレイオスはその生物の知性を理解できない。

 だが同時に、一歩間違えばカーマソス村もこうなっていたであろうということが簡単に理解できた。蛇人間たちが人間をそういう対象としか見ていないのは明白で、ならばアリーシャを連れて行った理由など一つしか思い当たらない。

 またも、胸の内側を焦がすような怒りが沸き上がる。

 歯を食いしばり、身体を勝手に突き動かす情動を抑え込もうとして、しかし感情制御の未熟なクレイオスにはそれができなかった。不思議なほど激しい感情はあっという間に理性のタガを吹き飛ばし、心が激昂する。


 ――どれほど、どれほど俺たちを愚弄すれば気が済むんだ、バケモノども!


 鉄木フェッルムの長柄が軋みの悲鳴をあげるほど槍を強く握りしめ、クレイオスは一息に駆け出した。

 開拓夫達の拡げた穴に飛び込み、一気に駆け抜ける。

 調査隊が置いたのであろう蝋燭にはまだ火が灯っていたため、クレイオスの視界に不備はなく、危なげない足取りで凸凹に突き出る地面を踏破していった。

 そして、灯った光には同時に影を生み出す力もある。故に、クレイオスの前方の壁の上に、踊る蛇人間の影が浮かび上がらせてくれる。

 それによって敵を発見するのと同時に、クレイオスはさらに加速。

 緩やかなカーブを描く洞穴を、その恐るべき走力で駆け抜ければ、すぐにでもクレイオスの翡翠の目は直接蛇人間の姿を捉えられる。

 会敵と同時にクレイオスは跳躍。対する蛇人間もクレイオスを見つけて慌てて曲刀を抜き放ったが、それより早くクレイオスは奴の真横の壁に着弾していた。

 そこからさらに壁を蹴って前方の地面に着地すれば、一瞬にしてクレイオスの身体は蛇人間の背後に回る。

 バケモノも慌てながらもしっかりとその動きに合わせ、振り返りながら剣閃を放っていた。しかし、それは着地と同時にしゃがみこんだクレイオスの紅蓮の髪を数本さらっただけで、空しく空を切る。直後、突き上げる槍の一撃が蛇人間の頭部を下から貫き、その生命活動を断絶させた。

 クレイオスが槍を引き抜くと同時に振り返れば、息つく暇もなく、洞穴の奥からやってきていた蛇人間と視線が合う。

 両者一瞬の停止の後、即座に行動を開始した。クレイオスが再び駆け出すのと同時、蛇人間が鋭い威嚇音を発して懐に左手を突っ込み、そして何かを取り出しながら薙ぎ払う。


「シャァッ!」


 直後、その左手から投擲される銀光。それを足を止めずに槍を振るうことで叩き落し、クレイオスは間合いに踏み込むのと同時に上段から得物を振り下ろした。

 全力の一撃を蛇人間は曲刀を構えて受け止める。が、しかし今回はクレイオスの膂力が相手のソレを圧倒し、目を見開く蛇人間が圧力に耐えかねて膝を折った。かつて互角だった力はなぜか、クレイオスが勝っているのだ。

 思わず膝を屈する蛇人間に対し、脚を振り上げて水月を蹴り上げんとしたクレイオスは、しかし前方の穴の奥からキラリと光る何かを視認。即座に無理やり身体を横に振った。

 直後、飛来する銀閃。風を切り裂いて胸を狙うソレは、避けきれなかったクレイオスの左肩口に着弾し、深々と突き刺さって激痛を奔らせる。回避行動と重なったその被弾は、目の前の蛇人間をクレイオスの槍から解放することとなり、この隙に蛇人間は素早く剣を脇に構えなおした。

 苦悶の声と共に顔を歪めながらも、クレイオスは痛みをこらえて次の行動へ。槍を立て、目の前の蛇人間が繰り出す薙ぎ払う斬撃を受け止めて、すぐに押し返しながら後方に跳躍して退避した。

 そして顔を上げて見据えた前方、穴の奥からぞろぞろと蛇人間たちが姿を現す。先ほどの威嚇音は、仲間を呼ぶ警告でもあったのだ、と遅れて理解した。

 面倒なことになった、と舌打ちを零しながら、肩口に突き立ったものを無理やり引き抜く。肉が抉れて痛みが増すが、刺さったままよりは楽であり、おかげで左腕はまだ動かせた。

 己の状態を確認しつつ、目の前を警戒しながら己を貫いた武器に視線を落とす。

 それは、鏃の形に粗く削り出した鉱石だった。三本指でも投げられるように溝が刻まれており、思いのほか重く、鋭い。これを蛇人間の膂力で投げ放てば、充分以上の威力を発するだろう。

 同時にそれは、今のクレイオスならそれ以上の結果を生み出せるということだ。

 痛みを思考から除去したクレイオスは、前を見据え、大きく一歩踏み出しながら右腕を振りかぶる。警戒したように動きを見せない目の前の蛇人間に向け、右手に握った鉱石の鏃を勢いよく投げ放った。

 充分な観察によってそれを見切っていた蛇人間は、その一投の軌道に振り上げる曲刀の動きを重ね、鏃を弾き飛ばす――が、しかし、同時に硬質な音を立てて曲刀が砕け散る。

 手の中に柄だけが残ったことに驚くバケモノの隙を突いて、紅蓮の狩人は一気に肉薄。

 突き出した一閃でその頭部を刺し貫いて絶命させ、続いて更に前方から放たれた鏃の鉱石を、間髪入れずに旋回させた長柄で上方へと弾いた。

 直後に吶喊してくる別の蛇人間の剣撃も長柄で受け止めて、弾き返すのと同時に死体から槍を引き抜く。そして、先ほど弾いた鉱石が落ちてくるのを左腕で掴み取り、痛む肩を無理して投げ放った。

 流石に利き手でない上に肩が痛む故に威力は落ち、蛇人間が振るう曲刀を砕く威力はないが、直撃すれば蛇人間にとっても十分な脅威と為り得る。故に、足を止めて投石を弾く蛇人間に対し、クレイオスは一拍の猶予を得た。

 クレイオスはその猶予を、全力の踏み込みに費やす。

 洞穴の地面を踏み砕き、轟音が重く反響。その踏み込みの勢いのまま、腰で回転しながら突きを打ち放った。

 結果、砲弾のような一閃は、受け流さんとした目の前の蛇人間の曲刀を馬鹿力で弾き飛ばし、その胸に着弾。容易に鱗と胸郭を貫通し、穴を穿った。

 すぐさまクレイオスは槍を引き抜かんとし――しかし、それは辛うじて息を残す蛇人間がその長柄を両手で握りしめることで阻まれた。それに驚くのも束の間、次の瞬間には更なる驚愕がクレイオスを襲う。

 刹那、目の前の蛇人間の首を突き破り、クレイオスに向けて勢いよく生え伸びる曲刀。

 避ける間もない一閃はクレイオスの右胸に直撃し、深々と突き立って内側の臓腑を傷つけた。

 せり上がる不快感と痛みに思わず血反吐を吐いて咳き込みながら、狩人は目の前の死体に蹴りを叩きこんで槍を無理やり引き抜きながら距離をとる。

 何が起きたのか、と眼前を睨み付ければ、別の蛇人間が瀕死の仲間から曲刀を引き抜いているところだった。なんと、仲間を後ろから貫くことで、クレイオスに一撃を与えたらしい。

 そこまでするか、と喀血によって口から垂れる血を拭い、クレイオスは戦慄する。

 やはり、理解できない知性。仲間さえも利用してこちらを殺そうとしてくるなど、考えられない。

 相手をただの獣と考えず、悪意と残虐性に塗れた恐ろしい山賊と考えた方がずっと正しいのではないか。否、それさえ不適切と思える。山賊のほうがまだ仲間意識があるだろうに。

 だが、それでも臆して逃げるわけはない。

 アリーシャを助け、二度と村を襲えぬように駆逐せねばならない。

 その覚悟を改めて強くしたクレイオスは。痛む胸を押して息を吸い込み、その翡翠の眼光に更なる力を込めて、目の前の洞穴に群れる蛇人間へと打ちかかった。

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