07 災禍の穴

「――こんなところか。これが俺の知る山の全てだ」


 太陽神ソールが御姿を隠す夕方。セルペンス山の尾根の東端で、クレイオスはそう締めくくる。

 そんな彼の目の前には、ようやく終わった喜びに呻き声を上げる開拓夫とその護衛達がぐったりと座り込んでいた。

 朝から半日以上かけて、村長に言われた通りにクレイオスはセルペンス山の情報を彼らに説明したのである。

 当然、テルバンを始め開拓夫たちは、現役で山を走る狩人から山の生きた情報を得られると聞いて、最初は大いに喜んでいた。しかしながら彼らの誤算は、クレイオスが山という膨大な情報の塊の全てを一日で伝えきろうとしているのに気付けなかったことであろうか。

 結果、とんでもない移動速度で山のあちこちを歩き回らされた上、肉食獣が根城にしやすい場所や食用草が群生している場所など、開拓に必要ない知恵まで教え込まれたのである。どこまで教えるべきかそうでないか、クレイオスには判断がつかなかった故の結果だが、歩き回らされた開拓夫達には災難な話となった。

 周りの護衛隊も始めは開拓夫たちと耳を揃えて聞いていたが、だんだん行軍が辛くなってくるにつれ、武具の重さがアダとなったのだろう。クレイオスが足を止めて説明している間に必死に休憩していた。


 ようやくこの強行軍が終わったことに安堵の声を上げる開拓夫と護衛隊。息一つ乱していないクレイオスは、そこまで疲れることだろうかと不思議そうに首を傾げる。

 しかしすぐに気にしないことにしたのか、彼は今回の行軍についてきていたもう一人の小さな村人に視線を向けた。

 それはクレイオスの腰上程度の身長しかない、メレアスという名の少年だ。近くのちょうどいい高さに突き出た木の根に腰を預け、今年で十歳を迎える体躯に見合わない量の汗を必死に拭っている。

 そんな彼に、クレイオスは声をかけた。


「メレアス、どうだった?」

「こ、こんなに山のこと覚えなくちゃいけないの?」

「覚えておいて悪い事はひとつもないな。同じように、知らないからと言って良い事が起きるわけもない。もしもの時の為になるし、常日頃に使える知恵にもなる。狩人を目指すなら、必要な知識ことだ」


 少年から返ってきた疑問に、クレイオスは真剣に答えを返す。きちんと全て覚えろ、と。

 少しの油断が命取りとなる狩人を救うのは、結局のところ弓の腕前や槍の技術ではなく知識なのだ、とクレイオスは考えているからだ。

 対するメレアスは緊張した顔で頷きを返し、言いつけを守るように指を折って今日聞いた知識を反復し始める。

 というのも、メレアスは狩人を目指している子供――つまりはクレイオスの弟子なのである。一年前にタグサムに頭を下げてきて、そのままクレイオスに押し付けられた弟子だ。

 農夫のバールの次男坊であるこのメレアスは、将来父の仕事は兄の物になることを知り、自分はどうするか考えた結果、弟子入りを志願したのだという。

 それだけのことを考えられるということは年の割には聡明で、しかも身体も丈夫だ。将来狩人になるだけの土壌はある、とクレイオスは思ったため、弟子入りを認め、今こうして開拓夫への説明ついでに連れてきたのだ。

 まだ知識面の充実を図っている段階であり、実際の狩りには一度しか連れて行っていない。それも罠を用いたものなので、アリーシャやクレイオスのような武器で仕留める狩りは一度もないのだ。

 だからといって、メレアスが何もできないわけではなく、彼はアリーシャが太鼓判を押すほどには弓術が得意である。

 しかし、クレイオスから弓術それを教えてやることはできない。その理由は実に単純明快で、クレイオスはドがつくほど弓がヘタクソだからだ。こればかりはタグサムも天を仰いでため息を吐くほどなので、仕方ない。

 故に、実戦的な教えはアリーシャに丸ごと持っていかれたので、クレイオスが彼にやってやれるのは、知識の伝達と狩りの心構え、森や山の歩き方、そしてたまに槍の振り方を教えることである。

 だが、そろそろメレアスにはほとんどのことを教えてしまっていた。クレイオスは気づいていないが、今日のように自分のペースで何事も進めるため、それに必死に喰らいついたメレアスは狩人としてあと少しで一人前になれるくらいになっている。そこでへばっている大人たちに比べ、今日のことを思い返す余裕がある姿がその証拠だ。

 一方でアリーシャによる弓術の訓練も問題はなく、本当にあとは狩りに出て心を乱さずに遂行できるか、という段階にまで至っている。

 それをなんとなく察したクレイオスは、座り込む開拓夫や護衛隊たちを視界の端に置いておきながら、メレアスに話しかける。


「メレアス」

「な、なに? 今思い出してるところだから――」

「明日、狩りに出るか」

「――ほんとっ!?」


 クレイオスの言葉に、頭を抱えていたメレアスがブラウンの髪を揺らしながら顔を跳ね上げる。そしてクルミ色の瞳を輝かせ、クレイオスに走り寄って確かめるように叫んだ。


「ほ、ホントに俺を狩りに連れてってくれるの!?」

「ああ。もちろん、弓を使う。今日の夜は準備を怠るなよ」

「うん、うん! こうしちゃいられない、はやく帰ろう!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、もう少し休憩をだな……」


 はしゃぐメレアスにクレイオスが薄い微笑で肯定してやれば、喜び勇んだメレアスは彼の手をとって村の方向に向かおうとする。村の位置を正確に把握している辺り、やはり狩人の素質はあるのだろう。

 一方で、そんな少年に死にそうな声でテルバンが休憩を主張するも、子供の耳には入らなかったようだ。

 結局、村の方が休めるというマヌスの提案の元、彼らは斜陽に照らされる山を下り、麓のカーマソス村にどうにか帰ったのだった。







 クレイオスが開拓夫達に山の情報を教えてから、およそ四日の時間が経過した。

 開拓夫の面々はクレイオスから得た情報と、彼に連れ回された際に見た山の様子を基にして、最初の三日を本格的な調査の時間に充てたのである。

 そうして山を隅々まで探索した結果、ついに鉱脈発見の報がもたらされたのだ。場所はカーマソス村から少し離れてはいるが、村の西側にある山肌。しかも、それは銀鉱脈なのだという。

 銀と言えばセルペンス山の向こうで貨幣にも使われる貴重金属であり、もし山の大きさに見合う鉱脈であるならば、セクメレル領は大いに盛り上がることだろう。それはもちろんカーマソス村も同じであり、もしかしたら銀鉱夫の集う村になるかもしれない。そうなれば今までよりも大きな規模になるだろうし、有名にもなる。

 カマッサがそう言って盛り上がっているのを、クレイオスは薄い笑みと共に見守っていた。彼も、生まれ育った村が発展するのは良いことだと思っていた。今までのカタチが変わってしまうのはどこか怖い部分もあるが、それ以上に停滞しすぎるのもよくない。故に、こうしたなにかしらの変化は悪くないのだろう、となんとなく思っていた。

 そうして、鉱脈を見つけたテルバンたちは、山向かいのベスチャ村で待機していたより大人数の調査隊を一日かけて呼び寄せ、どの程度の鉱脈か、危険はないのか、といった調査をすることになった。


 現在は、そんな調査隊がカーマソス村に到着した晩である。

 外来の人間は今までカマッサの大きな家に泊めていたが、流石に調査隊全員を泊めることは出来なくなった。なので、家主が村を出たり死んでしまったりして空き家になった村のいくつかの家を掃除して提供することになったのである。

 クレイオスもその掃除に駆り出された後、調査隊を含めた村人の多くで開かれる宴会に招かれるのだった。

 子供たちは寝かしつけられ、残った大人たちが見知らぬ山向こうの人間たちと楽しく飲み交わしている。

 今回は、メッグの持ってきたエールとテンダルがこういったときの為に作っていた果実酒が振る舞われ、普段酒を飲まない村人は大いに盛り上がっていた。しかしアルコールに慣れない村人はよく酔っ払い、宴会が始まってからまだ間もないというのに混迷を極め始めている。

 そんな様を外側から見ながら、クレイオスは地面に腰を下ろして振る舞われたリンゴ酒を一息に呷っていた。既に五杯目、美味さに思わずおかわりを繰り返してしまったが、思ったより酔いは回っていなかった。それどころか、臓腑がカッと熱くなるのを感じる程度で、思考の低下も気分の悪さも感じない。

 何故だろうか、とクレイオスは目の前で酒乱に暴れるカマッサを見て、思わず首を傾げるのだった。

 そんな彼の横では、水で薄めたリンゴ酒をちびちびと飲むアリーシャが座り込んでいる。まだ一杯目のはずだが、その顔は赤く目はぼんやりし始めていた。


「クレイオスー、飲みすぎじゃないのー?」

「いいや。全然酔わないな」

「ウッソよー。あたしこんなにあたまがぼんやりしてきたのに……どうなってるのよ」

「知らん」


 おまけに、よくわからない絡みまでしながら、頭を肩にこすりつけてくる始末。酒は奇妙な飲み物だな、という認識を強くしながら、青年は木製のコップの中身を一息に飲み干した。

 やはり、喉と臓腑が熱くなる感覚が心地いい。そういうものを楽しむ飲み物という印象に落ち着き始めていた。

 そうしてのんびりと酒を楽しむクレイオスとアリーシャのもとに、宴の参加者の中では比較的しっかりとした足取りの若者が近づいてくる。クレイオスが顔をあげて確認すれば、その人物は武具を脱ぎ捨てているマヌスだった。

 今まではいつも兜を被っていた所為でよくわからなかったが、ブロンドの髪に碧眼と、どこか清潔感を感じさせる顔立ちだった。

 「よう」と手を上げてくる彼に、クレイオスも手を振り返す。笑みを浮かべたマヌスはアリーシャと挟む形でクレイオスの隣に座った。その横顔をクレイオスが近くでよく見てみれば、思いのほか、若い。カマッサよりは若く、クレイオスより少しだけ年上ぐらいだろうか。

 そんな彼は、手元のコップの中身を一口含みながら、苦笑いして宴の中心を眺めている。そこではカマッサが村の男衆とゲラゲラ笑いながら取っ組み合いをしており、投げられたら敗北という子供の遊びをしていた。


「酒ひとつで、随分楽しい村だな」

「ああ。あまり酒を飲まないからな、皆」

「へえ! じゃあ毎晩何を楽しみに生きてるんだ?」

「別に、酒ばかりが楽しいものでもないだろう。飯を食えば美味くて嬉しいし、星を見上げれば美しさに見惚れて、月を眺めれば祈りたくなる。楽しいじゃないか」

「……なんというか、イイ生活送ってるんだな、この村は」


 話しかけてくるマヌスに、至極真面目に答えたクレイオスは、マヌスが苦笑いを深めた理由が分からなかった。山向こうでは違うのだろうか、と思いを馳せつつ、コップに口をつけ、中身がないことを思い出す。

 そんな彼の様子に気付いたか、マヌスが「ほれ」と己のコップに並々と注がれているエールをクレイオスのコップに注いだ。それを受けて礼を言いつつ、クレイオスは一口飲んで少しだけ顔をしかめた。


「苦いな」

「ん? エールは初めてか。まあ、最初はそう思うだろうが、こいつと一緒に食う濃い味つけの肉やら豆やらが美味いんだ。いつか試してみな」


 クレイオスの感想に、マヌスは笑みを浮かべて答える。何気ない言葉だったのだろうが、クレイオスはふと、胸中に生ぬるい風が吹き込んだのを感じた。

 いつか試す、といっても、この村には酒場などない。マヌスの言うことを実践できるとすれば、それはクレイオスが山向こうのベスチャ村を越えてさらに西へ行ったときだろう。それは村を出て行くのと同義で、だからこそそんな日が来るとはクレイオスには思えなかった。

 この村とその周囲で完結している世界。クレイオスにはそれで充分であり、これ以上は望まない。外の世界の話を、アリーシャが本から得た知識を披露する為に聞かされることもあるが、しかしそれに対して憧れはついぞ抱かなかった。

 だが、少しだけ、マヌスの言葉を受けて、「本当にそれでいいのか」と思う。もっと広い世界があって、もっと広い森があって、もっと大きな村・町があるのだという。それを見ずに終わる人生は、少しだけ――惜しく思えた。

 同時に、そんな世界を、隣で頭を預けて寝息を立て始めた幼馴染に見せてやりたいとも思う。彼女はそんな外の世界の本を読み漁るくらいには、少なくない憧れを抱いているのだから。

 そんな風に思いを馳せるクレイオスなどつゆ知らず、マヌスは明日のことを話し出す。


「明日からはいよいよ本格的な鉱脈の調査だからな。今日みたいに騒げるのは、全部終わってからになる。ま、幸い、セクメレル伯が鍛冶神フェラリウスさまの神官さまをお呼びしてくださったからな。案外早く終わると思うぜ」

「……鍛冶神フェラリウス様か」


 そんな彼に、思考を打ち切ったクレイオスがぼんやりとしたいらえを返す。

 鍛冶神フェラリウスは、鍛冶、鉱物、山を司る男神であり、彼を信奉することでそれらに関する権能フィデスを得られる。おそらく、その神官とやらは鉱脈の調査に適した権能フィデスを得ているのだろう。

 ぼんやり考えるクレイオスの横で、コップに残ったエールを飲み干したマヌスはやおら立ち上がり、投げ飛ばされるカマッサを笑みと共に見つめた。


「さて、俺もあの輪に加わってくるとするか。護衛なんて大層な仕事の割に、今日まで獣を追っ払うくらいしかしてないからな。ちょっと身体を動かしてくる!」


 そうして、金髪の青年は「うおおー!」という叫びと共に遊びの中に加わり、即座にテンダルを投げ飛ばしていた。

 その様を笑みと共に見つめつつ、クレイオスたちの夜は更けていく。


 やがて宴は終わり、次の日の朝を迎え、調査隊とその護衛であるマヌスたちは、見送る村人たちに手を振りながら銀鉱脈の調査に向かったのだった。


 それが、最後の別れであると知っていたのは――恐らく運命神プロペティアだけであっただろう。







 調査隊一行は、太陽が天頂に昇るころ、ようやく鉱脈があるらしい山肌に辿り着いた。珍しく木々の少ない一帯で、不思議に思ったテルバンたちが軽く掘り出してみたところ、銀鉱石を見つけた場所である。

 そこへ到着した一行は、隊列の中央に位置していたローブ姿の男女二人を前に呼び出す。鎚と火かき棒の交差する紋章を胸に縫い込んだローブを纏う二人は、鍛冶神フェラリウスの神官で、今回の調査の為に呼び寄せられた貴重な人材だ。

 その二人のうち男が前に進み出て、少しだけ掘り出した穴に手を添えて集中するように瞑想する。そして、己の生体魔素ウィータ・マグを動員することで権能フィデスを励起し、己の知覚を岩の中に滑り込ませた。

 そうして感じ取る、金属鉱物の数々。『鉱物を感じ取ることができる』権能フィデスはいつも通り発揮され、そしてその多くが銀であることを男の神官は確信し、背後の調査団に伝えた。

 神官の知覚はおよそ五百ベルムル以上に亘っており、少なくともその程度の範囲内には豊富に銀があることが確定された。

 その知らせを聞いた調査隊の面々は歓声をあげる。ここが手つかずの豊富な資源鉱脈であることが確定されたのだ。

 ならば、あとは妙な空間や毒霧が噴出してこないかなどを確かめるべく、色々と掘り進める必要がある。

 ここで男神官は下がり、女神官が前に出る。そして同じように両手を穴に着け、己の権能フィデスを解き放った。

 清浄なる銀の光が手掌からあふれ出し、それは静かに山肌の中に沈んでいく。そうして完全に光が消えて、女神官が手を離すも、岩肌に目だった変化はなかった。

 しかし、彼女がテルバンに促してツルハシを振るわせれば、まるでバターに熱したナイフを差し込むかのような容易さで刃が突き立ったのだ。そのまま抉れば、通常ではありえない岩の量が零れ落ちる。彼女の権能フィデスが、岩石を柔らかくしてしまったのだ。

 これにも歓声をあげた開拓夫と調査隊は、次々とシャベルや鎚を手に取り、どんどん穴を広げ、そして奥へ奥へと突き進んでいく。権能フィデスの及んでいないところまで進めば、また女神官が力を振るい、男神官が掘り進めても問題ない方向を指し示して、どんどん掘り進んでいった。

 そうして次々と掘った岩や土を運び出す開拓夫たちを、穴の外で見据えるのはマヌスだ。仲間の護衛隊と一緒に、獣が近寄らないように見張っているのだ。

 彼らの本来の役目は山賊などから守ることなのだが、カーマソス村のクレイオスによればこの山には山賊は居ないというのを五日前に聞かされていた。さっそく存在意義を失って顔を見合わせた護衛隊をすぐさま緊張させたのは、クレイオスが続けた「魔獣ベスティアは居るがな」という言葉だ。

 魔獣ベスティアは恐ろしい、というのは当然の認識だ。

 セクメレル伯の私兵として生きるマヌスも、一度だけ仲間十数人と行動中に鉢合わせしたことはあるが、その時は大変なことになった。不意打ちで隊長が喉笛を切り裂かれて死亡し、唖然とする新兵が次の一撃で肉片にされた。慌てて副隊長であるマヌスが指示を飛ばして陣形を作り、対応したものの、動揺と混乱に苛まれた仲間は次々とやられ、七人の犠牲と共にようやく倒したのだ。

 今ならもっとうまくやれる自信があるが、しかし怖いものは怖い。先日狩ったのでしばらくは出ないかもしれない、とクレイオスは言っていたが、それでも警戒は怠るべきではないだろう。

 その意識は護衛隊の仲間も同様であり、油断なく周囲を見渡している。マヌスを含めて六人程度だが、なんとかなると思っていた。


 しかし、そんな彼らでも、予想しえないことだってある。


 例えば――背後の穴から聞こえた、野太い男の悲鳴など、だ。


「――あ、あああぁぁぁッッッ!?」


 まるで獣のような凄まじい悲鳴に、六人全員が思わず腰の剣に手をかけて振り返る。外に出ていた作業員が何事かと手を止めて穴を見やっていた。

 しかし、凄まじい声量が通り過ぎた後は、不気味な静寂が去来している。寒気を覚えるほどに、何も起きない。

 しばしの沈黙の後、何も起きないことに少し警戒を解いたか、凍り付いて固まっていた開拓夫たちから中の様子を見てこようという意見が出始める。何か落盤のような事故が起きたのかもしれない。

 そう言って、穴へと向かおうとした開拓夫の一人が、「あっ」という声をあげた。

 それにつられてマヌスも移動して穴を覗き込めば、奥からふらふらと歩いてくる人影が見えてきている。その人影に覚えのあるマヌスは、彼が開拓夫のリーダーのテルバンだとすぐにわかった。

 何が起きたのか、とマヌスが「テルバンさん!」と呼びかけるも、ふらふらと歩く彼は返事をしない。

 その姿に、嫌な予感がする、と思わずマヌスは剣の留め具を外し、いつでも抜剣できるように知らず知らず構える。

 誰もが不気味な恐怖を感じたまま彼がやってくるのを待ち、日の当たるところまでテルバンが出てくれば――全員が、絶句した。

 それは、あまりにも凄惨な姿だったのだ。

 全身を血で真っ赤に染め、口元からは大量の血が溢れるように零れ、その右胸には大きな穴が開いているのだ。生きているのが不思議なくらいで、事実、ここまで歩いてこれたテルバンはその場に崩れ落ちる。

 それに仲間の開拓夫が弾かれるように駆け寄って、彼を抱きかかえて叫んだ。


「な、なにがあったんだテルバンさん!」

「……へんな、紋様の、石が……奥から……バケモノ……神官さま、殺され……」


 混乱したように問いかける開拓夫に、瀕死のテルバンは茫洋とした目を彼に向け、途切れ途切れに情報を伝えんと必死に口を動かした。

 しかし、まるで意味の分からない状況に全員が混乱する中――全てが、動き出す。


 次の瞬間、掘り出していた穴から、鋭い何かがマヌスでも目で捉えるのがやっとの速度で飛来。

 反射的にマヌスは抜剣してその何かを弾き飛ばすも、複数飛来してきていたそれはテルバンと開拓夫の頭部に命中――粉砕した。

 そう、粉砕。破裂した柘榴のごとく、中身を飛び散らかして、一撃で二人が絶命したのだ。

 その威力は剣を通して伝わる衝撃でマヌスも実感しており、腕が痺れるほどのそれに思わず戦慄する。しかし、同時に戦士たる彼は次の行動を起こしていた。

 全力で後退しながら、仲間に指示を出す。


「全員、抜剣して調査隊を下げろォ!」


 呆然としていた仲間たちも、その怒号を受けて迅速に行動。混乱する調査隊の面々を誘導しつつ、穴から大きく下がる。

 そのまま様子を見る――はずが、それよりも早く、すべては動いていた。

 護衛隊が下がり切るよりも早く、穴から飛び出る六つの影。あまりの素早さにそうとしか形容できず、護衛隊が反応するよりも早くそれらは彼らに躍りかかっていた。

 一体の影が曲刀のようななにかを振り下ろし、その一撃で防御が間に合わなかった護衛隊の一人が身体を両断されて死亡。もう三体が腕を薙ぎ払うのと同時、そこから銀の閃光が飛来し、反応できなかった護衛隊が頭部を砕かれて三人死んだ。

 残るマヌスともう一人は、目の前に切りかかってきた曲刀を辛うじて受け止めることで死を免れる。

 しかし、瞬く間に四人死んだことはあまりにも衝撃的だ。


「コル! パーシー、アルヴィン、チャッタ!?」

「ッ! 目の前に集中しろルードォ!」


 瞬く間に死んだ仲間の名を絶叫するルードにマヌスが怒号を向けながら、目の前の曲刀を弾き飛ばす。

 軽い身のこなしで、弾かれた勢いのまま後退する影。そこでようやく、マヌスは下手人の姿をつぶさに見てとることができた。

 故に、そのおぞましさにマヌスは恐怖する。


「――なんだ、こいつ……!?」


 その驚愕を隙と見たか。

 バケモノ・・・・は一斉に二人に飛び掛かった。

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