05 魔獣退治

「なあ、なんだって魔獣ベスティアなんぞをこんな時間に退治しに行くんだ?」


 闇の森を歩くクレイオスの背中に、唐突にそんな疑問が投げかけられた。深々たる場に呑気な大声が響き渡り、遠くへ薄くなりながら消えていく。

 クレイオスがしかめ面で振り返れば、髭面のトラウスが飛び出ている木の根を器用に避けていたところであった。木こりというのは嘘ではないらしく、森の歩き方は多少心得ているらしい。

 それでも、獣を呼び寄せんばかりの声量で話しかけてくるのはいただけないが。

 再び前を向いて歩きだしながら、クレイオスは事情を簡潔に説明した。


「あまり大きな声を出すな、気づかれる。……俺たちは、村を襲ってきた魔獣ベスティアを早急に退治する必要があるからいまこうしている。それ以上でもそれ以下でもない」

「え、なんですぐ退治しなきゃなんねえんだ? 朝になってからでもいいじゃねえか」


 クレイオスの短い言葉では、十分な説明と受け取らなかったか、トラウスは先ほどよりは幾分ひそめた声でさらに問いかける。

 しかし紅蓮の狩人はそれを無視し、足元の痕跡を睨みつけながら茂みを音もなく通り過ぎるだけ。その後ろで、茂みをバキバキと折るベスチャ村の木こりは返事がないことに不安を覚えたのか、また大きな声で「おうい、答えてくれよぉ」と情けない声を出すのだった。

 仕方なく、その後ろを警戒しながら歩いていたアリーシャが口を開く。


「ウェアウルフ、って知ってる? 魔獣ベスティアの一種なんだけど、こいつに村の場所を覚えられた可能性があるの。だから、さっさと倒してしまって村の安全を確保したいわけ」

「へえ! ウェアウルフか! そりゃ大変だ」

「……大変だ、って。あなた、ウェアウルフのこと知ってるの?」


 そんなアリーシャの説明に、木こりのトラウスは訳知り顔で振り返り、大仰に驚く反応をしてみせた。まるでウェアウルフのことを知っているかのような反応で、アリーシャも驚いたように眉を跳ね上げる。

 対し、トラウスは狩人の驚く顔を見て得意になったのか、「おうともよ」と笑みを浮かべて喋りはじめた。


「ウェアウルフ、ってなあアレだろう? 噛みつかれちまったら同じ魔獣ベスティアにされちまうやつだ。そうなっちまった奴には元々人間のころだった記憶も残ってるけど、でも魔獣ベスティアらしく襲うこと喰うことしか考えちゃいねえ。幸い、馬鹿だから頭使うなんてことはしねえが……そうか、あんたらの村で被害者が出ちまったんだな。だからこうしてお二人さんが出張ってるわけだ」

「……ええ、そうなのよ。村人がそうなったから、村の場所は必ず知ってる。だからこれ以上の被害を出さないためにもやらなくちゃいけないの」

「そりゃあ辛いなあ、おい」


 トラウスの言葉にアリーシャが低い声で肯定すると、木こりは肩を竦めて首を振った。同情的な視線でアリーシャを振り返ってはいるが、どこか他人行儀なのは所詮他村の話だからだろうか。

 「そうね」と短く答えた闇色の女狩人は、会話を続けても仕方なしと再び周囲の警戒を続け始める。その様子にトラウスもようやく口を閉じ、クレイオスの背中を見据えて歩いていくのだった。







 トラウスと出会ってから暫く。同時にクレイオスとアリーシャが村を出てから随分経過し、祭りをやっていた頃は東の空に見えていた月が、ほとんど天頂を通り過ぎかけていた。

 しかし、この追跡もそろそろ終わりが見えてきている。

 クレイオスとアリーシャの鋭敏な嗅覚が、強烈な死臭と獣臭を感じ取ったのだ。

 つまり、獣穴けものあなが近く、ヘイムルの目的地を推測していた二人は正しかったことを意味する。

 そのまま、以前よりずっと慎重に音を立てないように歩いていく三人は、やがて月明りに照らされた崖と、そこにぽっかりと口を開ける洞穴を視界に収めた。

 それを認めたクレイオスは、後方の二人に手で伏せるように示し、近くの茂みに身体を隠す。その傍に、トラウスがにじり寄ってきて小声で話しかけた。


「あ、あそこに魔獣ベスティアが居んのかい?」

「おそらく、な。余計なことはするなよ。ここは俺たちに任せておけ」

「あったりまえさ。木こりの俺なんかが魔獣ベスティアなんかにかなうわけないだろ――」


 クレイオスの忠告に、トラウスは肩を竦めて首肯する。

 そして、彼の傍から離れるべく後退して――ニヤリ、と髭面に粘ついた笑みを浮かべた。


「――だから、人間あんたをぐぶぅッ!?」


 転瞬、その気弱そうな形相を一変させ、トラウスはクレイオスの背中に飛び掛かり――直後に間抜けな苦鳴を上げて大地に叩きつけられる。

 両手で地面に押し倒すつもりであったのだろうが、クレイオスは予めわかっていたかのように即座に振り返りながら無手の左腕を一閃。トラウスの右手首の骨を一撃でへし折り、さらに翻った掌で木こりの襟首を捉え、前を向きながら前方の地面に向けて力強く叩きつけたのだ。

 鉱人族ドヴェルグの腕力で勢いよく背中から大地に叩きつけられたトラウスは肺からすべての空気を吐き出させられ、骨を折られた痛みに悶絶しながら必死に口をパクパクとさせる。

 そんな彼に一切の容赦を持たず、クレイオスはその胸部へ右足を振り下ろした。

 肉が潰れる音と、骨が折れ砕ける音。同時に響き渡ったそれに、アリーシャは追撃の必要なし、と既に構えていた弓を下ろす。

 クレイオスが足をどければ、哀れな愚か者トラウスの胸部は若干陥没し、折れた肋骨が肺に突き刺さったのか、口から血の泡をふいていた。

 それでも、トラウスは目を見開いてクレイオスを睨み、唇が「なぜ?」と問う。それに、クレイオスは鼻を鳴らして答えた。


「ベスチャ村の人間は、絶対に山越えをしないことで有名だ。例え遭難したとしても、夕方の太陽を見て歩けば戻れるものだからな。それに、木こりにとって斧は命に代えがたい商売道具。重いからなんて理由で捨てるわけもないし、いざというときの最後の武器になるんだぞ。つまらん嘘をついたようだが、ヘタクソすぎる。どこの山賊がこんな辺境にやってきたか知らないが、愚かだったな」


 次々とトラウスの嘘を暴き立て、クレイオスは心底蔑むように吐き捨てる。つまり、彼は最初からトラウスを信用していなかったのだ。それはアリーシャとて同じであり、木こりを騙る嘘は簡単にバレていた。

 ――どこかで本性を現すだろうと泳がしていたが、よりによって今とは。

 仕方なく迎撃したが、音は洞穴にまで及んでいないだろうな、とクレイオスは瀕死のトラウスから目を離し、獣穴を見やる。

 故に――血の泡を零すトラウスの唇が、弧月を描く笑みの形となったことに気付いたのは、油断なく監視していたアリーシャだけだった。


「クレイオス!」


 喚起の叫びをあげながら、アリーシャは構えなおした弓矢を容赦なくトラウスの胸めがけて放つ。

 しかしその瞬間――先ほどまでの瀕死の様相が嘘のように、男は勢いよく跳ね起きる。そして大地に両足を着けるのと同時、今度は土人族ヒューマンの身体能力を超越した動きで後方へと跳ね飛んだのだ。

 結果、矢はむなしく大地に突き立ち、その前方でトラウスが前傾姿勢のまま顔を伏せ、くつくつと嗤いだす。


「くひひひ、なんだ、ただの人間かと思ったら、存外鋭いじゃねえか。おまけに強いときた。この不意打ちで仕留めてやろうと思ったんだが……くひひ、やるじゃあねえか」

「……なんだ、お前」


 先ほどまでの様子から、また一転。不穏な雰囲気を漂わせ始めたトラウスに、クレイオスが油断なく槍を構えながら、思わず問いかける。

 それに応えるように、トラウスは顔を上げ、ニタリと粘着質な笑みを浮かべた。

 あまりにも不気味なその有様に、アリーシャが総毛だつのと同時――悪寒を裏付けるように、変化が起きる。

 顔面の髭が急激に濃さを増し、色はブラウンから金色へ。剥き出しの腕と足にも金色の毛が唐突に生え伸び、瞬く間に肌を覆いつくしていく。背中はより大きく曲がり、腕と足は長さを増してその指先から鋭い爪が生え揃っていくのだ。

 そして、顔面は鼻面がより尖るように伸び、開いた口内の歯は、鋭い牙と化す。陥没した胸は急速に膨らみ、耳を覆いたくなるような肉をこねくり回すぐちゃぐちゃという音を立てて再生を果たしていった。

 そうして変貌したトラウスの姿に、アリーシャが思い出したように叫びをあげる。


「こいつ――ライカンスロープよッ!」

「なに?」


 目の前で土人族ヒューマンが魔獣の如き姿と化したことに呆然としていたクレイオスが、聞き慣れない言葉に問いを返した。

 そんな彼に、父の蔵書から豊富な知識を得ているアリーシャが苦々しい笑みを浮かべて答える。


「ライカンスロープはウェアウルフの上位存在とされているわ。人族と獣の間のような姿をしているのと噛みつかれたら人狼病を発症してしまうのはウェアウルフと一緒だけど、違うのは、毛並みが黄金であること、そして人族並みの知性を持っていることよ。一説によれば、人に化けられる、って聞いてたけど……」

「なるほど。こいつはヘイムルを最初に噛んだ魔獣ベスティアで、俺たちを騙そうとしていたわけか」


 アリーシャの説明にクレイオスは理解を示し、目の前のライカンスロープを睨み付ける。これまでのやり取りはとんだ茶番であったということだ。

 対し、獣と人間の半端な顔立ちを歪め、トラウスだったライカンスロープは汚い笑みを浮かべて二人を嘲笑う。


「いいや、いいや。全てが嘘だったわけじゃないぜ? 確かに俺はベスチャ村の木こりだったよ。まあ、一年も前の話だがな。山に遭難して、新月の夜だったから月を頼りに村に戻ることもできなかった。今回のようにお前らに奇跡的に会うこともなく、山で野垂れ死んだ……はずだった。だが、見てみろ!」


 語るライカンスロープは、長い両腕を大きく広げ、己の醜い姿を誇示するように見せる。

 そして、その瞳に狂気を漲らせ、高らかに言い放った。


「気づけば俺は、こんな素晴らしい・・・・・存在になっていた! 見てみろ、この美しくも力強い身体を! 魔獣ベスティアでありながら冷徹な理性を持つ俺こそが、最強の生物なのさッ!」


 だが、魔獣と化した己をトラウスは賛美する。そして、声高に己の広壮さを見せつけんと嗤うのだ。


「ハハハッ! 故に俺こそが、この大地テラリアルを支配するに相応しい! だから、その第一歩としてお前らの村を残らず平らげさせてもらう。もちろん女子供は俺の血肉にしてやるが、男は俺の手先にしてやる! ウェアウルフ軍団だ! そう、こいつらのようになァ!」


 大言壮語を叫ぶライカンスロープを厳しい表情のまま睨む狩人二人。

 その沈黙を恐れとみなして気をよくしたか、さらにライカンスロープは獣穴に向けて大きく右手を振るった。

 それと同時、低い唸り声が獣穴から聞こえ、それから二つの人影が姿を現す。

 それらは、まるで目の前のトラウスの毛並みをそのまま灰色にしたかのような人狼。ただし、その顔立ちは狩人たちのよく知るヘイムルとトリーのものだった。しかしその双眸は飢えの狂気に満ち溢れており、元の温厚だった二人のそれとはかけ離れている。

 そんな二人は仲良くライカンスロープの両脇に並び立ち、低い唸りを上げながらも静かに待機していた。

 その様子に、クレイオスは「なるほど」と胸に落ちる理解を口にする。


「ヘイムルと合流した足跡は、お前のものだったか」

「ハハハ! 上位種ライカンスロープたる俺なら、この頭の悪いウェアウルフどもを手なずけることができるのさ、驚いただろう? こいつらを増やしていけば、国にだって負けやしない! 特に、狩人のお前だ、クレイオス! お前のような強い個体を仲間にしてしまえばより群れの力は強くなる。優遇してやるぞォ?」


 対し、ライカンスロープは勝手なことをのたまい、裂けた口を大きく開いて陰湿な笑みを浮かべた。

 言っていることはどうやら本気らしく、このままカーマソス村を全てウェアウルフ化させてしまうつもりなのだろう。そして女子供さえも逃すつもりはないらしい。

 元よりそのつもりであったが、己の覚悟を強固なものとしたクレイオスは、槍を構えて吐き捨てる。


「村はやらせん。ここで死ね」

「クヒヒハハハッ! そう言ってられるのも今のうちだ、すぐに命乞いしたくなるぜ狩人ォ!」


 刹那、ライカンスロープが言い終わるよりも早く新たにつがえたアリーシャの矢が放たれていた。

 額を狙うソレをしゃがみこむことで避けたライカンスロープは、狼の咆哮をあげて一歩後退。同時に、入れ替わるようにして後方のウェアウルフと化したヘイムルとトリーが唸りながら大地を蹴って疾走する。

 驚異的な速度、野原を駆ける野生馬にも劣らない疾走に、アリーシャが放つ二の矢はその後塵を貫くのみ。仕留めることはできない。

 そしてアリーシャが三本目をつがえるより早く、トリーがクレイオスに接敵。鋭く強靭な五爪を振り上げ、クレイオスに打ちかかった。

 対し、クレイオスは素早くその懐に踏み込みながら、脇に挟んだ槍を振り上げる動きで突き出す。同時、左腕を振り上げてトリーの右前腕を打ち据え、五爪の斬撃を阻止していた。

 結果、クレイオスを傷つけることすらかなわず、左わき腹から右肩甲骨にかけ、槍に貫かれたトリーは一撃で絶命させられる。最後の抵抗すらなく、かつての村人は最後の息を吐きだして息絶えた。

 その数瞬手前、ヘイムルとライカンスロープはアリーシャの狙撃を躱さんと森に飛び込んでいた。弓矢を躱しつつ近づいてしまえば、弓矢では魔獣に対抗できないと踏んだからだ。

 故に森を駆け抜けて近づこうとしたヘイムルは――息子が死亡するのと同時にその頭蓋を矢に射抜かれ、絶命する。

 その様を真横で見ていたライカンスロープは、目を見開いて驚きの呻きを上げる。この鬱蒼と茂る森の中を、まったく躊躇せず正確にヘイムルの眼球を射抜いたのが見えたからだ。

 それは、アリーシャの弓術が森神シルワの如く神がかっている――わけではない。彼女の弓の技は確かに天才的だが、それだけで森の木々を掻い潜って眼球を射抜けることはない。

 これこそ、彼女が森神シルワを信奉することで授けられた権能フィデス――『森の木々に妨げられない矢を射ることができる』というものだ。

 神々を崇め、信奉することで人族が授けられる特殊な能力ちからこそが、この権能フィデスの正体。人族の多くが得ている力であるが、これほど強力かつ便利な権能フィデスは、彼女が瞳の色と同じように森神に愛されている証拠であろう。

 しかし、そんな簡単なことも察することができないライカンスロープは、容易く眷属が同時に殺されたのを見て、震え上がり慄いた。


「――クソッ!?」


 恐怖を言葉にして吐き捨て、ライカンスロープは大地を蹴飛ばして方向転換。大言壮語が形になったかのような形勢逆転に、一時の撤退を選んだのだろうが、甘い。

 方向転換したその瞬間に、彼の右足を放たれた矢が貫いていた。

 突如奔る激痛に、ライカンスロープが音にならない悲鳴をあげながら天を仰げば、クレイオスの翡翠の瞳が木の枝の上から無感情に魔獣ベスティアを見据えている。

 いつの間に、などと驚愕する暇もなく、愚かな魔獣に槍が叩きこまれた。突き込まれた穂先は瞬く間に頭蓋を砕いて脳をかき混ぜ、喉を通過してその心臓を貫き、痛痒も感じさせずに一撃で殺害せしめる。


 ――これで、終わり。

 身の丈に合わない野望を抱いた魔獣による騒動は、二人の狩人の手によってあっさりと終息したのだった。

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