03 人狼病

 闇夜を切り裂く悲鳴が響き渡り、騒いでいた村人たちが皆、ピタリと口を閉ざして不安な面持ちでそれが聞こえた方向を見やる。

 そんな中、同時に狩人たちは動き出していた。

 隣の硬直しているカマッサに食べかけの肉を放り投げ、立ち上がったクレイオスとアリーシャは声の方向へと走り出す。そして、老狩人たるタグサムは座り込んでいた切り株の傍に突き立っていた手斧を引っこ抜き、目の前を通り過ぎんとするクレイオスへそれを放り投げた。

 空中で回転する手斧の柄を、優れた動体視力を以て正確に見据えて掴み取り、武器を手にしたクレイオスは大地を力強く蹴ってさらに加速。アリーシャを置き去りに、己の最速を発揮して悲鳴の方向へと向かった。


 次々と後方へ流れていく村の風景の中、異常を探すクレイオスは、やがて前方の一軒家の前で腰を抜かしている老女の姿を認めた。

 あれは、ウッドナールだ。

 すぐさま彼女の傍まで駆け寄り、膝をついてその姿を確認する。怪我はなく、本当に腰を抜かしているだけのようだった。呆然としていた老女はクレイオスに気付くと、彼に縋るように掴みかかり、息も絶え絶えな様子で訴える。


「へ、ヘイムルが、う、ウラナを……そ、そうだわ、トリーがッ!」

「落ち着け、ウッドナール。まずは息を吸って、吐くんだ」


 ヘイムル農夫一家の名前を呆然と呟く老司祭の様子に、錯乱の色を認めたクレイオスは低い声で、落ち着かせるように語り掛ける。

 しばし口を開閉させて混乱していたウッドナールだが、クレイオスの呼び掛けが功を為したのか、ようやく大きく深呼吸した老女は「ありがとう……」と述べられるくらいには落ち着きを取り戻していた。

 そのあたりでアリーシャも追いつき、息を弾ませながら「何があったの!?」と状況を尋ねてくる。これからだ、と視線だけで伝え、クレイオスはウッドナールに何が起きたのかを話すよう促した。


「祭りに向かう途中にヘイムルの家の前を通りかかったら、中から物音が聞こえたのよ。まだ参加してないのかと思って、呼びかけたんだけど返事がなくて……仕方ないから扉を開けてみたら……そ、そうしたら、ヘイムルが毛むくじゃらになって、ウラナを、あ、頭から食べていたのよ!」

「……なんだと?」

「なに……それ」


 魔獣の侵入でもあったのか、と思いきや、ウッドナールが悲鳴を必死にこらえて語ったのは異様な光景。

 さしもの狩人二人も面食らって困惑するが、老女が「あれを見て!」と甲高く叫びながら家の中を指さす。それに従って、開きっぱなしの扉から簡素な家の中を覗き込めば、そこには倒れ伏す人影があった。

 息を呑むアリーシャにウッドナールを任せ、クレイオスは手斧を手に慎重に家へと入り込む。狩人の知覚は、家の中に他の気配がないことを知らせていたが、念のため、家具の陰に気を付けながら人影に近づいた。

 倒れ伏す人物を警戒する必要はない。もう、死んでいるとわかっているからだ。鼻に突き刺さる、濃厚な血臭がその証拠。近づいて見ても、赤黒い血だまりに伏して微塵も動かない。

 死体を見れば、後頭部からうなじにかけて肉どころか骨まで抉り取られているようだった。当然、その中身が露出しているが、本来あるべきピンク色の臓物は見当たらない。ウッドナールの言葉を信じるなら、食われた、ということだろう。

 周囲を警戒しながら爪先でその頭を小突けば、横を向いた顔が露わになる。老女の言う通り、それはウラナだった。

 その悼ましい姿に眉根を寄せながら、クレイオスは取り乱さずに死体を跨いで奥へと向かう。獣脂を固めた蝋燭があればよかったが、さすがに今から取りに行く余裕はないだろう。仕方なく、光源のない暗い室内を目を凝らして歩いていく。

 すぐにクレイオスは、ウラナの死体から奥の方へと続いている足跡を見つけた。同時に、もう一つ別の革靴の足跡もそれを追うようにして続いている。

 その二つを追いかければ、台所の裏口まで伸びていた。だが、そこは乱暴に打ち壊されており、まるで大槌で殴ったかのような有様で、尋常ではない。

 思わず眉根を寄せて驚きを押さえつつ、その裏口から顔を出して足跡を追えば、村を出て森の方へと消えていったのが辛うじて見えたのだった。

 追うべきか、と一瞬考え、しかし村に報告するのが先だろう、と思い直して青年はすぐさま踵を返す。

 再びヘイムルの家の前に戻ってくれば、ウッドナールがアリーシャに肩を貸してもらいながら立ち上がれるまで回復していた。


「どうだった?」

「ウラナはやられていた。ヘイムル、と思われる足跡は、森に向かって消えていた。それで、トリーの姿が見つからない。ウッドナール、知っているか?」

「そ、そうよ! トリー! あの子、私の後に家にやってきて、逃げていくヘイムルを追って行っちゃったのよ! た、大変だわ、ウェアウルフなんて、あの子の手に負えるものじゃない……!」

「ウェアウルフ?」


 ウッドナールが絶叫するように悲鳴を上げ、その中に聞きなれない単語があることに首を傾げるクレイオス。そんな彼に、アリーシャが説明する。


「お父さんの本に書いてあった、魔獣の一種よ。ウッドナールに詳しく姿を聞いて、ようやく思い出せたわ。とにかく、ウェアウルフはまずいの。早く村人みんなを集めて、話を聞かせなくちゃならないわ」

「トリーはどうするんだ」

「…………無事なら、帰ってきてくれるはずよ。トリーも馬鹿じゃないもの」


 クレイオスの問いに、アリーシャは辛そうに目をそらして呟きを返した。

 その言葉の意味は、もうやられている可能性が高いということ。故に、優先すべきではないと言っているのだ。

 アリーシャは非情ではない。むしろ、怪我した村人を身を挺して守りたがる一面さえある。そんな彼女が悔し気に唇を噛みしめながら、そう言ったのだ。それだけ、ウェアウルフは危険だということ。

 それが理解できるクレイオスは、「自分が行く」という言葉を喉の奥に引っ込めた。ただの魔獣ならこの手斧一本で打ち殺せる自信があるが、さすがに彼女がこれだけ警戒する相手にそんな油断はできない。

 「カマッサにまず知らせましょう」とウッドナールを連れて踵を返すアリーシャから視線を外し、クレイオスは足跡が消えていった森を見据える。

 いつも通り、夜の森は恐ろしげな空気を漂わせ、誘うようにぽっかりと闇の口を広げていた。







 ウッドナールを連れ立って狩人二人が戻ってから、少しして。

 集会所を兼任する村長宅に、村人全員が集まっていた。子どもたちは別室に集められ、現在はその母たちに寝かしつけられている。そして男手とウッドナールは広間で円を組んで集まっていた。

 そこでアリーシャとクレイオスがヘイムル家の惨状を報告し、村人たちの間に動揺が走る。当然だろう、あの温厚なヘイムルが変貌し、妻を喰らったというのだから。

 だが、何より村人を恐れさせたのが、その後のアリーシャの推測である。


「たぶん、ヘイムルさんは『人狼病』に罹患したんだと思うわ」

「なんだ? そのじんろうびょう、ってのは」


 唐突に降ってわいた単語に、カマッサが戸惑ったように問いかける。対し、アリーシャは父であるテンダルの方を見ながら説明を続けた。


「人狼病、っていうのは、人族が発症する病よ。発症者は二日から三日以内に、全身毛むくじゃらになって、顔の形も狼っぽく変化して、魔獣のウェアウルフと化すの。そうして本当に魔獣のように目につく生き物すべてに襲い掛かるようになる。でも、一番怖いのは、これが伝染病だってこと。発症者に噛まれたら最後、すぐに神官の権能フィデスで治療を受けなければ、同じように人狼病にかかって最後には同じウェアウルフになってしまうんだわ」

「ああ……私も一度だけ発症者の出た村を訪れたことがある。あれは酷かった。あと少しで、村人全員がウェアウルフになるところだったよ。幸い、月女神ルーナ神官が居たおかげで治療が間に合ったけどね」


 アリーシャの、父の蔵書から得た知識から発せられる身も凍るような説明に、元商人として土人族ヒューマンの国を巡っていたというテンダルが己の経験で補足を加える。

 当然、それらの言葉に誰もが顔を青くし、突如村に襲い掛かってきた恐怖に息を呑んだ。打ち倒すだけでなく、噛まれることも避けなければならない。でなければ、村の全滅もあり得るのだ。

 幸い、この村にはウッドナールという月女神を信奉し、その権能フィデスを得た司祭が居る。しかもおあつらえ向きに、彼女の権能フィデスは『月の出る晩に限り、怪我と病気を治癒できる』というものだ。

 が、それも夜だけ。昼に襲われれば、治癒が間に合うかも怪しい。

 黙り込む村人たちに、タグサムが厳めしい顔をさらに険しくしながら呟く。


「ということは、だ。最初にヘイムルを噛んだウェアウルフの野郎も、森に居るってことだ。どうせヘイムルの野郎、ビビッてウラナにしかそのこと言わなかったんだろうな。ったく、厄介なことになりやがった。魔獣になり果てても、もとはこの村のヘイムルなんだ、絶対餌を求めて戻ってきやがるぞ」


 老狩人の言う通り、状況は悪い。

 森には二匹・・のウェアウルフが居て、トリーは行方不明。しかも、魔獣が正確にこの村にやってくる可能性が高い。

 集会所に重い空気が漂い、誰もが厳しい顔をしている。

 しかしその中で、クレイオスは臆さず己の考えを述べた。


「なら、いつも通り村に被害が出る前に狩るしかないだろう」

「狩る、ったって……」


 サブラスがクレイオスの言葉に、口ごもりながら何かを訴えるように見据える。それは他の村人も同じであり、その心中も恐らく同じだろう。

 それを、祖父のタグサムが代弁して指摘する。


「クレイオス、元は同じ村人のヘイムルだぞ。お前はそれを狩る、っつってんだ。できるのか?」

「やらなければならないなら、狩人として、村を守るために俺はやろう」


 対し、クレイオスは間髪入れずに答えを返した。超然たる態度で、まったく動揺も懊悩もない。

 誰もがその答えに、瞬刻息を呑む。

 その姿は、力強いというよりも、どこか異端じみていた。

 それを確信することはないが、村人たちは心のどこかでそう感じ取ったのだろう。迷いない言葉に、不快げに眉をしかめる。しかし、彼が正しいのは明らかであり、不満の言葉は出なかった。

 一方答えを聞いたタグサムは鼻を鳴らしながらも満足げに眉尻を下げた。


「なら、さっさと行っちまったほうがいい。槍はとってきてんだろう? なら、ヘイムルの野郎がそう離れてねえうちに探さねえとな。トリーの馬鹿も森に迷ってるだけで無事かもしれねえ」

「ああ。太陽神ソールが御姿を現す前に決着をつけてこよう」


 わかりあう二人の間で、あっという間にクレイオスの狩りが決定してしまう。

 ついていけていない村人たちを代表し、村長であるカマッサが慌てて話を纏めるべく声を上げた。


「ま、待ってくれ。クレイオスが行くんだな? なら、男手みんなで集会所の周りを警戒しよう。クレイオスがウェアウルフを狩りつくしたと知らせるまでみんな家に帰れないからな。それで、アリーシャにも残って――」

「いいえ、私も行く」

「な、なんだって!?」


 カマッサが他の者に指示を出し始め、アリーシャにも村の守護を任せようとしたところで、その彼女が否の声をあげた。

 皆が呆気にとられる中、誰よりも早く反応したのは、彼女を溺愛するテンダルである。信じられないと叫び、彼女に慌てたように詰め寄って、考え直すよう説得の言葉を並べ立てる。


「な、なにを言っているんだ! いつも通り、クレイオスが狩りに出たらアリーが村に残るはずだろう!? 二人とも出て行ってしまったら、誰が村を守るんだ!」

「最低でもウェアウルフは二体いるんでしょう? 流石にクレイオスも、魔獣二体を相手に全く噛みつかれずにどうにかできるとは言いきれないわ。なら、私もついていって確実に、怪我なく仕留められるようにしなきゃ。それに、村のみんなはここに集まってるんだし、こういう防衛ならタグサムお爺さんが頼れるもの」

「おいおい、勝手に戦力扱いしてんじゃねえよ、馬鹿弟子」

「あら、あたしよりあたる弓使いさんが何か言ってるわ」

「けっ、生意気になりやがって……」


 テンダルの言葉に、アリーシャは肩を竦めて言い放つ。巻き込まれたタグサムが片眉を跳ね上げて文句をつけるが、当のアリーシャはどこ吹く風だった。

 そんな二人のやり取りも耳に入らない様子で、興奮したテンダルが「いやいやいや!」と声を荒げる。


「アリー、噛まれたらどうするんだ!? ここに居ればすぐ傍にウッドナールが居るから治療できるが、狩りに行ってしまえばそうはいかないんだぞっ」

「それはクレイオスも一緒よ。あたしだけそんな心配するなんて、不公平じゃない、父さん?」

「そっ、それは……」


 娘を溺愛するが故の、つい出てしまった言葉を突かれてテンダルは閉口する。恐る恐るクレイオスを見やるも、相変わらず無表情なのでわかりづらいが気を害してはいなかった。

 ほかの村人は、何が何やら、と口を挟めず事態の推移を見守っている。常は森に関して、カマッサと狩人二人、そしてタグサムと森番テンダルだけに任せていたのだから、今更何か言えるわけもなかった。

 何かを言って止めたいが、その言うべき言葉が見つからず口を開閉させる父を置いて、アリーシャはカマッサを見やる。

 対し、幼い頃から彼女を知るカマッサは、その常盤色の眼差しが決して意見を覆さない時のものであると察し、小さくため息を吐いた。


「確かに、建物ひとつを守るなら、うちの男衆でも、脚の悪いタグサムさんでもできるだろうさ。……クレイオス、アリーシャ、出来るだけ早く終わらせてきてくれよ」

「わかった」

「任せて」


 二人の狩りを認め、カマッサは他の男手たちに武器の回収や不寝番の順を決め始める。

 対し、村長の許可を得た二人は、テンダルの未練がましい視線とタグサムの凪いだ瞳を背に、素早く集会所を出たのだった。

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