第14話 初任務

「千里、準備はいい?」

「いいも何も、どうせ自分の意見は無視する、っ――待て晴!」


 ヒュ――と風が吹き抜ける。高層ビルと言われるものの最上階。こんなにも高さのある建物を見るのが初めてだったにも関わらず、感嘆の声を上げる暇もなし。首根っこを掴まれて連れてこられたのはそこの最上階のさらに上。尖っている屋根の上にいた。


「何?」

「ここはどこだ!倉敷じゃない!」

「だーかーらー今から行くんでしょ?」

「は? 行くってどうやって?」

「ん、下」


 一本指を立てた晴がその指を真下に向けた。え? あれ? え? それって本気で言って――


 一瞬体がフワッと浮いて、あとはもう物凄い轟音が耳に響いていて必死で清にいろんなことを叫んだけれど、自分でも何を言ったのか、分からないぐらい頭の中は大混乱だった。


 晴がこちらに向かって何かを言っていた。口元を見て、その意図を読みとろうと挑戦してみるけれどぜんぜん分からない。未だに落ちていく二人の体。一体何メートルあったのか、このまま永久に落ち続けるんじゃないかと思うぐらい長い間落ち続けていた。


プツン――


 何かが断ち切られるようにして風景が変わった。数秒後、目の前が真っ黒な世界に変わって、一度瞬いたときにはもうすでに見慣れた風景が目の前にあった。


 あれだけの高速で落ちていたはずの体はいつの間にか止まっており、地面よりほんの少し……一、二センチ程浮いていた。


「着いたよ」

「……確かに」


 ここは倉敷だ。自分がよく知っている倉敷だ。とん、と足が地面に触れる。体に戻ってきた重力感に安堵した。さっきのは一体何だったのか。


「晴、」


 呆然と雑踏を見つめながら右手は手招きをして空を切る。晴は自分のその手を押さえて言う。


「千里、落ち着いて。大丈夫だよ」


 宥めるような晴の声。手を握る温もり。それを感じながら周囲を見回した。いつもの風景だ。見慣れた黒髪に着物。あれ、そういえば自分たちの服装はここの人たちとはずいぶん違う。自分はマキシムからもらったスーツで正装しているし、晴もセーラー服という正装をしている。ここじゃどう考えたって浮く。でも、誰一人こちらを見ている者はいなかった。


「この人たち、こっちが見えていない?」

「そうだよ。今私たちがいるここは隙間なの。千里がいた世界と同じ時間軸で平行して存在している他の世界の間に私たちはいる」


 見て、と手を伸ばした晴。その手のひらが見えない壁に触れた。透明な壁に触れた瞬間、そこに波紋が生まれる。


「……きれいだ」

「うん、そうだね。でもね、これは異常なんだよ。本当はこんなことで波打ったりしない。どんなもので叩いても、この壁はビクともしない。……でも」

「魔術ならできる」

「そう」


「魔術を使えば今の私たちみたいに場所、時間を移動することもできる。移動した先、壁の向こう側とこの隙間側。二点から同時に時空間破壊の魔術を使えば壊せる」


「そんな簡単に……?」


「もちろん、一カ所だけじゃだめだよ。何カ所か、もともと壁が弱いところを壊していって、それでようやくこうやって波が立つくらいに壁が弱くなる」


「一般人が通り抜けられたりはする?」

「……する、人もいる」


 言葉を濁しながら世間では幽霊だとか宇宙人だとか、いろいろ騒がれているみたいだけど、と言葉を続けた晴。


「あ――……なるほど、魔術師の素質がある者は入れてしまうのか」

「そう。だから、素質のあるものなら、今の私たちのことが見えるときもある。ずっとじゃないだろうけど」


 じゃあときどき見ていたあれらは幻ではなかったのか。


「……千里?」

「……あ、ごめん。なんでもない」

「本当に?大丈夫?」

「大丈夫。それより、自分はどうしたらいい?」

「左目を使ってくれる?」

「左目を使う?」


「今はまだ裁きの天秤側がこちらの動きに気づいていないみたいだから、今のうちに壁の薄いところを見つけて修復をしておきたいの。その薄くなっているところを千里の目で見つけて欲しい」


「それはいいけど、どうすればいいのか」

「そればっかりは本人のことだから私は何も言えないんだよね。だからとにかく頑張って」

「そう言われてもなぁ……」


 うだうだ言わない! という晴の言うことはもっともだけど。そもそも魔術を使う、という感覚が分からない。左目を覆い隠していた包帯をするすると解いていく。右手で左目を触った。痛みは全くなかった。顔を上げると、世界と狭間の壁面に反射して浮かび上がっている自分の顔。左目を覆う右手を退け、瞼を上げた。


 青い眼球。始めは赤かった眼球は、あのマキシムとの魔術陣のやりとりの後、青に変わった。今は瞳すらも青い。いつかに図鑑で見た、鉱石のクリスタルのようだった。美しい、そう思った。これが自分の目なのか。淡い光を放つクリスタルの目は動いた。もうひとつの右目と同じように。まさか、と思った。両目を閉じ、左手で右手を覆う。まさか……な、まさか魔術がそこまで……。開いた左目の瞼。はっきりと写っている風景はさきほど右目でいた風景のまま。見えていた。


「嘘、だろ……目が見える」

「目?」


 いそいそと何か他のことをしていた晴が振り返る。あぁ、と頷いて、まるでクリスタルのような眼球を見開いて指さして見せた。


「わ! すごい綺麗!」

「……だな。自分も吃驚した」

「え?自分のことなのに今更?」

「分からないこと過ぎていっぱいいっぱいなんだって」

「その目を使えば見えるんじゃない?」

「……やってみる」

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