第5話 覚醒

ふふふ、と高い笑い声が耳元で聞こえた。次の瞬間、左側頭部に走る痛み。軽く弾き飛ばされるようにして地面へと体が打ちつけられた。埃が舞い上がる。


「っ、た…………」


 うつ伏せに這いつくばる体はピキピキと痛む痛みで小さく震えていた。痛い、痛い。こんな痛みを経験したのは初めてだ。


「ほらほら、早くしないと!」


 頭を上げて声のする方に顔を向ける。立ち上る埃がおさまったとき、目に映ったのは先ほど出現した刀だった。磨きあげられた刀身が輝きを放ち、一瞬目が眩んだ。そして、次に目を開いた時、そこにもうそれはなかった。


 次に自分が理解したことは腹部の痛み。鋭利なもので傷つけられた痛みではなく、鈍痛。おそらく蹴られたのだろうと理解した。切られたのじゃないならよかったと思った数秒前とは反して、今自分は痛みに悶えている。


「ほら、早く起きあがらないと?」


 うめき声を出しながら、くらくらする目眩の中で瞳は晴を捕らえた。参ったな。魔術師と武道は無縁で、運動はできないものだろうと勝手に思い込んでいた。それがどうだ。まるで男のような蹴りの力。軽々と自分を飛ばす彼女はこんなにも細い女の子なのに。これが魔術師なのか。


「ねぇ、聞いてる?」


 ツ――――


 生温かいものが額を伝うのを感じた。それはやがて目にかかり、頬へ……いや、その血は頬まで達することなく、左目の空白の中へと流れ込んでいった。ポコポコと音が鳴っているのが聞こえる。頭の中にその音が直接流れ込んできた。生温かかった左目からは徐々に温度がなくなり、しばらくするとピキピキという聞いたこともない音が聞こえるようになった。


「ふぅん、千里はそういうタイプなのね」


 いつの間にか自分の側から離れていた晴がタンッ、タンッとリズムよく体を跳ねていた。


「マキシムどうするの? これじゃあまだ無理なんじゃない? 千里にはまだそういう知識がないんでしょう?」


 気がついたらさっきまで自分が目を向けていたところで跳ねていたはずの晴がマキシムの隣に立っている。いつの間に移動した?と考えを巡らせていて気付く。いつの間にか、先ほどまで感じていた痛みが引いていた。蹲っていた体を伸ばしてゆっくりと体を起こす。


「そうですね」


 マキシムは晴の言葉ににっこりと笑うと、こちらに顔を向けて言った。


「では千里さん。今の感覚を覚えておいて下さい」


 今の感覚?


「千里、まだ分かっていないの?」


 くすくすと笑い声を上げた晴が手に持っていた刀を離した。すると刀は剣先から床に落ちることなく、まるで空気に溶け込んでいくかのようになくなった。それを見てようやく肩から力が抜けるのを感じた。


 晴は仕方がないなぁと言いながら自分の前まで歩いてきた。自分の懐にしまっていた手鏡を取り出し、鏡面をこちらに向けて差し出してきた。


「ほら、見て?」


 そこに映っていたのは目を見開いている自分の顔。


「う、あ……」


 ある。目が。左目があった。無意識に手が伸びていく。コツンと指が鏡に当たった。


「赤い、目……」


 白目の部分も瞳の部分もすべてが赤かった。まるで先ほど流した自分の血色をすべて吸収したかのようなその姿に息を飲み込む。

 そこでようやく自分は実感した。


「魔術師……」


 そう、自分は魔術師になったんだと。

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