第2話 獅子頭の男

目を開けば、見慣れない天井。


「…………ここ、は?」

「目を覚ましましたか」


 ベッド脇にはあの獅子頭の男。


「……で、あなたは男なんですか?」

「はははっ、もしやあなたの眉間の皺の原因はそれですか?」


 聞き慣れない叫び声にも似た笑い声に肩が狭まる。


「えぇ、まぁ」

「それはそれは。私としたことが名乗り忘れておりましたね。私はこの世界ワールドの管理人、マキシムと申します。呼び捨てで呼んで頂けたら結構です。性別は男です」

「わーるど?」

「はい、ワールドと言います」

「……よく分かりませんが、自分は千里ちさとと言います。千里で結構です」

「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げているマキシムに取り敢えずこちらも頭を下げる。

 色々と深く掘り起こして聞き出したいことは沢山あった。世界とは何か、管理人とは何者なのか、とか。だが、今はそれよりもここがどこなのか、それを知りたかった。


 それでここは……? と言いながら布団から体を起こす。ゆっくりと部屋の中に視線を這わして辺りの様子を確認した。とても豪華な部屋だ。自分の知っている風潮からしたらとても新しい。一品一品の縁に金が入っている。こんな豪華な部屋で寝られるとは人生何があるか分からないものだな。


「おや、笑っておられるのですか?」

「え? あぁ、笑っていましたか?」

「はい、それは楽しそうに」

「いえ、いい経験をしたなと思いまして」


 このマキシムが驚いている理由は分かっている。おそらく、この異様な状況で落ち着いていられることがおかしいのだろう。もしかして自分は狂ってしまったのだろうか。それならばもう少し混乱していてもいいとは思うのだが。そもそも狂った経験がないので、狂ってくるかどうかすら分からない、……か。なんとも言い難い。


「こちらをどうぞ」


 にこりと笑ったマキシムから手渡されたのは上下服一式。……着替え? ハッと気づいて自分の体を見る。羽織っていたお気に入りの黒いコート、その下に着ていた古めかしいスーツ、首に巻いていた母から貰ったマフラー。手にハメていた皮の手袋。すべてがない。ズボンにシャツ、それが今の服装だった。不審に思いながらも受け取った服を広げる。


「これは?」


 自分の服ではなかった。見たこともない素材。


「今日からのあなたの正装でございます。千里さん」

「は、はぁ?」


 誘導されるがまま服を着て、マキシムの後ろに続いて廊下に出る。出た先はこのマキシムと出会ったあの古めかしい教会ではなかった。見たこともない建築。壁は真っ白だった。思わずほうっと息を呑む。手を当てればひやりとした感覚が自分を魅了した。なんだ、これは。


「では行きましょうか」


 そんなこちらの様子を気にかけることもなくマキシムは歩き出した。ううん、咳払いをして体勢を元に戻す。決して恥ずかしいと思った訳ではない。……そう、ただ意識を改めただけだ。


 着いたのは格式高く、金の彫刻の施された大きくて豪華な扉。とても大きい。見上げる高さだった。こんな扉、手で押して開けるのだろうか、と不安に思ってマキシムを見る。


「あぁ、それでしたら大丈夫ですよ」


 まだ何も言っていないのだが。どうやら彼には通じたらしい。その大きな扉の左側、よく見ると白い壁に小さな取っ手がついていた。まさかと近づけば、そこには壁と一体化している扉があった。


「私たちはこちらから入ります」


 ギギギ、どうやら古い扉のようだ。蝶番の錆びた音。見た目と違ってこの建物は築年数が経っているのかもしれない。なくせばいいのにと思ってしまうような、少し邪魔な敷居を跨ぐ。顔を上げるとそこには大きな、とても大きな丸机とそれを囲うように配置された丸椅子があった。そのいくつかはすでに埋まっていた。


「千里さんはこちらにどうぞ」


 マキシムの案内でそのうちの一つに座る。


「ん~? これはまた若い人が来たね!」


 一番にこちらに興味を持ったのは対角線上に座っている女性……いや、女の子?


「はじめまして。千里と言います」

「はい、はじめまして! 私はじん。千里って呼べばいい?」


 肯定の意味を込めて軽く頭を下げれば、ふふふと意味ありげな笑顔。少しむずむずするやり取りだった。女の人と接する機会が多い方ではないためこういうやり取りには慣れていない。こういう視線を送られても、一体何を意味しているのか読みとるのがとても難しい。だから大抵は女の人との付き合いは避けるようにしている。今回もそれでいこうと思う。


 早々に視線を外してその隣を見る。男性……か、その他の人は……とさらにその隣に目を向けて、ギョッと目を疑った。マキシムを見てしまったのだからもう何が来ても驚かない、とそう思っていたんだが……そうでもないらしい。


「そ、そちらは?」


 思わず凝視してしまった。晴という女の子以外は男性だなと安堵しつつ、最後に目に映ったのは鷲の頭。人間ではないというのことに違和感しか感じない。


 うん? と不思議そうに顔を横へ向けるその者。やはり体は人だ。鳥だから顔を横にしないとこちらが見えないのか? 落ち着きなく首を動かすものだから目が離せない。


「ん? あぁ気になるか? そんなに見つめられると照れるな……私はアイ。見ての通り、鷲だ」

「は、はぁ」

「で、その晴の右隣の男はオーイル。その更に右隣の男がオッチオ」


 これで全員だと鷲男は説明を終えると両腕を組み目を閉じた。温厚な性格らしい。そうして落ち着いていてくれると集中できて助かる。


「えぇっと、オーイルさん?」

「あぁ、ちなみに私は鶏だ」

「はい?」

「オッチオくんは狼だ」

「……どうも」

「これはどうも」


 頭の中は不確定要素がせめぎあい、大混乱だった。鶏に狼? しかし、彼らはどう見ても人間の顔だった。誰かもう少し詳しく説明してくれないか。


 ……整理しよう。ここにいるのは自分を除いて五人。自称管理人で獅子、マキシム。唯一の女性、晴。鷲男、アイ。鶏男、オーイル。狼男、オッチオ。


 それにしても覚えにくい名だ。どう考えても和名ではない。晴さん以外は横文字。欧人か。自分の人生において欧人とこうして会ったことがなかった。まさかこうして対面する日が来ようとは。だが、別段不安に思うこともなく。もう少し取り乱すかと思っていたのだが、欧人と言いはするが、我々和人と変わらないな。……変わらない? いや、おかしい。


一体、自分はいつから?


「失礼ですが、皆様どちらの国の方でしょうか?」


 一拍の間。そののち、からからとした軽い笑い声が広間を反響し響き渡る。ひとしきり笑い切った晴が徐ろに口を開き、言った。


「分からないの、お兄さん? どう見たってすぐ分かると思ったんだけど」

「いいえ、実は自分の国はとても閉鎖的な国でして」

「えぇ! 日本でしょう? あの国はとても発展していて国際的な国じゃない?」

「……は? に、日本とは?」

「……え?」


 頭の中が真っ白になった。ここはどこだ。この人たちは誰だ。自分はなんだ。自分は誰だ。クラリとした感覚。懐かしい、覚えているぞこの感覚。いいぞ。早く、早く元いた世界へと戻してくれ。――これはきっと夢だ。

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