第7話 なにかがほしい。


私にはなにもない。


今から約14、5年前、前嶋香子(まえしまかのこ)小学五年生の時分。クラスメイトの間で、病んだ様な自作の歌詞が売りのアイドル歌手が流行っていた。

そのアイドル歌手の名は山咲まゆみ。

通称マユ。


彼女の持ち歌の中でのワンフレーズ。


“私にはなにもない”


なるほど「病んで」いる。

これが何故大多数の女性を始めとするリスナーの指示を得たか、香子には知る由もない。

事実、クラスで流行っていたと言っても香子はこのマユのことなど好きでもなんでもなく更に言えば歌詞も同情を買うような自虐をむつかしい言葉に変換しているだけだと子供ながらに侮蔑していた。


それでもあるクラスメイト達は「歌詞に共感するよね〜。」

「わかるわかる」

などと言い合っていた。

全くマセた小学生である。

香子はクラスでも国語の成績はトップクラスだった。

その香子から見てなんの感慨もわかないどころか意味不明な歌詞に共感すると皆は言う。

“私にはなにもない”のは分かるのだが、その「欠点」を美徳とするのはやめてもらえないか。と香子は常にクラスメイトを冷ややかに見ていた。


小学五年生と言えば、幼児体形はもとより男女の違いのない平坦な体のラインからも脱し、中には初潮を迎えるクラスメイトさえいた。


つまり「性」と「個」を意識し出す厄介な時期である。


かく言う香子こそが初潮を迎えた数少ないクラスメイトでもあったし、スポーツタイプのブラも進級と同時に付けていた。


しかしそこに優越感なるものは皆無だった。

それよりも疎外感が圧倒的に勝っていたからだ。


皆は、保健体育の性教育の時間「生理やだなー」と言ってそこから話題を広げ「セックス出来る体なんだって!」と面白可笑しく話し合っている。


そのターニングポイントなら既に経ている香子から言わせれば「なにが生理だ。『生理現象』の生理ではないか。」と半ば達観したような思いで見ていた。


しかしこの「生理を迎えたもの迎えていないもの」の構図が「マユに共感するものしないもの」のそれにリンクする気がして些かの居心地の悪さを感じていた。


中学に入れば更にその居心地の悪さは色濃くなっていった。


皆の個性が暴れ出し、我と言う我が表面化しだす。


オシャレに気を使ってますグループ。

目の前の異性を意識せずアイドルや二次元男子に入れ込むグループ。

既に将来のビジョンを見据えて学業に心血を注ぐグループ。

部活に情熱を燃やすグループ。

などなど。


動物に種族や生態があるのと同じで人間に個性が芽生えるのは至極当然のことだと分かっていた。

なら何に香子は引っかかっていたのか。


それは、それら個性が「グループ」と言う名の見えないを島を構成していることだ。


島に入るには共通点と言うパスが必要だった。


しかし香子にはなにもない。


ファッションの流行を追うには小遣いが足らず、アイドルや二次元は好きでも嫌いでもないし、将来なりたいものも特にまだないし、所属する手芸部でどう情熱を燃やせと言うのか。


“私にはなにもない”


奇しくも香子は、リアル・マユになっていた。

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