第5話 素直さがほしい。
叶谷は冷静になるにつれ青ざめた。
自らのコメント。
明らかに喧嘩を売っている。
いや、売られたのはこちらなので「買った」が正解か。
どちらにせよ両者リングの上で相見えたわけだ。
叶谷の最終コメントから32分が経過した。のこからもしゅらからも反応はない。
現在時刻22時16分。
学生や社会人が床につくには早く、夕飯には遅すぎる。
「、、、風呂かな?」
それが妥当な推測だと思う。
もしくはこちらが不快の意を込めた返しをしたが為に退出したか。
それならそれで構わない。
不意に叶谷はPV(ページビュー)の数字を見た。
のことのやりとりを始めた頃に併せて上昇傾向にある。
つまりこれはのこと叶谷本人を除く誰かがこのやりとりを覗く為に足を運んでいると考えることもできる。
「私は、今年、26になりました。」
あろう事か叶谷からしゅらへのコメントに対し、のこからの返信。
この一文が決定打になり、当初から抱えていた疑念の靄が晴れた。
「この子は多分、天然だ。」
馬鹿だとは言わないが、のこは恐らく天然ボケと呼ばれる種に属しているのだろう。
この流れに対し、確かに叶谷は過剰に反応してしまった。が、不穏な空気と言うものを感じ取れない26歳と言うのもどうかと思う。
「お若いですね。」
例によってすぐ様返信した。
叶谷こと黒は、ブログ上でも実年齢で通している。
この返信文に若干冷たさを感じるのは否めないが、ここでいきなりのこと和気藹々とするのも訳がわからない。
叶谷は既に空気を読んで戦闘モードになっていたからだ。
しかし一旦頭の熱を冷ます頃合いかもしれない。一階に下り、麦茶を注いだコップを手に再び部屋に戻る。
「29ですが?」
思わず麦茶を吹いた。
このタイミングでの返信。
このしゅらと言う男、出来る。
のこの背後からこの俺を撃つような真似を。
叶谷は一人で感心混じりにごちた。
先ほどまでは二人はリングの上に立ったと思い込んでいたが違った。
こんなヒットアンドアウェイと、他人を餌に相手の出方を伺う真似が許されるのではこれはゲリラ戦と言ったほうがしっくりくる。
それにしても、叶谷の懸念は当たっていた。
飽くまで叶谷の主観だがやはりこのしゅらは叶谷をなめてかかっている。
29ですが?
この「ですが?」の「が?」が問題なのである。
これは神経の細い小心者の狭量漢・叶谷だからこそ読み取れるものであるが、このしゅらの文面には、相手の思惑を汲み取った上で開戦を受諾したような、言わば「来るなら来い」と言う気概が練り込まれている。
29ですが?
これを叶谷の脳内翻訳機にかけるならばこうだ。
29だがそれがどうした?何故今歳など尋ねる?馬鹿にしているのか?
と、こうなる。
確かに叶谷側からしゅらにアンカーをつけたコメント「幾つですか?」発言は、打ち込んだ記憶すら飛んでいるほど動転していたが、ともあれこちらの意は伝わってしまった。
もう後戻りは出来まい。
「僕のブログです。僕の記事へのコメントは、励ましならお礼のリプもしましょう。意見なら甘んじて耳を傾けさせて頂きます。ですが先ほどの『君はひとりじゃない。』あれはなんでしょう?僕の記事を読む以外の目的、誰かとの絡みをご希望ならSNSなどへ飛ばれた方がよろしいのでは?」
形こそ紳士然としているが、叶谷は自身の不満を要約し、なるべく最初はオブラートに包んだ威嚇射撃で間合いを測った。
これにはさすがに10分足らずで返信が来た。
「お怒りの様ですね。私なりにその理由を推測させて頂きました。黒さん、貴方は恐らく私がのこさん個人目当てでこの記事にコメントを残したとお考えなのでは?だとするならばそれは邪推と言うものです。事実、私はのこさん宛てにアンカーをつけてはいません。是非、上記へスクロールしご確認下さい。」
あちらも飽くまで紳士だった。
それだけではない。あちらは武器は愚か、まるで市街戦の戦地へ丸腰でスピーカー片手に和睦を唱える本物の紳士だった。
叶谷の見落とし。
すぐ様言われたままにスクロールし、しゅらのコメントを確認した。
最悪だ。
確かにしゅらの言う通り、誰宛てのアンカーもついていない。
これは邪推云々に対する反論の余地もない。
叶谷の額を冷たい汗が伝った。
己の神経質さ故、また心の狭さ故見ず知らずの訪問者に唾を吐きかけてしまった。
どうする。
黒はこの場合どうするのが適当か?
叶谷は熟考に熟考を重ねた結果
「すみません。言い訳がましく聞こえましょうが、このところ薬の影響で交感神経が刺激され他人の言葉を率直に受け止める余裕がありません。申し訳ありませんでした。」
なんと薬と病気のせいにし、謝罪したのだった。
あゝ謝るときは変に言い訳しないで謝れる素直さがほしい。
それより何より、他人のコメントをしっかり確認する慎重さが。
そして叶谷には、この一連の流れで片隅に追いやられてしまったのこの存在を気にする冷めた頭があった。
これで通信が途絶えたら、と考える。
実につまらない。
火種も無いところから無理に火を起こして関係のない家まで燃やしてしまった感じだ。
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