第2話 衝動がほしい。
バスを降りる。帰路。
田舎と言うには緑が足りず、都会と言うには娯楽が足りない。
よく言えば閑静でいて程よくスーパーやドラッグストアなどのライフラインが点在し、居酒屋やレンタルビデオ屋なども一応ある。八方美人を演じようとするも、見渡せば足りないものだらけ。
そんな街を擬人化したような叶谷。
実家を目指す足取りは重いが、いかんせん時間を潰す金も居場所もない。
何処にでもある、陰鬱な灰色なのかクリーム色なのかわからない壁に、アメリカザリガニの様な清潔感を欠く赤い瓦屋根。叶谷家。
二階建てのこの家を叶谷の父が建てたのが、まだ叶が生後二ヶ月ほどの頃、つまり父が26だか7の頃だと言うのだから、今現在の自分と比べてしまうと自らを恥じ入る感情はさすがに叶谷でも湧く。
実家の玄関を跨ぐと、これまた空気を読む癖がそうさせるのか、いかにも病院帰りだ文句あるかと言った調子に背中を丸めて二階の部屋に入った。
家に母はいない。
なんのことはない。パート仲間と旅行に出ているのだ。
実家にて、誰の目を憚るでもなく怠惰を貪る。
妙な万能感すら感じるから不思議だ。
おもむろにノートパソコンを開く。
日課のブログだった。
ブログタイトル「鬱と戦う猫好き旅人」
なんとも情報量の多い押し付けがましいタイトルである。
このブログは開設してもうすぐ一年になる。
叶谷が鬱病?の診断を受けたのは今日初めてだ。
加えて言えば猫好きでもないし、旅好きどころかかなりの出不精だった。
このブログは「ブログなんて、なりたい自分を演じてそれを発信してあわよくば閲覧数を伸ばしてくものでしょ?」と言う叶谷の歪んだ観点から構築されたものだった。
「あ、嘘?」
思わず声に出してしまった。
コメントが来ている。
この一年、足跡こそあるもののコメントは初である。
「いつも、見させてもらってます。鬱、辛そうですね。私も、こないだ、薬増えました。猫ちゃんは、癒しですね。新潟、いいところですね。この海は、何処の海ですか?」
句読点が多すぎる点は見逃すとしてこれはまずい。
他人のブログで拾った新潟の海の写真だ。
新潟のどの海かなんて知らない。知る由も無い。
適当に返すか?
「だから、新潟の海ですよ?」
いや、これでは喧嘩を売っている。
叶谷は逡巡した。
すぐさま文明の利器、グーグル様に頼った。
新潟の海岸の名前を検索し、写真のイメージに近い画像を探した。
奇跡的に見つかった。
いや、むしろこの写真と全く同じ画像が見つかってしまった。
「くそ!あのブログの作者も転載かよ?!」と恨みごとを零すもお門違いである。
まあいい、バレたらバレただ。
「これは村上の海です。人気が無くて良かったです。」
細かなディテールも気を配る。叶谷なりの配慮であった。
しかしハンドルネーム「のこ」と言い文面と言い、このコメントの主が女性であるのは明白である。
叶谷はたった今芽生えた自らの感情に些か驚かされた。
これは「わくわくする」と言う、心の隅の隅で更に負の感情の下敷きになっていた感情である。
出不精、人付き合いが苦手、加えて無職。
行動を起こすインセンティブは枯渇していた。
叶谷は自らの人生を電車に例えていた。
事故が起きる可能性は万分の一。
スピードを感じることなく進んでいく。
目的地は分からずともぼんやりと気づく。「ああ。今ここだから次は多分あそこだな」と、そんな曖昧な予想は悉く当たる。
この例えは我ながらかなり的を射ていると思っていた。
他人の様な「車のような人生」に憧れる。
他人が指すのが誰のことかは分からないが、スポーツで活躍する誰かであり音楽一つで食べてる誰かであり富を持て余しながらも牧歌的に生きる誰かであった。
そんな彼らの様な、次にどこへ行き着くのかも分からない暴走車。
当てのない旅の車。
他人の呼吸、一挙手一投足を気にすることのないマイカー、謂わばマイ人生。
空気を読まず進んでいく人生。
その人生を生きるのには、自分には衝動が足りなさすぎる気がしていた。
ツボを押される様な、針で刺される様な。
この子が俺を暴走車に乗せてくれないか。
「村上、一度いってみたいです。」
コメントへの返事の返事。
加えてこのスピード。
衝動をください、もっと。
できれば長いスパンで。
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