言の庭

唾 涎

第1話 病名がほしい。

「ありがとうございましたー。」


いえいえこちらこそ。

叶谷聡は薬局の自動ドアを背に心の中でごちた。

こんなにサクサクいくものなのか、と半ば精神科医とその在り方について(そんな立場ではないが)憂慮した。


「軽度の抑鬱状態」

状態とはなんだ、語尾に「病」をつけやがれ。はっきりとしない。

俺が欲しいのは判で押したような明確な「病名」だ。

これでは空手形ではないか。

再びごちる。


叶谷が今現在ここに居り、数分前にこの薬局に処方箋を出し、さらに遡ること数十分前この薬局の斜め向いに聳え立つ「愛和はーとクリニック」の心療内科を受診していたのは実に短絡的な理由があった。


極シンプルに言えば叶谷は現在ニートである。


この就職難のご時世、叶谷は一年と七カ月勤めた介護施設を先々月「人間が合わない」と言う、文法的にも滅茶苦茶な理由で退職した。仕事に行くわけでもない、学業に専念するわけでもない、はたまた追い掛ける夢があろうわけもない。叶谷の両親は表立って咎めることこそしないが、明らかに叶谷を疎んでいた。

元々小心者の叶谷は、いずれ来るであろう小言の波状攻撃に備えることにした。


よって、今現在ここに居る。


つまりネットで得た知識を手に、病気を騙り、申し訳程度にこのニートライフに大義名分をもたらそうとの発想だった。


とは言え思い通りの戦果は得なかったものの、心療内科と言うのはこうも「ちょろい」ものなのか。

眠れなくて辛い。元気が出ず、食欲もない。朝起きれない。性欲がなくなった。人に会うのが辛い。

「それ系」のブログに載っている病状は網羅した。

そして、処方箋を獲得した。

罪悪感と言うよりは羞恥心が疼いた気がしたが、所詮それも長くはなかった。


季節は8月。バス停が薬局から近いのは有り難かったがこの熱気はどうにかならないものか。と、先々月退職に合わせて車を売っぱらってしまった自分を呪った。


退職に際して生活コストを下げる頭はあるものの、その先を見通す先見やそもそもで言えば根気が無さすぎた。

今年で31、モラトリアムを謳歌するには適齢を過ぎている。


一旦薬局に戻り、バス到着時間ギリギリまで居させてもらおうかと、逡巡するや、100メートル彼方にバスが見えた。


バスに乗り込み、席は空いて居なかったので周りを一瞥し、お年寄りの傍と言う無難なエリアを見つけつり革を握った。

後部のベンチシートを占領する若者グループには近寄らことが出来ない。


叶谷は若者が苦手だった。

叶谷とて今年やっと三十路の門を開けたばかりで、若者の部類から隔絶されたわけではないが、そこは叶谷なりの機微だった。


「希望の匂いが怖い」

「若者は眩しすぎる」

「相容れないものを感じる」


敬遠する理由は本人にも分からない。


そつない素振りで窓の外を眺めていると、ふいに肩をぶつけられた。


「ごめんなさぁい」

若者軍の一角、個性的なファッションの女だった。


「っす、、、。」

無難と言う言葉の体現のように応じた。

笑うでもない、睨むでもない。

叶谷は決して美男子ではないが、生い立ちを呪うほどの不細工でもない。


空気を読んでしまう自分が嫌いだ。

あゝ病名(カテゴリー)がほしい。

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