The Troubles in Midwinter(前編)第3話
正月三が日も過ぎた1月4日、仕事始めの冬晴れの朝。
「平井部長、明けましておめでとうございます」
「おお、あけましておめでとう、吉野くん。
今年もバリバリ頑張ってくれよー。期待してるぞ。なんせ我が商品企画部門の若手のエースなんだからな」
吉野は、所属する部門の部長である平井と新年の挨拶を交わした。
「は?……俺、エースなんですか?」
「ははっ。君はそういうところが無頓着だな。むしろ、変にガツガツしてないからエースなのかもしれないが」
そう言って吉野の背をポンと叩くと、平井は快活に笑う。
「——ところで吉野くん。新年早々急なんだが、明日の夜、都合はどうだ?」
「明日ですか?……今の所、特に何もないですが」
「そうか、それは良かった。
実は、ある人とちょっと特別な飲み会を予定しててな。——君にも同席して欲しいんだ。
申し訳ないのだが、明日は車で出勤してくれるか」
「……ええ、それは構いませんが……」
「ああ、それから、明日は君の一張羅のスーツでな。——一番似合うコーディネートで来いよ?」
そう言うと、平井はどこかいたずらっぽい目で吉野に微笑む。
「は?
……あの、明日は一体どのような……?」
「まあまあ、急ぐな。それは明日のお楽しみだ」
平井の含み笑いの意味に首を傾げながら、吉野は明日の準備を脳にインプットした。
✳︎
翌日、金曜の夜。
会社近くの居酒屋で、吉野と平井はある人物の到着を待っていた。
「……もうそろそろかな。
……ああ、来た来た。小山田、こっちだ」
「おお、平井。遅くなって悪い」
店に現れたのは、吉野の会社の専務取締役である、小山田だった。
上等なコートとスーツを纏う肩幅の広い長身からは、経験豊富な堂々たるビジネスマンの風格が漂う。
「小山田。うちの若手ナンバーワンの吉野だ。今日はお前が是非っていうから、連れて来たぞ」
「おお、吉野くんか。君の噂はあちこちでよく聞いてるよ」
「吉野くん。小山田専務は、私と同期なんだ。あっという間に異例のスピード昇進して、今や次期社長候補になっちまったすごいやつだ。——まあ、プライベートはこうやって相変わらず飲み友達やってるがな」
「吉野くん、どうぞよろしく」
小山田は、低く響く声でそう挨拶すると、鷹揚な笑顔を吉野に向けた。
「あ……よろしくお願いいたします」
なんか、オーラのすげー強い人だな。
次期社長候補って……マジか……?
吉野の緊張が、にわかにぐっと高まる。
そんな小山田の大きな背の後ろから、美しい女がひょいと顔をのぞかせた。
「お父さん、そろそろ私の紹介もしてくれない?」
「ああ、そうだな。こっちに来なさい」
その求めに応じ、小山田は宝物を扱うように女を脇に引き寄せると、満面の笑みを浮かべた。
「——吉野くん。これは、私の娘の結衣だ」
「小山田結衣です。——よろしく、吉野さん」
そう言って、結衣は花の蕾が開くような美しい微笑を浮かべた。
「————はあ……
あの……?」
「吉野くん。
実はこの後、近くのフレンチレストランを二人分予約してあるんだ。
場所を教えるから。君の車で、結衣さんとディナーを楽しんで来なさい」
呆気にとられる吉野に、平井は平然とした顔でとんでもない言葉を口にする。
「…………は!?」
「私たちは、ここで引き続き飲む予定なんだ。——さあ、早く行かないと予約時間に間に合わなくなるぞ」
「人気の店らしいから、二人でゆっくり楽しみなさい」
そう言って、平井と小山田はニッと微笑み合った。
「……ちょっと……待ってください……
そんな話は……」
「なんだかそういうことみたいだから。
吉野さん、行きましょ?」
吉野の言葉を遮るように、結衣は華やかな笑顔を吉野に向けて綻ばせた。
はあ……?
————冗談じゃない。
そんな呟きを、漏らす場所もないまま——
結衣を自分の車に乗せてレストランへ向かう以外、吉野に選択肢はなかった。
✳︎
「——結衣さん、着きました」
食事を終え、吉野は結衣を自宅まで送る。
全く納得のいかない強制的なデートは、苦痛以外の何物でもなかった。
だが——トップに近い上司の娘だという恐怖感が、吉野の感情をがんじがらめに縛る。
「吉野さん、ありがとう。今日はとても楽しかったわ。
……また会えたら嬉しいのだけど」
「——結衣さん。
これは……あなたの企てですか」
「え?
……企てなんて、ひどいわ」
結衣は、何のダメージも受けない美しい微笑を吉野へ向ける。
「——困ります。
……俺には、本気の相手がいます」
吉野の真剣な声に、結衣は微笑みを消さずに淡々と答える。
「……そうなの?
なら、どうしてその方ときちんとお話を進めないのかしら?
あなたなら、どんな女の子も喜んでついてくるでしょうに」
「——女性ではありません。
俺の幼馴染です」
「…………」
吉野の答えに、結衣は一瞬目を見開いた。
「……気が変わりましたか」
「……その辺の偏見はないわ。——素敵ね、幼馴染の同性を想うなんて」
結衣は、グロスの綺麗に塗られた美しい唇を引き上げる。
「————」
「でも——女を愛せないわけではないでしょう?
あなたの恋愛対象はこれまでずっと女の子だったのだから、全く問題ないわよね?
それに……
何一つ実らないものを追いかけて……何になるの?
あなたが彼といくら想い合っても——結婚もできないし、家庭を築けるわけでもない。
それにしがみついたって……どこまでいっても、何の収穫もない。
——あなたは、それで満足できる?」
結衣のむき出しの言葉に、吉野の瞳の底が激しく波立った。
「……あなたは……
収穫のためにひとを好きになるんですか?
そういう発想しかできない人とは、余計付き合いを深める気はありません。——たとえあなたの親が、社長候補だろうと何だろうと」
吉野の鋭く刺すような言葉に、結衣は一層隙のない完璧な笑みを零す。
「ねえ、吉野さん……私を落としたい男がそこら中に山ほどいるの、知らないの?
この私が、あなたを選んで声をかけた——こんなビッグチャンス、人生で一度きりかもしれないわよ。
私といれば、あなたの手には間違いなく多くのものが転がり込んでくる。普通はそうそう手に入らない、たくさんのものがね。
——欲しくない?」
「————」
そんな結衣へ返そうとする吉野の言葉が、一瞬ぐっと詰まった。
「——ほら。やっぱり」
結衣は、ここぞとばかりにしたり顔で微笑む。
「……今日のあなたの言葉は、聞かなかったことにしてあげるわ。
もう少し、ゆっくり考えてみて」
「これ以上、時間なんか必要ありません」
「ふふっ——そうやって言いなりにならない暴れ馬みたいなところが、たまらなく好きなの。さすが社内に名を轟かす吉野さんね。
でも、あんまり元気が良すぎるのも——どうかしら。
自分の首を絞めることにならなければいいけど」
「——あなた、可哀想な人ですね。
親の力を借りて、人を思い通りにするつもりですか?
……自分に気のない男を無理やり側に置いて、楽しいですか」
「大勢の女子が落とせなかったあなたが、私のものになる。羨望の目を向けられるのは、間違いなく爽快よ」
「————勘弁してくれ」
吉野は、堪え切れずにそう言い捨てる。
「——私の方を向いてくれたら、私はなんでもするわ。あなたのために。
私、あなたが好きなの。……これは本気よ。
それに……そのうち、きっと気が変わる。
男の人が欲しいものは、結局力だもの。——そうでしょう?
今日は楽しかったわ、吉野さん。
また連絡します」
吉野の言葉をろくに聞こうともせず、結衣は艶やかに微笑むと、美しい身のこなしで車を降りていった。
——おい。
考えることなんて何もないだろ、俺。
この先、どうなるとしても……
こんなふざけた話……
苦し紛れにハンドルに拳を叩きつけ——そのまま両腕をぐったりとハンドルにかけると、吉野は深いため息と共に額を強く腕に埋めた。
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