The Troubles in Midwinter(前編)第4話
1月の上旬、金曜の夜。
リナに呼び出され、岡崎は会社近くのカクテルバーでリナに会っていた。
「リナさん、今日はどうしたんですか?」
自分の酒をオーダーすると、岡崎は何気なくリナに問いかける。
「……ん?あ……」
リナは、何か考え事をするように彷徨わせていた視線をはっと戻し、岡崎の問いに応じる。
「え、えーーと……
あ、ほら、今来たばっかで何だかまだ飲みが足りないじゃない、私たち?
もう少し、ゆっくり飲んだり食べたりしてから話したいんだけど……それでもいい?」
「……ええ、それはもちろん……」
いつもとどこか違うリナの表情をちらりと窺い、岡崎は届いた酒を口にする。
リナはいつになく押し黙り、モスコミュールをハイピッチで喉に流し込んだ。
手軽な料理を適当につまみ、酒も程よく回った頃、リナはおもむろに口を開いた。
「……岡崎さん。
最近、順とは会ってる?」
「え?……いいえ。あいつ、最近忙しいみたいで。俺もちょっと慌ただしくしてるし……ここ暫くは」
「…………そう。——やっぱり」
「——吉野が、どうかしたんですか?」
リナは、暗い眼差しで俯くようにしながら、苦しげに呟く。
「…………あのね。
ちょっと、言いにくいことなの。
順の会社に勤めてる友達から聞いた話なんだけど……
順ね……同じ会社の秘書課の女子と、なんかお見合いっぽくなってるって……
順の会社の専務っていう人の娘で……なんでもその女が順のこと気に入って、父親経由で順と会ったらしいの。
——その父親、次期社長最有力候補らしいわ」
そこまで話すと、リナはテーブルの上に拳をギュッと握る。
「——卑怯よね、そんなの。……卑怯すぎる。
……岡崎さん、どうしよう」
悔しげに呟き、リナはじわじわと潤みそうな目で岡崎を見つめた。
岡崎は、そんなリナの取り乱した様子を驚いて受け止める。
「——リナさん……
どうして、そんな……」
「岡崎さん……ごめんなさい。今まで隠してて。
本当は——気づいてたの。前から。
あなたと順のこと」
「——————」
「もしも……
もしも順が、その女に取られちゃったら……
……そんなの、嫌。
私は絶対に嫌!!!」
「——リナさん。
あなたは、本当に素敵な人ですね」
「————」
泣き出しそうになるリナの頭に優しく手を置き、岡崎はその瞳を優しく覗き込む。
「……大丈夫ですよ。
だから——そんなに心配しないでください」
「……本当に?」
「本当です。……ほら、泣かないで。
その話は、少しも心配いらないですから……ここからは、いつも通り楽しく飲みましょう。
じゃないと、せっかくのお酒も料理も、この時間ももったいない。……でしょ?」
岡崎は、小さな少女にでも言い聞かせるように、明るく笑う。
「——うん。
じゃ……岡崎さんを信じて、本当にもう心配しないからね?」
リナはやっと子供のような泣き笑いの顔を上げ、岡崎を見つめた。
「リナさん……ありがとう。
——あなたと友達になれて、良かった」
笑顔の戻ったリナに、岡崎は心から嬉しそうに微笑んだ。
✳︎
『少し話したいことがあるんだが。それほど時間はかからないから、都合のいい日時を連絡くれ』
岡崎から、吉野にそんな連絡が来た。
相変わらず、電報かと突っ込みたくなるほど必要事項だけの素っ気ない文面だ。
それだけに、何の要件なのかは全く読めない。
あー……なんかやだな。
できれば、今は岡崎に会うのを避けたかった。
あいつに何も知られないまま——小山田結衣との件を、なんとか片付けたい。
そんな気がしていた。
だが……トップに近い上司の娘との話を、そういい加減に扱うこともできない。
あの娘も思った以上に押しが強いし——
あいつに会って、この件に触れなければならないとしたら……一体なんと説明すればいいのか。
この話をしたら——あいつは、何と言うだろう。
それを考えると、漠然とした不安がむくむくと湧き上がる。
それでも……岡崎からこんなふうに連絡が来ては、会うのを拒み続けるわけにはいかない。
『——来週の木曜なら、大丈夫だ』
吉野は、ぐちゃぐちゃとまとまらない思いをどうにもできないまま、岡崎への返事を返すしかなかった。
✳︎
翌週、木曜の夜。
吉野と岡崎は、いつものカクテルバーにいた。
「忙しいのに、呼び出して悪いな。
でも、俺も今日はゆっくりストロベリータルトまで楽しんでる時間はなさそうだ」
岡崎は、いつものさらりとした微笑でそう言うと、ウイスキーに浮かぶ氷をカラカラと回す。
「岡崎……なんだよ、話したいことって?
それに、時間がないって——これから何か予定でもあるのか?」
吉野の問いに、岡崎はグラスから目を上げないまま、淡々と呟く。
「俺さ。
この前、部長からアメリカ赴任の打診されて。
——行こうと思ってる」
「え——
それって……
すぐ帰ってくるんだろ?……期間はどのくらいだ?」
「少なくとも2年」
岡崎と同じ酒の入ったグラスに手を伸ばそうとした吉野は、何か聞き間違いでもしたような顔で岡崎を見つめた。
「—————2年……?
……2年って……
そんなに…………」
岡崎は、グラスをカラリと呷ると、なんということもないように続ける。
「——まあ、そういうことだ。
だからお前も……自分のこと、ちゃんと考えろ」
「……どういう意味だ」
「——次期社長候補の専務のお嬢さんに、気に入られたんだろ」
「…………岡崎————
どうして、それ……」
「リナさんから聞いた。
女子の情報網ってのは、思ったよりすごいな」
「…………それは。
その話は、断るつもりで、今——」
「……迷ってるんじゃないのか」
岡崎は、静かな表情を変えることなく吉野に視線を向ける。
「————なんでそんなこと言うんだ」
吉野は、ぐらぐらと揺れる瞳で岡崎を強く見つめ返した。
「責めてるんじゃない。
むしろ——それでいい。
こんなビッグチャンス……恐らく、またとないだろ。
それに——
そんな話断れば、社内でのお前への風当たりも強くなったりするんじゃないのか」
「…………」
岡崎は、眼差しに一層力を込めて、ぐっと吉野を見つめる。
「————吉野。
今すぐに、急いで何か答えを出そうとするのは……きっと間違いだ。
——お互いに。
だから——
今度会った時に、どうなってるか……
それを見てから、この先を決めないか——俺たち。
それまでは……お互いを縛るのは、やめてみないか」
「…………なんだよ……?
それ……どういう意味だよ……?
なんで…………
それに——今度って。
今度って、いつだよ」
「俺は、向こうの協力会社と事前の調整があって、2月の頭から1ヶ月、日本を離れる。
そして、4月からとりあえず2年間、赴任期間に入る。
——その期間を終えるまでは、お前には会わずにいたい」
「……おいっ——!?」
岡崎は、吉野に遮られることなく、穏やかな声で言葉を続ける。
「目の前のことをしっかり判断もせずに、ずるずると中途半端なものを掴んだままでいては——きっと後悔する。俺も、お前も。
……ただ——
俺のこの提案にお前がどうしても同意できないなら、そう言ってくれ」
「——————」
二人の間に、長い沈黙が流れた。
「…………どうして。
どうして、こんなことになるんだ?
どうして、こんなにも先の見えないことに…………」
吉野は、苦しさに耐えかねて膝の上に拳をギリギリと握りしめ、低く呻く。
その言葉に、岡崎は静かに微笑んだ。
「——先のことが見えるようになったら……その時に、また会えばいい。
それから……
あのサボテンは、お前に任せる。
邪魔になったら、処分してくれ。
準備もあるし、俺そろそろ行くぞ。
——じゃあな」
岡崎は、淡々とそう言いながらするりと席を立つと、一度も吉野を振り返ることなく店を出ていった。
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