The Troubles in Midwinter(前編)

The Troubles in Midwinter(前編)第1話

 クリスマスも過ぎ、その年も残すところあとわずかになった火曜の夜。


 吉野は、沢口美羽に再び呼び出され、以前彼女と会ったカフェにいた。



 話したいことがあれば、また改めて聞く……彼女を何とか撤収させるために、うっかりその場しのぎの言い方をしたのが間違いだった。




 確かに、あの日美羽と話したことが、自分自身の気持ちに気づくきっかけになったし……そのおかげで、岡崎の不安も解消してやることができた。

 感謝はしている。


 だが——それとこれとは話が別っていうか……。



 煙草の煙を横に吐き出しつつ何となくそんなことを考えていると、自分の前に、ふと花のような甘い香りと人の気配が漂った。



 顔を上げると……そこには、驚くほど美しい女が立っていた。




 滑らかな白い肌。整った眉の下に黒く潤う、大きな切れ長の瞳。

 淡い桃色の頬に、同じ色の艶やかな唇が微笑む。



「吉野さん……ここ、かけてもよろしいですか?」


 吉野を見つめ、女は少し首をかしげた。

 後ろで凛々しく一つにまとめた髪。サラサラと艶やかな前髪がかかるのを、美しい指が滑らかな動きでその耳にかける。

 きっちりと着こなしたスーツの上からも、女性らしい身体の美しいメリハリがはっきりと感じられる。


 その美しさと知的な雰囲気に、吉野は一瞬目を奪われた。



 ——うーん。

 …………誰だっけ?

 とりあえず、美羽ではない。




「…………えーっと……?」


「私、秘書課の小山田 結衣と申します。

社長付きの秘書をしております。——ご存知かしら?」

 明瞭に澄んだ声でそう自己紹介すると、結衣は再び美しく微笑む。


「あー……そうでしたか。

生憎そういう情報にはあまり興味ないもんで。

……っていうか、今日俺は別の女の子と会う予定なんですが?」


「知ってます。……だって私は今日、美羽ちゃんの代わりにここに来たんですから」



「は……?

代わり……って……意味がよくわからないんですが」


「私の可愛い後輩が、あなたに素っ気なく振られた——簡潔に言えば、そういうことです。

美羽ちゃんに泣きつかれて、驚きました。……まだ話も途中なのに、無理やり追い返したそうですね?

今日は、その件であなたとお話ししたくて。美羽ちゃんに機会を譲ってもらって、ここに参りました。


……あ、私にもコーヒーを」



 その非の打ち所のない美貌と礼儀正しい言葉遣い、品のある物腰に、吉野もなんとなく身構えざるを得ない。


「……あの時、続きがあれば話を聞くって俺が伝えたのは、美羽さんですよ?

全く無関係のあなたにこうしていきなり割り込まれても」


「いいえ、無関係じゃないわ。

私の大切な後輩や友人が、何人あなたに振り回されたか……ご存知ないのかしら?」

 理路整然とそう話すと、結衣は運ばれたコーヒーを静かに口へ運ぶ。

 

「美羽ちゃんは、この前あなたに『本気の相手がいるなら早く身を固めろ』なんてお話ししたようですが……私も、彼女と全く同意見です。

——あれ以来、その辺をどうお考えなのかしら。私もぜひお聞きしたいわ」


 結衣は、唇を僅かに引き上げるように、吉野の瞳をじっと見つめた。



 その問いかけに、結衣を寄せ付けようとしない吉野のぞんざいな空気が、一瞬心許なく揺らいだ。



「———身を固めるも何も……


——あいつとは、そういうのは…………」



 強気だった視線をふっと弱めると、吉野は小さくそう呟いた。



 その独り言のような呟きに……手にしたカップをテーブルへ置き、結衣の美しい瞳は一層大きく見開かれた。


「あら——そうなんですか?

つまり、あなたが本気のその方とは、特に将来を約束するご予定はない……ということかしら?」



「————」




 ——どうしろっていうんだ。


 あいつと結べる将来の約束って……なんだよ。



 そんな話はしたくもないし……その現実を見つめることも、吉野にはたまらなく悔しく、苦しい。



「わかりました。……それをお聞きできれば、今日はもう十分です。

突然こんなふうにお邪魔して、ごめんなさい。

——では吉野さん、また」



 どこか力を失った吉野の瞳を見つめて艶やかな微笑みを浮かべると、結衣はくるりと背を向けて、颯爽と風を切るように帰っていった。


 甘い花のような香りが、ほのかにその後に残った。



「——また……って、なんだよ?」


 吉野は、まとまらない思考を怠そうに寄せ集めながら、ぼんやりと呟いた。




✳︎




「お呼びでしょうか、若狭部長」

「岡崎くん、おはよう。慌ただしい時間に呼び出して悪いね」


 12月28日。仕事納めの日の朝。

 岡崎は、若狭とミーティングルームにいた。



「今年の仕事も、今日で最後だな。

実はね、年末年始の間に君に是非考えてみてほしい案件があるんだ。……僕としては、この件は君以上の適任者はいないと思ってるんだけどね」


「……と言いますと?」

「アメリカの協力会社への赴任だ。ウチとのやり取りをスムーズに回すパイプ役を、海外事業部から1名出すことになってね。

……君が今年の春に1ヶ月間出張した、あの会社だよ」



 岡崎は、若狭の言葉に俄かに表情を硬くする。

 しばらくじっと何かを考えるようにしてから、戸惑うように若狭を見つめた。


「…………そんな重要な仕事を……

……自分は、まだ到底力不足としか思えないのですが……」

「いや、こういう仕事に必要なのは経験年数だけじゃない。能力のある者は、せっかくの力をしまい込んで時間を無駄にするのはもったいないよ。早いうちから積極的にいろいろな経験を積むべきだ。

僕は、君のポテンシャルの高さを君自身よりもよく知ってるからね」


「……ありがとうございます。

——もし、この仕事に着任したら、期間はどのくらいになりますか?」


「赴任期間は、少なくとも2年にはなりそうだ」



「————


少し……考える時間を、いただけますか?」



「君の事情もあるだろう。不都合があれば、遠慮なく断ってくれていいんだぞ。

……よく考えてみてくれ。

とりあえず、来年1月中旬位までに返事を聞かせてもらえたら有り難い」



「……わかりました」




 いつもの淡々とした無表情の下で——岡崎の思いは、ぐらぐらと揺れ動いた。




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