The Gifts of Holy Night(後編)第3話

 吉野は、自分を落ち着けるように拳を握って一度視線を落とすと、まっすぐに岡崎を見つめた。



「俺さ……

やっとわかったんだ。

——どうして自分が今まで、こんなにふらふらいい加減だったのか。


これまでどんな女の子とも長く続かなかったのは……

お前の隣に、帰りたくなるからだ。


よく考えたら……いつもそうだった」



 慎重に、自分の心の中のものを丹念に掬うように……吉野はそう話し出す。



「今までは——そんな自分の気持ちに、気づかなかった。

彼女と別れてお前と飲むたびに、やっぱり親友の隣って気楽でいいよなあ、くらいにしか思ってなかった。


でも……そうじゃなかった。

彼女たちと別れたくなる理由の中に——もう、お前がいたんだ」



 吉野のそんな告白に、岡崎は硬い表情で押し黙る。



 気恥ずかしさを振り払い、吉野はその思いを包み隠さず岡崎に明かす。



「……最初のうちは、告白してきてくれた女の子たちの無邪気さや賑やかさなんかが新鮮で……これでいいんだろう、と思う。


でも——そんな気持ちはいつも、あるところまで来ると、ふっと曇った。

これ、違う。……そんな気持ちが、心をどんどん占領し始める。


気づけばいつも——

お前ならこう言う、お前ならこんなとこで怒らない、お前なら笑ってくれる……そんなことばかり思ってた。


お前の隣で……当たり前のように、俺の好きな空気を吸いたい。

結局、それしかなくなって——目の前の物が、全て不愉快になった。


で、そんなつまらなそうな俺の様子に彼女たちが都合よくキレてくれたところで、いつもさっさと別れてきたんだ」




「—————」



「だから——多分。

お前の隣にいられるなら……俺はもう、あちこちに彷徨わないんだと思う」



 吉野のその揺るがない口調に、いつもほぼ隙のない岡崎の端正な表情が、ふっと崩れるように柔らかな色を帯びた。


 吉野は、自分自身の思いを途切れさせないように、そんな岡崎へ向けて言葉を繋ぐ。



「——多分、この先の確実な約束なんて、できない。

……そんなの、誰だってそうだろ。


それでも……はっきりとわかることがある。


俺は——今、お前の手を離す気はない。絶対に。

そして、多分これからも、この手を離す気にはならない。

他の誰と手を繋ぐよりも——俺には、お前の手が必要だ。


この気持ちは、恐らく時間が経っても変わらない。

……今までが、既にそうだったんだから。

この先がどうであっても——この思いだけは、俺の中で疑いようがない。


だから、お前にも——俺が今伝えた言葉だけは、信じてほしい」




「……びっくりした」

 黙って吉野の言葉を聞いていた岡崎は、戸惑うような瞳を吉野へ向けながら小さく呟いた。


「何が」


「——お前、たまにはそんな真面目な台詞言えるのな」



 吉野は、急速に照れつつ乱暴に返す。

「ってめえ……ふざけるな!

どれだけ俺が悩んで——」


「そうじゃなくて……

嬉しい、と言いたいんだ。

——変な約束を並べられるより、そういう言葉の方が余程嬉しい。


ただ……

俺の側にいても——お前、きっとこれから先、こんなふうに煩わしい悩みばっかりだぞ。

……それでもいいのか」



「…………あのさ。

その言い方、なんかおかしくねーか。


だって——そんなの、一緒に悩めばいい話だろ?

……ってか……

そういうのも、俺が支えられたらと……。

お前の方が、俺よりずっとあれこれ悩む脳ミソしてるんだからさ。


——じゃねえのか?」



 吉野は、不服そうにぐっと眉を寄せて岡崎を見つめる。




「————」



 考えてもいなかった答えを、岡崎は驚いたように受け止め——


 そして、まるで泣き出しそうな子供のように、ふわりと微笑んだ。




 初めて見るような、岡崎のその微笑に……吉野の心拍数は自己最高を更新するレベルでぎゅんと跳ね上がる。




 ——こいつの不安を……

 もしかして、ひとつ洗い流してやれたんだろうか……



 そんな嬉しさをぐっと押し隠しながら、吉野は不貞腐れたように反撃に出る。


「——ってかさあ。

俺ばっかにいろいろ考えさせといて……お前はどうなんだよ?

……俺は、むしろお前がいつか俺の手をすいっと振り解いてどこかにいなくなるんじゃないかと……」

「ふん。鈍感」

「は!?」


「サボテンを持って帰った夜——

なんで俺がお前にあんな言い方しかできなかったのか、気づかないのか?」


「…………」


「自分でも、思ったよ。

一方的で、感情的で……最高に嫌なやつだな俺、って。


——あんな話をするのが、死ぬほど辛かった。

苦しくて……苦し紛れに、ずけずけと最悪な言い方になった。


でも……どこかで話さなければ……

この先を考えれば考えるほど、怖かった。


お前と違って、俺は——

もしもお前に置いていかれたら、そこからさらりと器用に気持ちを切り替えたりする自信がない。

これ以上何かが深まったら——俺はもう、お前から離れられる自信がない。


だから……

まだ戻れるうちに、お前に確認したかった。

今まで同様の軽い遊びとか、勘違いなんじゃないのかと。


——俺は、そういうジメジメ重くてしつこい奴なんだぞ」




「————お前のそういうの、初めて聞いた」


 そんな岡崎をまじまじと見つめ、吉野はどこか信じられないような声でそう呟く。



「重さに引いたか?……考え直すなら、今のうちだ」


「そういう意味じゃない。

むしろ……

そうやって、重たいくらいにお前に執着してもらえるとか……マジか??

……ああ、なんかもうヤバい……。

お前って表面は全く変わんないし、いっつも涼しそうにしてるから」

「涼しいどころじゃない。ドロドロだぞ。こうやってどんどん裏側が見えてくるぞ。うげーっっ!とか、後になって後悔するなよ」


 照れ隠しのような仏頂面でふいと横を向く岡崎に、吉野は楽しげに笑う。


「お前の裏側ならいいんだよ、なんでも。

……それより」




 そんなことより。



 お互いに、そう思い合えるなら——


 これから……

 俺たち、ずっと手を繋いでいけるよな。

 きっと。



「————なんだよ?」

「ん、いいや。なんでもない。

ところでさ……お前、少しは安心したかよ?」



 安心した。


 ——こうして、またお前の隣にいられる。

 お前を信じていられる。


 こんなに穏やかに満たされた気持ちは——きっと、生まれて初めてだ。



「——さあ、どうかな」

「……すげえお前らしいよな、その答え」



  

 同時に、ふっと吹き出すように笑い合った。




 そして——どちらからともなく、視線を結び合う。




「……なあ」


「ん?」



「——キス、していいか」




「……ああ」






 吉野の手が、岡崎の頬にそっと触れる。


 蝋燭の明かりを仄かに受けながら。

 波立ちそうな迷いや戸惑いを押し込めて——岡崎は静かに瞳を閉じた。




 そのまま、その手がやっと取り戻したものを壊さぬように包んで——

 柔らかに、唇を重ねた。


 あの冷たい夜とは違う、温かな熱の通う感触。




 信じ合える相手に、ただ触れるだけでは足りなくて——

 やがて微かに啄ばむように、その愛おしい感覚を確かめ合う。




 唇を離し、間近で視線を合わせた。


 昏い不安の消えた、キャンドルの灯のように暖かな瞳が互いの目の前で揺らぐ。




 ごく自然に——

 より深い熱を求めて、唇が再び触れ合った。





 その瞬間——



 テーブルのスマホの呼び出し音が、唐突に鳴り響いた。




 恥ずかしげに、どこか離れ難く、キスが解ける。



「——きっと、リナさんだろ」

「多分な」


 困ったように、微笑み合う。




『ねえ順、外見て!!雪降ってきたわよ!!!素敵〜〜〜〜っっ!!♡♡

あんまり素敵だから二人にも教えなきゃって思って!ホワイトクリスマスって、やだもう最高〜〜っっ♪♪』


 リナの明るい声が電話の奥に弾む。



「雪?」

「……ほんとか?」


 短い通話を終え、二人でベランダに出る。


 冷えて澄んだ闇に静かに降り出した雪の姿を、其処此処の街灯が細やかに浮き上がらせていた。



 お互いに黙ったまま、その美しい風景を眺める。

 闇へ差し出した手のひらに、柔らかな純白の輝きが舞い降りた。


 ——それはまるで、空から贈られたプレゼントのように。





 今年のクリスマスは、もう何もいらない——。



 そんな、二人の心の奥の呟きがシンクロする。




「……お前、やっぱり似合うぞ。その真っ赤なサンタの帽子」

「お前も、来週からそのかっこいいツノつけて出勤しろよ」


 そんなことを言い合い、子供のように笑い合う。




 そうして——

 夜の空気の冷たさも忘れ、二人は空からの贈り物を見つめ続けた。





✳︎





 12月28日、仕事納めの夜。

 岡崎と吉野は、いつものカクテルバーにいた。



「——今年も、もうすぐ終わりだな」


「ああ、そうだな。

……それより、岡崎…………本当に、今日返してくれるんだろうな?」


 吉野の疑わしげな視線に、岡崎は無表情に答える。

「ああ。連れてきた。

……っていうか、変な言い方やめろよ。それじゃ俺が誘拐犯みたいだろ」

そんなことを言いながら、手元の小さな紙袋からミニサボテンをそっと取り出した。



 テーブルにちょこんと乗ったそのサボテンの鉢を、岡崎は頬杖をついて眺めながらふっと微笑む。


「こいつさ……可愛がってやってるのに、俺の部屋にいても何だか全然楽しくないらしいんだよ。

お前のとこにいた時は、随分元気そうな顔してたくせに」



「……へ?」

 煙草に火をつけて深く吸い込んだ吉野が、驚いたように岡崎を見る。


「サボテンが楽しいとか……何だそれ??

お前……もしかして、そういうのわかったりすんのか……植物の言葉とか」


「は?

……っていうか、逆にお前はこいつに声をかけたり、こいつの話を聞いてやったりしないのか。——朝とか帰宅後とかに」



「………………

いや。それは流石に……」



 そんな吉野の何とも微妙な表情を、岡崎は鋭い視線で睨む。


「……完全に愛情不足だ。

こいつはやっぱり俺が引き取る……」

「あーー!!俺が悪かったっっ!!

これからはちゃんと毎日こいつと会話するから、頼む!俺に育てさせてくれ!!」



 そんな二人のやり取りに、カウンターの向こう側で淡々とグラスを磨いていたこのバーのマスターが、微かな微笑みを浮かべてぽつりと呟いた。


「……それにしても。

こうして聞いていると……そのサボテンくん、まるでお二人の可愛いお子様のようですね」



「……………!!?」

「……ちょちょっ……っっ!!マスターっっっ!!!」


 岡崎は一気にとんでもなく赤面し、吉野は思わずがっと立ち上がる。



「ふふっ。冗談です。

——来年も、素敵な年になりますように」





 そんなこんなで、今年最後のカクテルバーの夜は更ける。



 やっと触れ合った指を少しだけ絡ませた——そんな幸せな二人に、優しく微笑むように。




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