The Gifts of Holy Night(後編)

The Gifts of Holy Night(後編)第1話

「ただいま」


 12月半ばの、冷える夜。


 仕事から帰宅した岡崎は、デスクの上のミニサボテンに声をかけた。



 窓辺にある机は、日中は日差しがよく当たる。

 サボテンの生育に最適な場所だ。


 スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを外すと、ふうっと小さいため息混じりに椅子に座る。

 頬杖をついて、小さな鉢をじっと見つめた。



 今夜は、明るい月の光が窓から差し込んでいる。

 青白いその光を浴び、ユーモラスな形をしたサボテンもどこか寂しげだ。


「——あいつの部屋の方が、なんだか楽しそうだなお前……タバコは煙たいだろうけど」

 そんなことを話しかけて、淡く微笑む。





 何度考えても……結局、こうするしかなかった。




 ——こいつをうちへ連れて帰ってきた、あの夜。


 俺は、一方的に、あいつに感情をぶちまけた。




 あんな言い方をして——あいつが何か答えを出せるはずなど、なかったのに。




 ……それでも、言わなければならなかった。





 ひたひたと肌に染み込む月光の冷たさに、岡崎は微かに震える。




 ——見えなくなっていた。

 俺とあいつの関係が、そうスムーズに収まるものじゃないことを。


 うっかり浮かれて、目が眩んだ——

 俺としたことが。



 こうして我に返れば……

 今が良ければ、それでいい——そうやってこの先を見ないふりなど、自分にはできないのだ。





 仕方ないだろ。

 ……恋を楽しむなんて、どうやったって俺には無理だ。



 そして……

 あいつは、だれよりも移り気だ。



 そのうちきっと、気が変わる。

 ——より強い絆や、そんな幸せが……きっと欲しくなる。



 いずれ……俺を置いて、別の誰かの側へ行きたくなる。




 引き留められない。

 ——あいつの幸せの邪魔はできない。



 俺の隣にいても……こんなふうに、息苦しい悩みばかりなのだから。

 




 そうやって——

 ある日、またひとりに戻るとしたら……


 あいつからもらった温かさを、またひとりきりで、元のように冷やさなければならないとしたら——




 それを想像するのが、怖い。


 繋がりが深くなればなるほど、その痛みも深くなるのは目に見えている。





 そして——多分。

 あいつも、こんな俺の融通のきかない感情には、もうついて来る気はないだろう。



 この先のことをちゃんと考えてくれ、なんて——あいつの一番嫌がりそうな要求じゃないか。




 ならば……ここで手放す以外にない。


 それが最善だ。——俺にも、あいつにも。




「ごめんな。——そんな悲しそうにしないでくれ。

お前は、俺が育てるからさ」




 こんな痛みも、しばらくすれば通り過ぎる。きっと。

 ひとりが一番居心地の良かった、以前の自分に戻る。——それだけのことだ。





 ——こんな夜に、月明かりなんて。



 堪え難い痛みに俯きながら、岡崎は窓のカーテンを引いた。





✳︎





 12月中旬。

 仕事の後の、会社の側のカフェ。


 吉野は、同じ会社の女子に呼び出されていた。

 すぐ済むから——そういって、半ば強引に約束を取り付けられたのだ。



「あの……改めて自己紹介します。

私、沢口 美羽みうって言います」


 まだあどけなさの残る綺麗な唇をたどたどしく動かして、可愛らしい女の子がギクシャクと話し出す。


「あ……そう……どうも。俺は吉野……」

「もう知ってます。それに有名過ぎますから」

「あ……そう……」


 緊張でピリピリとした美羽の空気を、吉野は怠そうに受け止める。


「吉野さん。……あの……っ!好きですっ!!

私と付き合ってください!!!」


「…………」



 はー……

 それに応じられないから、会うのを渋ったんじゃんか……

 今時の若い子の押しの強さに、吉野は内心閉口する。


 ——悪いけど今、全然それどころじゃないんだし。



「……ごめん。ちょっとそれは……」


 そういう答えは予想していたのだろう。美羽は、一度落とした視線をぐっと上げると、悔しげに吉野を見つめた。


「吉野さん……今付き合ってる人とか、いるんですか」



「……え?

……えーっとそういうのは……

……んーー、どうなのかな……」


 今その真っ只中にいる思い煩いをいきなり突かれ、吉野は思わず困惑した視線を彷徨わせた。


 そんな煮え切らない様子に、美羽の悔しさは一気に怒りへと変化する。

「どうなのかなって……自分のことでしょ!?

あなたがそうやってはっきりしないから、こういう女子の犠牲者が減らないんじゃないですか!?

……なら、聞き方変えます。——好きな人とかは、いるんですか?」


「えっっ……そっそれは…………」

「いるんですね」


「————」


 曖昧に戸惑う吉野の表情に、美羽はますます苛立ちながら語気を強めた。

「そういう人がいるんなら……

早くその人に告白でもなんでもして、身を固めてはいかがですか!!」


 美羽のその言葉にビクッと反応し、吉野はがっと顔を上げた。

「みみみ、身を固める……っっ!??」

「そうです」

「いやいやいやいやそんな身を固めるとか全く意味わかんないしっ……!!」

 吉野の尋常でない赤面と動揺っぷりに、美羽は怪訝そうな顔になる。

「……そうやって取り乱すほど好きな人がいるんじゃないですか……

それに私、そんなおかしな話してます?」

「おかしいも何も——っていうか、なんで俺が君にそんなこと言われなきゃなんないんだよ!?」

「あなたみたいにモテてかつふわふわした危なっかしい人は、結婚でもして誰かのものになってもらわなきゃ、明らかに有害なんですっ!

それに、あなたが夢中なその人にだって……いつまでもふらついてちゃ、そのうち絶対愛想尽かされますよ?

本気の相手がいるのにこのままふらふらし続けて、一体何人女の子を泣かすつもりなんですか!!」

 美羽はテーブルをばんと叩きそうな勢いで吉野に噛み付く。


「……本気の相手って…………

……わかった。君の話はよくわかった……。

ちょっと静かに考えたいから……悪いけど、一人にしてくれる……?」


「……え、待ってください、まだ話は…………」

「あーー、続きがあるなら、また今度ゆっくり聞くから!ね。頼むよ」



 まだ何か言いたげな美羽をなんとか説き伏せてやっと帰らせると、吉野はぐったりと頬杖をついた。


「全く…………勘弁してくれ…………」

 はあっと重いため息をつく。




 ……でも……。


 なんだ?

 今、何かがちらっと……。



 とりあえず、気持ちを鎮めたい。

 煙草を取り出して火をつけると、すうっと深く吸い込んだ。




 上に向かって吐き出した煙の行方を、じっと見つめる。





 ——そうか。



 やっとわかった。



 あの夜、岡崎の言っていたのは……つまり、これなのか。





 好きな人がいるなら、ふらふらせずにしっかり向き合え——

 彼女は今、そう言った。




 そうなのだ。



 今までの俺は——

 目の前に起こることを、ただなんとなく眺めていただけ……だったのかもしれない。


 そんなふうに、目の前のことをこの先と繋げてしっかり見つめずにいることは——

 今の自分の思いが、このまま続くとは言い切れない……そういう曖昧さと、イコールなのだ。



 だから——あの夜。

 あいつは俺に、もう一度考えてくれと頼んだのだ。


 いずれ自分の前も通り過ぎるつもりならば——今ここで引き返したいと。

 あいつは、そう言いたかったんだ。




 それにしても……

 さっきの美羽のように、今誰かと付き合ってるのか?とか、好きな人がいるのか?なんていう質問は、こういう場面で女子からしょっちゅうされてた気がするんだが——


 こんなにも相手の一言一言に動揺したことは、ただの一度もなかった。

 いるよー?とか、今いないよー?とか……適当に答えて。

 そんなの、ほんとにどうでもよかった。


「身を固める」なんて地味な言葉……今までなら「そのうちね♪」なんて聞き流していただろう……絶対。




 ——そういう言葉に、尋常でなく反応しまくってる今の俺って、なに???





 ……わかってんだろ。

 おかしいほど、意識してんじゃねえか。

 あいつと、そういうこの先を描くことを。




「………………ええええええ!!!?

ちょっと待て俺っっっ!!?

俺は今一体何を……!!??」




 …………ちょっちょっ。


 少し落ち着け。



 とっ、とりあえず今よぎった何かは置いとくとしても。




 きっと……

 これからはもう、いい加減な気持ちでいてはだめだ。

 そうやってふらふらしてる俺では——あいつは、きっと離れていく。



 いつ適当に放り出されるかわからない相手の側になんか、安心していられるわけがない。


 それに……あいつは、俺と同じ男だから——余計に。


 簡単には寄り添い続けることができないと、わかってるから——。




 そして、どうやら……

 俺も今、知ってしまった。

 自分自身の気持ちを。


 少なくとも俺には、あいつを置き去りにするなんていう未来はあり得ない、ということを。




 けど……

 このことをあいつにも納得させて、もう一度サボテンを返してもらうには……

 どうする?


 あいつは、俺のこれまでをよく知ってるだけに——「本気だ!」とか「信じてくれ!」とかいう単純なやつじゃ、簡単には頷かないだろう。


 ふらふらし続ける気がないことを、あいつに納得させるには……なんて説明すれば……。



「あああ〜〜〜〜〜〜どうするよ俺!?

なんで今まであんないい加減だったんだよ俺!!?」


 ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。


 そして……ふと顔を上げた。





「………………あ」




 そこから吉野は、意識の奥の何かを必死にたぐり寄せるように、黙々と煙草をふかし続けた。





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