The Gifts of Holy Night(前編)第3話
12月最初の、金曜の夜。
岡崎は、約束通り吉野の部屋を訪れていた。
「俺の可愛いミニサボテンは、元気にしてるか?」
岡崎は、ビジネスバッグをソファに置くと、いつもと変わらない様子でそんなことを言う。
「んー、どうだろ?結構元気に見えるけどな。
とりあえず育て方にあった通りに日向に置いて、土の湿り具合なんかもちゃんとチェックしてるつもりだ」
窓際のカラーボックスの上に乗っているミニサボテンに近寄ると、岡崎は愛おしげにその姿を眺めた。
「お前、ここ居心地良さそうだな。買った時よりも色艶がすごくいいぞ」
その小さなトゲにちょんちょんと触れながら、そんなことを話しかける。
吉野は、少し前かがみにサボテンを覗き込む岡崎の背後に立ち、まるで弟か子供にでも接するようなその優しい仕草を見つめた。
……ほんとにかわいいんだな。
いつもの硬質なものをどこかへ脱ぎ捨てたような岡崎の柔らかな様子に、吉野は思わず微笑む。
こいつは——
今日、ここへどんな要件で来たのか。
これから、何を話すつもりなのか。
最近時々見せる、あの重い瞳の色や、不安げに沈んだ表情……
そんなものを思い浮かべるほど、怖くて問うことができない。
「……岡崎」
「ん?」
「——キス、していいか」
「————」
吉野のその求めに、岡崎は一瞬躊躇うように静かに振り向いた。
穏やかだった瞳が、どこか硬くその色を変える。
柔らかい形をしていた眉が、すっと引き寄せられた。
「……ああ」
それでも、吉野の言葉を拒むことはせず——
岡崎は、硬く透き通るような空気のまま、その瞳を閉じた。
吉野は、静かに差し出された華奢な顎を、そっと指で支え——
寒さのせいか一層淡く美しいその唇に、唇を重ねた。
その感触は、驚くほど滑らかに冷たく——
部屋をいくら暖めても、簡単には温もらないように思えた。
そこに通い合うものを、何も得られないまま——
ただ表面を触れ合わせただけの唇を離し、視線を合わせる。
昏い色を静かに沈めた岡崎の瞳が、微かに微笑んだ。
「俺さ——やっぱり、うっかりしたんじゃないかと思う」
硬く冷えたキスの後の唐突な岡崎の呟きを、吉野はすぐには飲み込めない。
「…………何の話だよ?」
「……心の奥に閉じ込めてあったものを、うっかり外に出したのは——やっぱり間違いだったんじゃないかって。
こんな思いは——どうにかして、見えない場所へ押し込んどくべきだった。
……考えれば考えるほど、そう感じる」
岡崎は、大きく表情を変えるでもなく、淡々と吉野に呟く。
「……お前、一体何を……」
「今日は……こいつを、引き取りに来たんだ」
岡崎は、ミニサボテンの小さな鉢を手のひらに乗せ、淡く微笑んだ。
「——どうして——
それ、どういう……」
「——いつ終わるかわからない相手から、こんなもの預かっちゃ、困るだろ」
「終わるって……何が終わるんだよ?
——お前、さっきから何なんだよ!?はっきり言え!!」
「……なら、言おう。
お前さ——今まで、何人もの女の子の前を通り過ぎてきただろ。
それと同じように——俺の前も、通り過ぎていくんだろ?」
そんな言葉と同時に、岡崎の静かな視線が吉野を射る。
その衝撃に、吉野は一瞬言葉を失った。
「————そんなことは」
「……そんなことはないのか?
これは——今だけの、ちょっとした勘違いなんじゃないのか」
「……勘違い……?」
「……最近——
俺はずっと、何かが不安で……どうしてなのか、考えてた。
そして、理由をやっと突き止めた。
目を凝らせば凝らすほど——先が見えない。
……そうだろ?
お前……この先のことを、考えてみたことがあるか?
例えば——家族はどうすんだよ?
嫁さんとか子供とか、いらないのか?……そういうこと、本気で考えたことあるか?」
「…………
なんで……今急にそんなことを……」
「急じゃない」
岡崎は、いつになく真剣な視線を吉野に向ける。
「目の前のことと、そういう先のことを、お前がもしも全く切り離してるんだとしたら——
もう一度、考えてくれ。
いずれはそういうものを望むならば——俺は、お前とこれ以上関わりを深める気はない」
「————」
「つまり……
引き返すのが大変になる前に、引き返した方がいいんじゃないか——そういうことだ。
お前が出す答えに異議を唱える気は、俺には全くない。
だから……
俺のことを思ってくれるなら——お前にとって本当に必要なものは何か、それを本気で考えてくれ」
吉野から視線を逸らすことなく、岡崎はそう言い切る。
濁ることのないその口調と、決意を固めたような表情は——岡崎の思いの真剣さを、痛いほど感じさせた。
これまで完全に意識の外にあった部分を不意に岡崎に突かれ——その動揺が、吉野を混乱させ、強く揺さぶる。
けれど——
今岡崎が口にした言葉のどこを取っても、間違っている箇所は見つからない。
「————わかった」
どんな反論をしても意味のない、その空気の中——
岡崎は、吉野にとって何よりも大事だったはずのものを手に、静かに帰っていった。
✳︎
吉野の部屋からサボテンがなくなって、数日後。
リナからメッセージが届いた。
『ね、3人でクリスマスパーティしようよ〜〜♡♡22日の金曜はどうかしら?』
その明るく浮き立つ誘いは、吉野の気持ちを一層憂鬱に沈ませた。
——ぶっちゃけた話、それどころじゃねえ。
帰宅後のネクタイも解かずに自室の椅子に身体をぐったり預けると、吉野は吐き出した煙草の煙をただ見上げる。
あの夜、岡崎の言った言葉の意味が——わからなかった。
岡崎が、どういう気持ちであの話をしたのか……いくら考えても、それがわからずにいた。
……本当に必要な物は何かを、本気で考えて欲しい……
そんなの、すぐに答えなんか出ねーだろ……
そうじゃないのか?
普段から自分自身の気持ちをじっと見つめることなどほぼしない吉野には、岡崎の要求は遥か彼方の難題に思える。
あいつは——
俺に、この先の何かを約束させたいんだろうか?
それとも——遠回しに、ここで終わりにしたい、と言いたいのか。
わからない。
そして——
俺は、あいつの望み通りの答えを出してやれるのか——
それも、わからない。
簡単に人を好きになることがない。
誰かと関係を深めたいという気持ちが、あまりない。
リナから聞いた岡崎についての言葉が、吉野の中に浮き上がる。
もしかしたら——
俺はあいつと、結局こんなふうに……いつまでも、距離を縮めることができないんだろうか……
近づいたと思っても——また遠退いて。
今まで誰も、あいつに近寄れなかったのと同じように。
やっぱり……
あいつの思考の繊細さや何かと、俺の中身は……あまりにも違い過ぎる。
どう考えても。
ってか——
めんどくせえ。
吉野の粘りのない集中力が、ぷつりと途切れた。
「あーーーくそっ!!こうやってくよくよすんのマジで苦手なんだっつーの!!ほんっとつくづくめんどくせー奴っっ!!!
どうしたらいいんだ……好きなだけじゃ、ダメなのかよ!?」
眉根を寄せて乱暴に煙を吐きながら、吉野は苛立たしげに煙草を灰皿にもみ消した。
✳︎
「ちょっとお……
ふたりのどっちからも、返事が来ないんだけど!?これどーいうことっ!?」
リナは、自室で缶ビールのタブを乱暴に開けると、ひとり苛立たしげに唸った。
メッセージを送ってからもう3日経っているのに、二人からはなんの反応もないのだ。
彼らの恋が難しいことは、よくわかっている。
自分がその立場になってみれば……親友と恋仲になったりした日には、目の前のひとつひとつに引っかかって悩むに違いない。
彼らがその度につまずいたり、行き詰まったりするのは当然なのだ。
それはわかっているけれど……
わかってるけどっ!
そうやって優しく見守るだけじゃくっつかないのよあの二人はっっ!!
そんなことを考え、リナはぎりっと歯ぎしりをする。
よーし。見てなさいっ!
『二人とも、返事がないってのはOKなのね?了解っ♡♡
じゃ、当日はそれぞれお酒とクリスマスバージョンのお料理やツマミ等を持ち寄ることっ!
……クリスマスに、まさか女の子をひとりきりで泣かせたりしないわよね??そんなクズじゃなかったわよね〜二人とも♪
ってわけで、順の部屋に7時半集合よ♡
異議のあるものは今すぐ申し出なさい!!』
そんなメッセージを二人へ強引に送りつけた。
何とかしてパーティを成功させなきゃ……クリスマスに何もできないなんて、キューピッド失格よリナ!!
どうやらあの子達はまたもたもたじれじれやってるようだけど……空中分解なんて、私が許さないんだからっ!
力強くそう心で呟くと、リナはいつものギラギラと燃える目で策を練り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます