The Fireworks of a Summer Night
The Fireworks of a Summer Night 第1話
「さあ、夏よ〜!景気よくいかないとねっ♡乾杯〜〜!!」
「…………」
7月下旬。
梅雨も明け、うだるように暑い金曜の夜。
今日は、吉野の部屋に岡崎とリナが集まり、3人で飲むことになった。
観覧車での思わぬアクシデントにより、一時的なパニック状態に陥った岡崎とそれに引きずられた形の吉野だったが……
あの時のゴンドラ内での一連の出来事は、時間が経てば経つほど、それぞれの中で処理の難しいものになっていた。
——なぜ、あんなにも寄り添い、キス未遂までやらかす事態になったのか——。
単なる非常事態下の出来事、と完全にスルーこともできず……だからと言って、正面から向き合おうとすると、たちまち思考が混乱して先に進まない。
どういう気持ちでお互いを捉えていいかわからず——これまでのように、自然に接することができなくなっていた。
——このままでは、自分たちのこれまでの関係そのものがぐらつく危険すら感じられる。
吉野がカクテルバーで提案した、部屋で二人で飲む、という案は、そんなギクシャクとした膠着状態を打開するために不可欠な解決策に思えた。
とにかく、逃げていては解決しないのだ。
などと言うと、冷静に問題点を捉えた賢い方針を導いているように見えるが……
実は、岡崎も吉野も、内心その案を実行することに大きく躊躇していた。
理由は単純だ。
二人だけで部屋で飲んだりすれば——ともすれば、自分たちにさえストップのかけられない展開になる可能性があるからだ。
観覧車のゴンドラでああいうことになったのだから……絶対に無い、とはお互いに断言する自信がない。
——それはまずいだろ。
どう考えても。
結局——二人で飲む、というハイリスクな案を選択する勇気がなく……リナも招いて3人で飲んで済ませよう、というなんとも中途半端な形に流れたのだった。
——これでは、全く問題解決には繋がらないのだが。
「順の部屋、久しぶりだなー!前に来た時は彼女としてだったけどね〜。
……で、今日はなんの集まりだっけ?誰か誕生日とかだったかしら?」
「いや、別にそういうんじゃないけどさ。
ほら、外で飲んでも人目があるし、なかなか息抜きにならないじゃんか?たまにはそういう気遣いなく飲むのもいいかなーと思ってさ。お前も俺たちの友達っぽく馴染んできたことだし」
リナの言葉に、吉野が間に合わせの答えを繕う。
「ふ〜ん。それは嬉しいわね。そのサービス精神、ちょっといつもの順らしくない気もするけど。……まあ、差し入れのお酒持ってきたし、おつまみなんかも適当に仕入れてきたから気楽に飲みましょ!お言葉に甘えて息抜きさせてもらうわね〜」
そう言うと、リナはソファに勢いよくポスッと座り、美しい金色の泡の立つフルートグラスを傾けた。
「リナさん、それにしてもこれ、随分上等なシャンパンじゃないですか……俺たちビールとチューハイぐらいしか買ってこなかったのに。高かったでしょ?」
「いいのよ〜、私のおごり!これじゃないと嫌なのよね、『モエ・○・シャンドン』!2本買ってきちゃった♪」
「リナさんはいつも元気ですねー。……リナさんの楽しそうな顔見てると、俺も嬉しくなります」
「あら、岡崎さんどうしたの?急にそんな甘い台詞……とうとう私を口説きたくなった?」
「いえ、そういうアレでは……あ、シャンパンもう少し注ぎますね」
「う〜ん……二人とも、今日はなんか変ね?
いつになく私を厚遇してくれるじゃない?」
リナは、不意に探るような目つきになって吉野と岡崎をじっと見た。
一瞬、二人の表情がピクリと固まる。
今日の飲み会の裏事情を感づかれたか……?
まさか……そんな不安を内心に押し隠しつつ、慌ててフォローに回る。
「……な、何言ってんだよ〜リナ!お前はいつも最高にいい女に決まってんじゃんか!?」
「そうですよ!俺たちいつもリナさんといられてこんなに幸せなんですから!」
「……へ〜。
まあいいか。ほら二人とも飲もうよ、さっきから私ばっかり飲んでるじゃない!」
そう言って、リナも二人のグラスにシャンパンを注ぎ足す。
「じゃ、仲良しな私たちに改めて乾杯〜!!」
一瞬、リナに何かを疑われた気がしたが……どうやらうまくすり抜けたようだ。
気まずい空気を遠ざけるように明るく響くリナの声に、吉野も岡崎もほっと救われる思いだった。
✳︎
部屋の時計が、9時を指した。
それと同時に、楽しげに喋っていたリナがすっと立ち上がった。
「あ。
——時間だから、私帰るわね」
「えっ……!!!」
突然のリナの申し出に、岡崎と吉野の動揺丸出しなリアクションがシンクロする。
「……待てよリナ!まだ9時じゃんか!」
「え〜?9時以降のお酒や油っぽいおつまみが美容の大敵なんて、常識よ?それに夜更かしもお肌に良くないんだから。女の子はいろいろ大変なのよ」
「でっでもリナさん、この前の観覧車の時は、夜10時過ぎにワイン飲みながらパスタぺろっと食べてたじゃないですか……」
「あの時はまだダイエット前だったの。これから夏よ?水着着るのにあちこちぷよぷよしてるなんて絶対イヤ!そろそろ帰ってお風呂入って寝なくっちゃ。
今日はとっても楽しかったわ♡シャンパン、ちゃんと飲んじゃってよね?後はお二人でごゆっくり〜。じゃあねっ♪」
バッグを肩にかけながらバチッとウィンクを投げると、リナは慌てる二人にくるりと背中を向け、軽やかにドアを出ていった。
「——————」
程よく酒の回ったところでいきなり部屋に残され、二人は恐る恐る顔を見合わせた。
「……結局、二人っきりになっちゃったな」
「……どうせ、いつかはこうしなきゃならなかったしな」
なんとなく諦めのついた空気で、二人並んでストンとソファに背を預けた。
✳︎
「……あのさ、岡崎」
吉野が、咥えた煙草に慣れた仕草で火をつけ、すうっと吸い込んでから話し出す。
「ん?」
「何度も考えたんだけどさ……あのゴンドラの中のこと。
やっぱりわからなくて。
——あの時のことって、結局なんなんだろうな」
「————わからん」
岡崎も、残ったシャンパンをグラスに注ぐと、一言吉野に答える。
——嘘だ。
自分の気持ちは、分析したつもりだ。
岡崎は、グラスを見つめて思う。
普段、怖くて踏み込むことのできずにいる自分自身が、あの時間の中にいる。
いつも無意識に硬い壁の奥に押し込んでいた気持ちを、全部撒き散らしてしまった自分が——あそこにいる。
「……あの時のことは、受け入れられない——岡崎、この間そう言ってたよな?」
「——仕方ないだろ。
考えれば考えるほど、あの時はいつもの俺じゃなかった。
あの自分を、普段の自分の中に全て受け入れるのは、無理だ」
——普段なら、あんな自分を吉野に見せることは、決してなかったはずだ。
あんな風に、こいつを必要としている、自分。
心の奥の、鍵のかかったドアの向こうにいる、自分。
けど——あの時。
思わずドアの奥から姿を現してしまった、自分自身。
否定したいんじゃない。
ただ——あの自分を認めてしまうのが、怖い。
あんなにもこいつを待っている自分を、受け入れてしまうのが、怖いんだ。
「それって……つまり、ゴンドラの中の出来事は、全部なかったことにしたい……そういうことか?」
「——できるなら、そうしたいな」
「……ふうん」
吉野は、ゆっくり煙を横へ吐き出しながら、低く呟く。
「……なら。
あのキス未遂も、もちろんノーカウントだな?」
「……まあ、そうだ」
「じゃあ、仮にあの時してたとしても……ノーカウントだよな」
「……何が言いたい?」
「どっちにしてもカウントしないなら……
あの時の、ノーカウント分のキス、しないか——今」
「————」
「観覧車が動き出さなければ……間違いなく、してただろ?」
——どうしたらいい?
俺は——
あの時の自分を、もう一度ドアの向こうへ閉じ込めたい——そう思ってる。
心の奥の自分を晒しても、何一つ得るものなんかない。……そして、洗いざらいさらけ出してしまう勇気も、持てそうにない。
なのに——
こいつは、閉じようとしているそのドアに、再び手をかける。
——あの時と同じように。
……どうして、そんなにもここを開けたがる?
「——お前、なんでそんなに……」
「……なんだよ?」
「いや……
っていうかお前…………どうして今、俺とキスなんだよ?」
「…………わからない」
「はあ!?
お前つくづくいい加減なやつだな!!わからないのにキスするのか!?
だからお前はどれだけ彼女変えても長続きしない——」
「そうじゃなくって!
分からないから、ちゃんと知りたいんだ。……これが、何なのか。
——お前だって、自分自身の気持ちがよく見えないんじゃないのか?」
「————」
「俺も、混乱してる。
わけがわからない、さっぱり。
でも……あの時は、したかった。——俺も、お前も。間違いなく。
あれは何だったのか……はっきりさせないまま、俺たちこれから一緒にいられるか?」
——そう。よくわかっている。
あの時のことをうやむやにしたまま、何事もなかったように一緒に過ごすのは、きっと無理だ。
自分の感情だけじゃなく……
お互いの気持ちを、ちゃんと分かり合わなければ……穏やかな気持ちで互いの側にいることはできないだろう。
何とかしたいなら——
自分だけ、ドアの向こうへ逃げ込んでいてはいけないのかもしれない。
「なら——
……もう一度、試すか……?
——あのゴンドラの中みたいに」
岡崎は、真剣な眼差しを吉野へ向けた。
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