An Accident in the Rainy Season 第3話

「…………」


「岡崎」


「——嫌だ」


「え?」


「お前には、言わない。——絶対」



 答えようとした声を、寸前で飲み込み——

 岡崎は吉野の問いを強く拒絶した。



 言えない。


 本心を言ったところで——

 こんな気持ち……こいつに受け止めてもらえるはずがないだろう?

 自分自身にさえ訳がわからない、こんな気持ちを。


 多分……

 それを知られたら、きっと……俺はもう、こいつの親友じゃいられなくなる。


 こいつの側にいられなくなる。

 


 それだけは嫌だ。



「……おい。

今、何か言おうとしたじゃないか——」

「何も言ってない。

この話は、これ以上したくない」



 今、確かに呟きそうになった——

 何て?

 なんて言うつもりだったんだ?


 なのに——

 こういう時にいつもするりと逃げていく幼馴染に、吉野は一瞬かっとなる。


「ふざけんな——岡崎、お前……!!」

 思わず、その肩を強く掴んだ。


 至近距離で、初めて視線が強くぶつかり合う。



 どこまでも薄く、固い壁一枚を隔てて。

 言葉など、ただの一つも通い合わない。



 けれど——


 視線は強く結び合ったまま、ほどけない。



 何もできずに——

 互いの瞳を、じっと覗き込む。



 裏も迷いも一切ない強い光が、お互いを見つめる。

 はっきりと確かな感情が、その奥に波打っている。



 ——言葉などなくても。

 言葉よりもずっと明らかなものが、目の前で自分を強く捉えている。


   


 こうしてみて、初めて気付く。

 多分——ずっと、これを感じたかった。

 自分のすぐ側で、自分しか見ていない、こいつを。



 手を伸ばして——

 もっと、近づきたい。

 もっと触れたい。

 ——その心にも、身体にも。



 綺麗な説明などできなくても——

 目の前に湧き出す思いは、ごまかすことができない。




 岡崎を強く掴んでいた吉野の指が、ふと緩む。

 そして——その肩を、微かに引き寄せた。


「……っ」

 何かを怖がるように反射的に身体を引く岡崎に、囁く。

「逃げないでくれ」

 そして、俯きかけた岡崎の瞳をぐっと捉えた。



「もう少しだけ——

お前の額……俺の肩に置いてくれないか」



 こわごわと視線を合わせ、岡崎は呟く。


「……いいのかよ」



「ああ」




 躊躇いながら、額が近づく。



 互いの体温と、息遣いを間近に感じた瞬間——

 不意に、二人の鼓動が走り出した。



 止めようのない高鳴り。

 衝動が理性を押し流す。



 当然のように、互いの唇が引き合った。




 それと同時に——



 強い振動を伴い、観覧車が再び動き出した。





 ごちっっっ……。



 唇が触れ合うより僅かに早く、互いの額がしたたかにぶつかり合った。




『——観覧車乗車中のお客様へ、お知らせいたします。

この度は、モーターの不具合が発生したため、大変ご迷惑をおかけいたしました。——運転を再開いたします』



「……で……っっ!!」

「ぐっ……メガネが鼻にっ……!!」




『…………ふざけるなよ観覧車っっっ!!!!』



 無残に現実へ引きずり戻された二人の心の叫びが、虚しくシンクロする。

 衝突の痛みと、我に返った気恥ずかしさで、後はそれぞれ額を覆って悶えるしかない二人である。




✳︎




「本当にごめんっ!!20分近くも止まっちゃうなんて……大丈夫だった!?」

 観覧車を降りた二人に、リナは申し訳なさそうに駆け寄った。


「あー……別に」

「…………」

「あの……あんまり大丈夫そうに見えないけど?

とりあえず、なんで二人とも額押さえてるのよ?」

「ん?これはまあ、たまたまだ。気にすんな」

「たまたま二人で額ぶつけるって、意味わかんないんだけど……それに、岡崎さん、ちょっと顔色悪いみたいよ?」

「あ……?えー、大丈夫です。なんというか、急性観覧車恐怖症っていうのか……」

「は!?急性ナニ!?」

「いや、なんか観覧車乗ってから急に怖がってパニクっちゃったんだけどさ、こいつ……」

「あ、そういう……でも、随分怖かったわよね?大丈夫?」


「……」


 二人ともなんとなく黙り込み、気まずそうに俯く。



 どう見ても、なんかあったっぽいわね。これは。

 まさか……ケンカとか?

 ……とりあえず、あんまり突っ込まないで様子見ますか。

 リナは、二人の様子を慎重に窺いながら、心で呟く。


「そんなわけでリナ、夜景は撮れなかった。悪いな」

「あ、え?そんなのはいいのよどうでも」

「……どうでもいいのか?」

「あーー、じゃなくって!!姪っ子には謝ればなんとかなるから、気にしないで!

それより岡崎さん、ほんとにごめんなさい、こんなことになっちゃって。——観覧車なんか、もう乗りたくなくなっちゃったでしょ?」


 そんなリナの言葉に、少し間を置いて——岡崎はぽつりと答えた。


「……いえ。

こいつの煙草の匂いが側にあれば……大丈夫そうですから」



「ああ、そうなの?

それならまあ……って、ん??」


 聞き流しそうになった岡崎の呟きに、リナの耳がぐいっと引っぱられた。

 今の、どういう……?


 改めて、二人の顔を見る。



 吉野は、その呟きに強く反応し、岡崎をぐっと見つめる。

 岡崎は、そんな吉野にちらりと視線を向けると、少し照れたようにふいと横を向いた。



 ……なにこれ。

 なんだかよく分からないけど……


 何か、たまらなくロマンチックな出来事でも……あったのかしら?


 なんか私、微妙にお邪魔みたいだわね……

 でも、思ったよりやれてるみたい♪キューピッド役!


 リナは、二人の間の空気を壊さないようにしながら、明るくはしゃぐ。

「あー、それにしてもなんかお腹空いちゃったなー。この辺のお店はちょっと詳しいの。なに食べたいー?」

「腹減ったし、とりあえずテキトーに決めようぜ。俺は、煙草吸えればそれでいいから」

「敢えて言えば、酸味の強いベリーソースのかかったデザートを食べたいですね……」

「もー、こういう時ほんっと男って役に立たないわよね!

よし、じゃ私が勝手に決めるわよ!お詫びに今日は奢るからっ♪」




 そうして——

 なんだかんだ言って楽しげな3人の背は、明るい街の灯の中に紛れていった。




✳︎




 それから二週間後の、金曜の夜。

 吉野と岡崎は、いつものカクテルバーにいた。


 二人の前には、リボンのかかった可愛らしい小箱がひとつ。


「リナがさ、お前に申し訳なかったって……ベルギーの叔父さんに頼んで、作ってもらったんだと。お前の好きな、あの酸っぱいベリーのチョコレート。

あいつもいろいろ予定が入ってるらしくて、俺から渡してくれって」


「別に、そんなに気にすることないのにな……」



 箱を開けると、綺麗に並んだ宝石のように艶めく、美しいチョコレートが現れた。



「……リナさんって、いい子だよな」

 岡崎が、ぼそりと呟く。


「……へえ」

 吉野が、そんな岡崎の表情をちらりと窺う。



「……なんだよ」

「別に」


 岡崎は、その艶やかな一粒を口に運ぶ。

 吉野は、短くなった煙草を大きく吸い込むと、黙って灰皿に押し付けた。



「この前は——

俺たち、あと1ミリだったな」


「……ゲホっ!!!!」

 岡崎のその呟きに、吉野は吐きかけた煙を思い切り喉に詰まらせた。


「……なっなんだよいきなり……!」

「お互い黙ってモジモジ恥ずかしがってても仕方ない。

っていうか、お前あれ、マジなのか?」

 岡崎は、微妙に染まった頬でグラスを呷り、胸に引っかかった思いを一気に吐き出す。


「……どういう意味だよ?」

「あの時は、あんな高所に長時間吊るされる非常事態だったんだぞ?

どう考えても、俺たち平常心じゃなかっただろ……

そんな状況下の出来事を、お前は安易にすんなり受け入れるつもりなのか!?」

 岡崎は、テーブルを拳で叩かんとする勢いで吉野に問いただす。

 吉野は、急所を突かれたように赤面し、キッと岡崎へ視線を向けた。

「はあ??そんなこと俺に聞くなよ!

俺だって最近不眠気味なんだからな!!幼馴染とキ……とかもうそういうの全く信じらんねーんだし!」

 吉野はあの日以来のモヤつきを一気に全開にして、乱暴にチョコレートに手を伸ばす。

 岡崎も、吉野の煙草を奪うと苛だたしげに火をつける。


「おい、チョコ嫌いなくせに無駄に食べるな!ベルギー産だぞ!」

「お前こそ無駄に吸うなよ!幾らすると思ってんだ!」

 


『自分自身の方向性が全く見えない——人生初の深刻なアクシデントだ!!』


 どこまでも不器用で初々しい二人の心の叫びがシンクロする。




「なあ——岡崎」

 憮然とした顔で酸っぱいベリーソースを噛み締めていた吉野が、ふと解決策でも思いついたように冷静に切り出す。


「何だよ?」



「今度——

俺の部屋に来いよ。

——俺の部屋で、二人で飲まないか」



「————」


「……まあ、お前が嫌じゃなければな」




 二人の視線が、一瞬絡み合う。




 視線をグラスに戻し——軽く呷ってから、岡崎は答えた。


「……嫌ではない」




 そして——やっと緊張が解けたように、同時にふっと微笑んだ。





「——もうすぐ夏だな」


「ああ。

あと少しで、梅雨明けだろ」




 そんなこんなで、金曜のカクテルバーの夜は更ける。

 互いを引き合う何かに、気づいたのか気づかないのか——そんな曖昧な彼らを、優しく包んで。




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