Spring in Full Bloom 第2話

 目覚めると、岡崎は知らない部屋の、知らないベッドの上にいた。


 窓から淡い朝の光が差す。



「ん……」

 ぼんやりした意識のまま、自分の周囲をゆっくり確認する。


 ……メガネがない。

 全身が、いつもの窮屈さから解放されている。

 自分の身体を確認する。



 ……ん?

 ……ネクタイが緩み、胸元が開かれて……

 袖は大きく捲れ、ベルトのバックルも外れている。


「…………っ!!?」

 普段ではあり得ない衣服の乱れに思わず自分の胸元を掻き抱き、岡崎は激しく動揺した。

 朧な記憶を一心に辿る。

 昨夜は……いつものように吉野と飲んで……

 うっかり酒量のボーダーラインを超えてしまったようだ。

 チェックの少し前くらいまでで、記憶はぷっつりと途切れている。



 ぼやける視界に目をこらす。


 テーブルを挟んだソファで、男が毛布を一枚かけて眠っている。


 ……吉野……だよな?


 正体なく酔い潰れた自分を、吉野が部屋へ担ぎ込み、こうして衣服を緩めて介抱してくれたんだろう。



 ——ということは……

 ……この辺とか、この辺も……こいつに触られたんだろうか?

 メガネも外されて……?



 新たに湧き出す奇妙な羞恥心に、カッと顔が熱くなる。



「……落ち着け」

 声に出して自分の気持ちを鎮めながらベッドを降り、吉野のソファへ近寄った。



 ——正体をなくした男を運ぶなんて、大変だったろう。

 そう思いつつ、岡崎はソファのそばへ座る。



 吉野はシンプルな白いTシャツに着替え、髪も洗いっぱなしにしたように乱したまま、眠っている。



 淡い光の中、普段の鎧を脱いだように横たわるその姿は——まるで草原に生きる動物のように、しなやかに美しい。


 凛々しい眉の下に閉じられた、切れ長の瞼。まっすぐに伸びる鼻筋。

 形良く張った肩。

 引き締まった腕と、長く伸びやかな指——


 普段は見つめることのできない吉野を、岡崎はじっと見つめる。



 目が良く見えないせいか。気づくと、岡崎は随分吉野の間近へ来ていた。

「……」

 そのことに気づき、ソファを離れようとした岡崎の目の前で、吉野が静かに瞼を開けた。

 目覚めたばかりの瞳で、岡崎を見つめる。



「——あ……」

 ソファを慌てて離れようとした岡崎の手を、咄嗟に吉野が掴んだ。

 その拍子に結び合った視線が、どうしても解けない。


「———」

 吉野の手に、微かに力がこもり……岡崎は僅かに引き寄せられる。



 横たえていた頭をもたげ、吉野の瞳は正面から岡崎をぎゅっと捕える。

 乱れた髪の間から見つめる、精悍な動物のように力強い瞳。

 岡崎は、その瞳に抱きすくめられたように、そこから動くことができない。



 ——捕食されるのだろうか?



 心臓が、胸を突き破る勢いで波打つ。




 あと、ほんの僅かでも、その腕に引き寄せられたら——

 自分は、目の前の男に全てを差し出すに違いない。

 そう、喜んで。




 吉野の指に、ぐっと力が入った。



 その瞬間——


「………ぶわっくしょっっ…………!!!」


 あらゆるものを吹っ飛ばす勢いで、吉野は大きなくしゃみをした。



「——————」

 目の前で盛大なくしゃみを浴び、岡崎は言葉を失う。



「……ああ、悪い。ちょっと冷えたかな——おはよう」

「……お前…………」

 先ほどの高揚を無残に破りながら平然としているこの鈍い男に、岡崎の怒りは突沸しそうになる。

「ん?……どうした?

昨日お前ここに連れて来たら、なんか眠れねーからさ。3時くらいまでビール飲んでたら……あー、脳がまだ起きてねえ」

「さっきのは……寝ぼけてたのか」

「あ、それで怒ってんのか?悪かったな、一瞬誰だかわかんなくて。すげー睨んじゃった」


 怒りで激しく震える心の内を、岡崎は必死に抑え込む。

 そんな憤りをこいつに見せてたまるか。

 第一、よりによって俺がこいつに全てを……さ、差し出すとか……どうかしてるだろ!?それこそ世界の七不思議だ。いつもの自分を取り戻せ!


「——ふん!寝ぼけるなんていつまでもガキみたいなやつだ。バーーーカ」

「……は??なんだよお前その小学生みたいな文句は!?昨夜俺がどんだけ苦しんで……なかなか眠つけなかったのだってお前がなあ……!!」

「責任転嫁も甚だしいな。眠れないのが俺のせいか?なぜだ、理由を言ってみろ」

「それはもうムラ……」


「……は?」

「あーー、なんでもないっ!!

くそっ、とにかくこんな言い合いしててもますます頭痛くなるだけだ……とりあえず」

 吉野は起き上がってドカドカ冷蔵庫に向かうと、何やら取り出してバタンと乱暴に扉を閉める。

 ローテーブルにどさっと置いたのは、様々な種類のスイーツだった。

「昨日の帰り、酔っててコンビニで買い過ぎた。……食ってってくれないと困る」


 岡崎は、居心地の悪そうな吉野の顔を改めて見る。


「……俺にか?」

「だから——俺はスイーツは苦手だって」



 岡崎は、苺のソースの乗ったフローズンヨーグルトをおもむろに手に取り、ふたを開ける。

「ん……美味い。二日酔いに沁みる……」

 吉野は、黙ったまま煙草をテーブルから取ると、ベランダへ立ち上がろうとする。

 その背を、岡崎が呼び止めた。


「……なあ」

「ん?」

「ここで吸えよ。

——俺、自分で彼女にちゃんと断るから」


 岡崎は、静かな眼で吉野を見上げると、そう呟いた。


「……リナさんの気持ちを考えれば——

お前に断ってもらうなんて、あんまり卑怯な話だからな」


 吉野も少し微笑んで、軽く首を傾けて呟く。

「——ああ、そうだな。

俺も、昨日は判断を間違えた。

でも……お前、彼女にちゃんと言えるか?」

「何言ってる。子供じゃないんだから」


 同時に、微かに笑い合う。



 そのままふたりは、酔い醒めの舌でそれぞれの好物を静かに味わった。




✳︎




『もう一度、岡崎さんと会う機会を作って欲しいの』

 この間のリナの希望どおり、吉野は岡崎とリナの会う日時をセッティングしていた。



 吉野は、時間と場所を調整しながら、複雑な思いをぐるぐると胸に渦巻かせる。


 流れによっては——リナは、その日に岡崎に告白する気かもしれない。



 岡崎を簡単に流されるヘタレだとは、決して思っていない。


 だが——

 リナの強烈な押しの強さも、俺は身にしみて知ってる。

 ベリーのチョコの時みたいに、何か無理やり条件を飲ませるようなやり方だって……



 あいつ……

 ほんとに、ひとりで大丈夫か。



「……あーーーー、くそっ!こっちも切れやがった!!」


 吉野は煙草の空き箱をくしゃっと握り潰した。




✳︎




 4月下旬、金曜の夜7時。

 吉野から連絡のあった小さなフレンチレストランへ、リナは少し早く来て岡崎を待っていた。


 店を入ってくる、すらりと品良くスーツを着こなした人影に、目を向ける。



 ——あ。

 岡崎さんだ……。

 あの日からずっと会いたかった、彼だ。



 ……で。

 後ろにいるのは……ん??



 自分の席の向かいに立つ、華やかなオーラで人目を引くイケメン二人を見上げる。

「……どうして二人一緒なのよ」


 頭を掻きつつ、岡崎が申し訳なさそうに弁解する。

「すみません、リナさん。店の外で、こいつに待ち伏せされて。

……俺一人で行くって言っただろ!」

 仏頂面をした吉野が、そんな岡崎に反論する。

「あんなに酔い潰れて、散々俺を不安にさせるお前が悪いんじゃねーか!!

リナ、こいつさ、この前ほんと酷かったんだよ」

 なんだか二人は揉めてるようだ。


「……あ〜〜〜。……やっとわかった。

もしかして……そういうこと?」

リナが、小さくそう呟く。

「何が」

 問い返す岡崎と吉野の声がシンクロする。


「……っていうか。

あなたたち——二人とも、気づいてないの?」

 リナは頬杖をつき、クスッと笑うように二人を眺める。

「だから、何を。はっきり言えよ」

 吉野が少し苛だたしげに問う。

「んー……本当に、気づいてないみたいね。

これまでのことを考えたら、すぐにピンときちゃうんだけどなあ。

——でも、私から言っちゃうのは、やめておくわ。あなたたちが気づくかどうか見てるの、すごく面白そうだもの」

「気づくって……何にですか」

 岡崎も、怪訝そうに首をかしげる。


「うふふっ……二人とも、飛ぶ鳥を落とすハイスペックなくせに、自分自身のことはさっぱりわからないのね。

……よし、決めた!私、岡崎さんも諦める」


「———は!!?」

 再び、彼らの間抜けな声がシンクロした。


 リナは、綺麗にグロスを引いた唇を綻ばせて楽しそうに続ける。

「その代わり……私を、二人の『お友達』にしてくれない?いい仲間として再スタートしたいわ。——それならどう?」


 二人は不思議そうに顔を見合わせてから、リナを見る。

「あなたたちを困らせるような言動は、もう絶対しない。二人を異性としても見ない。純粋に、友達。……なら、いいでしょ?」

 リナはキラキラと瞳を輝かせ、美しい微笑でそんなことを言う。


「んーー……

そういうことなら……まあ、いい……か?」

 吉野はポリポリと頰を掻きつつ、岡崎に確認する。

「今言ったことを間違いなく守ってくれるというなら……まあ……」

 岡崎も、少し困惑しつつそう呟く。

「やった!

じゃ、これからいい友達で。よろしくねっ♪」



 運命の相手なんて、探せばきっと他にもいる。

 でも、このふたりの関係は……間違いなくレアよ。

 こんな超ハイスペックな二人が、実は……多分……「両片想い♡」だなんて。

 こんなすごいこと知ってるの、私だけ。なんかもう、最高!!



 それに——

 今まで思ったこともなかったわ。誰かのキューピッド役をやりたいなんて。




「じゃ、今日は友達祝いってことで、3人で楽しくやりましょ!うふふっ♪

ほら二人とも座って。も〜今日は私が奢っちゃう!」


 リナのこの上ない上機嫌の理由を、全く理解できない二人である。




『なんだかよくわからないが……

とにかく、こいつのことは俺が守る。——絶対に!!』


 リナの真意を掴めぬまま、固くそう誓う二人の心の声がシンクロする。


 ——当然、そんなことにはお互い気づくはずもないのだが。






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