第9話一ヶ月後

 母親の容態が安定し、私も仕事の勘を取り戻したのですが、困ったことがありました。

 執筆を再開させようにも、小説の書き方を思い出せなくなったのです。

 このままではプライベート面がまずい! と察知した私は、とある休日、市立図書館に足を運びました。

 職場に近い図書館には、多種にわたる書籍たちが自己主張しています。

 執筆のノウハウはもちろん、私が好むビジネス書、観光業に関する資料、お金に関する情報、先人の知恵が詰まった哲学書、語学力を養う洋書にいたるまで充実しています。

 指先で表紙にそっと触れると「私を読んで!」という声が聞こえてきそうで、自分の口角が上がるのを感じました。

 「誰から聴こうかしら?」

 気付けば、フフフ、なんて声を漏らしていました。

 そのとき、私は一つの疑問を抱きました。


 「あれ? この『ワクワク』って、いつぶり?」

 二十冊の借りた本を専用バッグに入れた後の重みを、その分だけの躍動感を覚えた瞬間でした。

 二十代になってからは、図書館を訪れる頻度が高かったため、知的環境に恵まれた環境が当たり前になっていました。

 図書館に使用料が発生しないことも、ワクワクすることがなかった理由の一つだったのでしょう。

 仕事では金銭的にも、肉体的にも精神的にも余裕がなかったので、好きであるはずの接客業ですら楽しみを忘れていました。

 カクヨムに登録したときでさえ、私は作家になって、貧しい私を馬鹿にした鬼を見返したいという野心でいっぱいでした。

 正直、ワクワクとはほど遠いものです。

 ですから、現在をのぞく二十代でのワクワクは、簡単に浮かび上がらないでしょう。

 余談ですが、私はまだ! まだ二十代です。というより、今年が最後の二十代です。

 では、十代の私は何に心を踊らされていたのでしょうか。

 就寝前、私は振り返ってみました。

 思い出したい気持ちが強かったのでしょう。その日の晩は、学生服を着ていたころの自分が夢に出てきました。

 心に映った自分を、記憶にある姿を、そのままご紹介しましょう。

 当時の私は若者に珍しく、お洒落にはそれほどの関心がありませんでした。

 幼少期に都会で生活をしていたにもかかわらず。

 私を引き付けて止まなかったのは、知的財産の宝庫である図書館と、宇宙関連のニュースでした。

 高校一年生のころ、学生寮の規則により、寮の屋上で火星を観察できなかったことを悔んだ記憶は今でも色あせていません。

 小学生のころは夏休みの自由研究で月の観察をしたこともはっきり覚えています。

 母親は頻繁に繁華街に連れて行ってくれたのですが、私は近所の科学博物館の方に喜んでいました。

 そのわりには、学校の授業が退屈で仕方がありませんでした。

 完全受け身の世界だったからでしょう。

 その点、図書館は良かったのです。

 自分で好きな本を読んだり、それ以外に窓からテラスの緑を眺めたり、今ではこうしてパソコンで執筆したり。

 一人っ子で育ったがゆえに、自由を大切にしていました。

 でもそれは、大人の世界を知らないで済んだ子供時代の話。

 もう少し大きくなってから、比較的新しい記憶でのワクワクは何だったのでしょうか。

 結論だけを申しますと、高校三年生のときに訪れた大学、オープンキャンパスでした。

 高校の先生から言われていたからだと思います。

 大学では、自分で受ける講義を選び、自分で学ばなくてはならない。つまり、大学での学習はすべて自己責任であると。

 それが、私のスタイルに合っていると思ったのでしょう。

 お金の苦労を知らず、薬剤師として社会に貢献する夢だけを膨らませることが、十代最後の、現在に次いでワクワクするものだったのです。


 大人になった現在、お金の知識を知らないと生きていけないとはいえ、十代のワクワクをこれから先、死ぬまで忘却の彼方に置いたままで良いはずがない。

 私が鬼と称する人間は老い、中には亡くなったり痴呆症になったりと、私のことはもちろん、自分自身のことですら分からなくなっています。

 そんな存在のために、自分の心まで鬼にする必要があるのでしょうか?

 いいえ、ありません。

 ときは常に変動します。かつて十代だった私は二十代最後の年を迎えていますし、赤ん坊だった人たちも、十年経てば自分の考えを持つようになります。

 ファッションに興味がある人にしいてみれば、当時はおしゃれだと評されていたスタイルも過去のもの、現在進行形で取り入れたままであれば、古いと言われます。

 科学にしても、無害だと言われていたことが実は人体に有害だと判明します。

 人生、何があるのか分かりません。未来を先立って見ることはできません。

 それでも、私たちは生きているかぎり未来に向かって進んでいます。

 その事実のもと、私たちは周囲どころか足元でさえ真っ暗な状況で進めるのでしょうか?

 いいえ、私は不可能だと思います。

 人は未知のものを恐れ、触れようともしません。研究家という一部の方々を除いて。

 お金の心配という厄介な存在がすぐそばにある光を遮っているのであれば、なおさら。

 お金というのは、生きている限り誰をも悩ませるものです。

 それほど、とくに大人の人生の大半を占めている代物です。

 その上、時間、寿命ほどではありませんが、私たちが使えるのに限りがあります。

 時間と違って増やすことは可能でも、底知らずにすることはなかなか難しいことでしょう。

 であれば、私たちにできることは、第一にお金を節することです。

 同時に、楽しむことも非常に重要です。

 だって、人生は一度きり、それもお金も時間も限られているのです。

 せっかく神さまから、両親から頂いたこの人生、原色を含んだ百色にしないともったいない!

 そう思いませんか?

 私は可能な限り言葉で皆さまに訴えているつもりです。

それでも皆さまの心に響かないというのであれば、私の力が及ばないのですね。

 では、方向性を少し変えてみましょう。

 皆さまに質問です。

 お金を抜きにして、皆さまが心奪われる存在は何なのでしょうか?

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