第三章
一日があっという間に過ぎ去って、そろそろ日も暮れてきたというところで、チヒロが最後にとっておきの場所に案内するというので連れられてくると、
「じゃーん! 本日の大目玉! わたしの家です!」
と、そこらへんでよく見かける『家』をでかでかと紹介された。
「あ、じゃあもう遅いんでわたし帰りますね」
「ちょ、ちょーっと待った! なんで帰るのよ!」
「いや、チヒロさんの家とかあんまし興味ないというか……」
「ひどッ!? 普通にひどいよ、それ! もう、とにかく上がっていきなよ! ここまで来たら意地でも逃がさないよ!」
半ば強引に連れ込まれた。
家の中は普通だった。普通と言っても、それはスラムにおける『普通』だ。チヒロの住んでいる家はスクラップで出来た集合住宅みたいな感じで、これもまた虫たちのコロニーを彷彿とさせる前衛的なデザインだった。
チヒロの部屋はいわゆる一階部分にあって、中に入ると一人分の生活スペースが広がっていた。生活インフラの類は家に備わっていないので、ここは本当に彼女が寝泊まりするだけの空間があるだけだった。
「すごく狭くて汚いですね」
「そこはお世辞でもいいから褒めなさいよ。まぁ適当に座って」
「適当に……」
散らかった部屋の中には座れそうな場所がない。なので、ローレンシアは自然と唯一片付いていたベッドに腰を下ろすしかなかった。
「まぁこんなもんしかないけど」
そう言ってチヒロが持って来たのは瓶入りの合成コーラだった。
「……変なものとか入ってないですよね?」
「ちょ、あんたわたしのこと何だと思ってんのよ!」
「いや、だって今日のチヒロさん妙に優しかったりするし……何か不気味です」
「普段のわたしはいったいどういうふうに見られてたのかしらね……?」
チヒロはローレンシアの横に腰を下ろして、上半身をベッドの上に投げ出した。
「ま、わたしも行ってみれば『お姉さん』なわけだからね。たまには年上らしいところ見せないとって思って」
「なるほど」
「で、わたしの『お姉さん』っぷりはどうだった?」
「うーん、そうですね。気色悪かったですかね」
「うおーい!? それ満面の笑みで言うところ!?」
慌てて身を起こしたチヒロに、ローレンシアは笑った。
「冗談ですよ」
「冗談には全然聞こえなかったんだけど……」
「でも、そうですね。昔のことを、何となく思い出したりしました」
「昔っていうと、お姉さんの?」
「はい。そう言えば、小さな頃に一度だけ姉と、今日みたいに王都を散策したことがあったことを思いだしたんです。とても小さな頃だったんで、あやふやなところも多いんですけど」
「ローレンシアのお姉さんって、どんな人なの?」
「姉上ですか? そりゃもう、とても立派な人です。まさにマジェスティック・サイクロンの名に相応しい人です」
「前も言ってたわね、なんだっけその、マジスゴイサイコロって?」
「マジェスティック・サイクロンです! どんな間違え方ですか!」
「そうそう、それそれ」
「まったく……マジェスティック・サイクロンというのはですね、マジェスティック王家の正統な後継者だけが名乗ることを許される、エンテレケイアの王様の称号なのです」
「へえ、じゃあお姉さんはすごい人だったんだ」
「そりゃもちろんすごい人でしたよ。文武両道、才色兼備。そしてタテバシャクヤク・スワレバボタン・アルクスガタハユリノハナー、というやつです」
「その呪文、どういう意味?」
「わかりませんけど、すごい人って意味ですよ」
「なるほど、わからん」
「わたしもいつか、姉上の役に立つために毎日修行していました。わたしはまだまだ、パンタシアグラマーとしては未熟もいいところでしたから」
「ローレンシアでも未熟なの?」
「わたしなんて、未熟もいいところですよ。だいたい、正装(イデア)すらまともに纏えないんですから」
「いであ?」
「パンタシアグラマーが、パンタシアグラマーたる証そのものです。右腕に刻印を持っているだけでは、それはまだ立派なパンタシアグラマーとは言えません。パンタシアグラマーは自分だけのイデアを手に入れて、初めて一人前になるんです。でも……」
ローレンシアは肩を落とした。
「わたしは、未だに一度も、イデアを身に纏ったことがありません。だからわたしは未熟なんです。もしわたしがちゃんとイデアを纏うことができていれば、あの時だって姉上を――」
その光景は、目を瞑ればいつだってローレンシアの目の前に現れた。
忘れることなどできようはずもない。
〝ギガンテス〟――憎き敵。
ニューアトランティスの万能なる絶対兵器。
王都を、友を、民を――そして、姉を。
やつらは全て奪い去った。
自分に力さえあれば、もしかしたら『今』は変わっていたかもしれない。
自分だけのうのうと生き延びている。力のない自分が。他に生き延びるべきは、いくらでもいたというのに。
自分ではなく姉が生きてさえいればと、そう思わずにはいられない。姉ならばきっと、自分なんかよりすごいことができるはずだ。
なのに――
右腕を強く握りしめていると、そっとチヒロの手が添えられた。
顔を上げると、チヒロはいつものように白い歯を見せて笑い、
「大丈夫だって」
と言った。
「わたしにはやっぱし、むつかしいことは分からないけどさ、でもローレンシアなら大丈夫。あんたは自分で思ってるよりもずっと強い。だから、大丈夫だよ」
「……わたしは、強くなんてありません」
「大丈夫だ、あんたは強いよ」
「あ……」
チヒロに抱きしめられた。最初は少し身体が強張ったが、すぐに力が抜けた。何故だか、チヒロから伝わって来る温もりを感じると、心の底から安心するのだった。
それが否応なしにかつての温もりを思い出させるので、気が付くとローレンシアの頬を涙が伝っていた。あの時の温もりは、もう二度と訪れない。だけど、この温もりは今この時しか感じられない。過去を追い求める自分と、今を生きる自分と、二つの自分が心の中にいた。
チヒロにしがみつきたくなる衝動を、ローレンシアは寸前のところで堪えた。
チヒロも、ずっとローレンシアを抱きしめてやりたかったが、やがて自ら身を離した。
――あの子が強くならなくてもいい場所を、君が作ってやってくれ。
セドリックの言葉が思い返された。しかし、それは自分にはできないことだと、チヒロは思った。
本当は涙を拭ってやりたかったが、それをするのは自分の役目ではない。ローレンシアには、きっと自分よりもっと相応しい、もっともっと頼りがいのある人間が現れるだろう。自分ごときでは、彼女のいう『自慢の姉』には及びもしないだろうから。
「……ま、今日はもう遅いから、泊まってきな」
「――チヒロさん」
「ん? なに?」
「優しいチヒロさんって、やっぱりなんだか気色悪いですね」
「うぉーい!」
「冗談ですよ」
ははは、とローレンシアは泣きながら笑っていた。
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