第四章

「……すいませんでした、チヒロさん」


 病院へ戻る途中、急にローレンシアが謝った。


「ん? どったのいきなり?」

「いえ、人前で力は使わないよう、セドリックさんにも言われていたのに、わたし思わず――」

「あー、そういうことね」


 今さらながら、チヒロはそのことに思い至った。

 人前で力を使うことは、彼女の正体が玄学者にバレる可能性に繋がる。それが最終的に自分の周囲に迷惑をかけるであろうことを、ローレンシアも十分承知しているのだ。

 チヒロは「むー」とあれこれ頭の中で色々考えたが、やがて、


「ま、いーじゃん。なるようになるって」


 と、かなり投げやりな感じで言った。


「なるようになるって、そんないい加減な……」

「いいのよ、別に。やっちまったもんはしょうがないのよ。それにあんたは、わたしたちのことを助けようとして力を使っただけなんだから。悪いことなんてしてないのに、謝る必要もないのよ」

「でも」

「でも禁止」

「うぐ――むう、チヒロさん意地悪です」


 素直に謝らせてくれないチヒロに、ローレンシアはむくれた。それが何だか可笑しくて、チヒロはくすくすと笑った。

 チヒロが生傷をこしらえて戻って来たので、セドリックは何事かと驚いた。


「ど、どうしたんだいチヒロくん。何があったんだ」

「あー、これはまぁ、ちょっと喧嘩をね」

「け、喧嘩だって? とにかく入りなさい。消毒をしないと」

「いや、こんなのツバつけときゃ治るから平気だって」

「傷が残ったらどうするんだ。いいから早く入りなさい」


 医者の顔つきになったセドリックはいつもより強い口調で、チヒロは大人しく治療されることになった。

 ちょうど入り口をくぐったところで、チヒロはローレンシアにこう言った。


「あ、ローレンシア。ちょっとお茶沸かしてきてくれない? なんだか喉乾いちゃったからさ」

「はい、わかりました。すぐ持っていきますね」


 ローレンシアは素直にうなずいて、お茶を入れにいった。チヒロはそのまま、セドリックに病室へと連れていかれた。

 治療の最中に、セドリックはチヒロからことの経緯を全て聞いた。


「……なるほど。それで、ルーシーくんやマリーもひとまず無事だったんだね?」

「うん。借金取りも引き上げていったし。まぁちゃんと金も払って、しかもあんだけ痛めつけたんだし、また来るなんてことはないでしょ。痛めつけたのはわたしじゃないけど」

「それで、ローレンシアくんは怪我は――って、それは心配するだけ野暮というものか」

「ははは、まぁそうだね。むしろ心配するなら借金取りのほうだろうね。ローレンシアにぶっ飛ばされたやつ、骨でも折れてなきゃいいけどね」

「……しかし、それは少しやりすぎてしまったかもしれないね。彼女みたいな女の子が大の大人をぶっ飛ばすというのは、普通に考えればありえないことだ」



 セドリックが難しい顔をしたので、チヒロも笑うのをやめていた。



「……あいつさ、わたしが相手に殴られるのを見たせいか、急に人が変わったみたいになっちゃってさ。たぶん、怒ってくれてたんだと思う。そんであっという間に、相手を二人ぶっ飛ばしちゃったのよ。本当にあっという間だったよ、マジで。まるで風みたいだった。わたし、けっこう眼はいいほうなんだけど、それでも全然見えなかった。本当の意味であいつがわたしたちとは違うんだって、あの瞬間に初めて理解したような気がする。言葉の上では理解してたつもりだったけど、でも全然、想像してたよりもあいつはずっとすごかった」


「……」


「そんで相手が銃を出してきたんだけど、それでもあいつ全然怯まなくて、そんでわたし怖くなってさ」


「ローレンシアくんのことが、かい?」


「まさか。そうじゃない。あいつは――ローレンシアは、多分、あの時、もしかして相手を殺しちゃうんじゃないかって思って。なんかわかんないけど、とっさにそんな気がしてさ。それがわたし、めちゃくちゃ怖かったんだよ。気が付いたらすごい怒鳴ってて、自分でもびっくりするくらい」


「……」


「わたしは、あいつが怖かったんじゃない。あいつが人を殺すっていう、その結果がとにかく怖かった。だって、あいつはただ、わたしたちを守ろうとしてただけなんだ。わたしが何も考えずに突っ走って、そのせいでローレンシアが人の命に手をかけるなんて、絶対にあっちゃダメだと思って、そうすると怖くなって、気が付くと怒鳴ってて……怒りたかったわけじゃないんだ。そもそもわたしが悪いんだし……あいつはただ、わたしたちを守ろうとしてくれただけなのに、なんかえらそうに叱っちゃったみたいでさ。ローレンシアには悪いことしたなって」


「……わたしにはうまく言えないが、たぶん、それはローレンシアくんにもちゃんとわかってもらえているんじゃないかな」


「そうかな……?」


「彼女は聡明な子だよ。確かに歳相応なところもあるが、彼女自身、それに気が付いて意識的に自制しようとしている節がある。たかだか十歳かそこいらの子供とは思えないほどの精神力が彼女には備わっている。それが生まれついてのものなのか、それとも彼女が強くあろうと――いや、強くあらねばならないと思い続けて身につけたものなのか、そこまではわからないが。だからこそ彼女は実に聡明だし、それが逆に危うい」


「……? どういうこと?」


「あの子はきっと、強くあらねばならない環境で育ってきたんだろう。責任感のとても強い子だ。みんなのために自分を捧げることを、恐らく躊躇しない。というより、それが当然なのだと思っているのかもしれない。誰かのために自分の手が穢れることなんて、恐らくまったく意に介さないだろう」


「……」


「だが、彼女自身が、彼女自身の意思によって人を殺すことはあり得ない。あんなにも優しい子が、人を殺すという一番愚かな選択を選ぶわけがない。彼女がそうする時は、誰かのことを強く思う、その優しさ故にだろう」


「……」


「彼女は優しすぎる。故に強いのだろうが、それはいつか、彼女自身を滅ぼす枷になるかもしれない。だからこそ、彼女が強くなくても、強くならなくてもいい場所を、君がつくってあげてほしい」


「……先生」



 チヒロはしかし、諦めたように頭を振った。



「……いや、でもごめん先生。それ多分、わたしには無理だよ」


「そんなことはない。むしろ、君にしかできないことだとわたしは思う」


「先生がそんなふうに言ってくれるのは嬉しいけど、でもダメなんだよね。たぶん、わたしもうすぐでここからいなくなることになるし」


「……? それはどういう意味だい?」


 怪訝そうなセドリックに対して、チヒロはあっけらかんと言った。


「いやさ、実は借金取りに払ったお金、わたしの有り金全部なんだよねえ。ルーシーには税金分はちゃんと手元に残してるとか言ったけど、そんな金、実はどこにもないんだな、これが」



 セドリックは眼をひん剝いた。



「な、なんだって!? 正規市民税の支払いは来週じゃないか! その時に支払いができなければ、君は――」

「まぁ、そうだね。市民権はく奪で、プラント行きは確定だ。はは、こりゃ困った」

「なぜそんなことをしたんだ!」



 セドリックには珍しく、相手を叱りつけるような物言いだった。それだけ、この状況がひっ迫してるということでもあった。

 チヒロは苦笑しながら言った。



「それが一番丸く収まる方法だと思ったんだ。あのままローレンシアが暴れたところで余計に騒ぎは大きくなるし、あいつらを追い返したところで、借金が消えるわけじゃない。そうしたらまた別のやつらがやってくるかもしれない。それこそもっとややこしいことにだって成りかねない。でも金さえ手に入れば、やつらだって面倒事にわざわざ首を突っ込むほど馬鹿じゃないし暇じゃない。あれが一番いい方法だったんだよ。ま、ただかっこつけたいだけってのもあったけどさ、ははは」


 チヒロは笑っているが、まったく笑いごとではない。


「そ、それは確かにそうかもしれないが――」


 それは確かにその通りだろうと、セドリックも理屈の上では納得できた。だがそれは理屈の上での話であって、納得のいくものではない。

 セドリックは必死に考えた。


「すぐにでもお金を工面しなければ……しかしわたしの貯蓄など無いに等しいし……チヒロくん、わたしのぶんの正規市民税を、君の支払いに充てなさい。そうすれば、今回は何とかなるはずだ」


「いや、それはダメだよ先生」



 チヒロはきっぱりと言った。



「そうしたら先生がプラント行きになっちゃう。それじゃあ、ダメなんだよ。先生はここにいてくれなきゃいけない人なんだから。わたしがいなくっても誰も困らないけど、先生がいなくなったらここのみんなが困る。だから、それはダメだよ」


「しかし、わたしなんてもう歳も歳だ。若い君たちにこそ未来は残されているべきだ……ッ!」


「だったら、なおさら先生にはここにいてもらわなきゃ。先生がいなくなったら。誰がマリーみたいな子供たちの未来を守ってあげられるのさ」


「……ッ」


「ごめん先生。先生には本当に、最後の最後まで迷惑かけることになっちゃうけど、ローレンシアのこと、お願い」


「……チヒロくん」


「このこと、ローレンシアには内緒にしておいてね。そんなこと知った日にゃあ、あの子ってば何しでかすかわかんないし」


「……」


 セドリックが何も言えないでいると、入り口のほうで物音がした。

 やがてひょっこりと、トレーにお茶を三つ用意したローレンシアが姿を現した。


「チヒロさん、お茶持ってきましたけど……何かあったんですか?」

「いいや、別に。それよりもありがとね」

「いいえ。はい、セドリックさんもどうぞ」

「あ、ああ、ありがとう」



 セドリックはどこかぎこちない笑みでお茶を受け取った。

 お茶を一口飲んだチヒロが言った。



「うーん、七〇点かな」

「その謎の点数はなんですか!?」

「ま、筋は悪くはないから、これからはもっと精進するように」

「は、はい、ありがとうございます――って、なんでわたしがお礼を言わされてるんでしょうか……?」



 何だか納得がいかないローレンシアだった。

 それからふと、彼女はセドリックが自分を見ていることに気が付いて、



「? セドリックさん、どうかしましたか?」


 と小首を傾げて訊ねたが、


「あ、ああ、いや、なんでもない。お茶美味しいよ」


 と、どこかぎこちない笑顔でそういったのだった。


「?」


 何だか場の雰囲気が少し変だなとローレンシアは思ったが、それは小さな違和感だけで終わってしまい、いつもの日常の中へと埋もれていってしまうのだった。




μβψ




「……」

「ボス、どうかしたんですかい?」

「……」

「ボス?」

「うっせぇ! 話しかけんじゃねえよ! 考え事してんだこっちは!」


 はじめにここへ来た時とは違って、やけに埃っぽくなってしまった三人組は、仕事はきちんとしたはずなのに、なぜかほうほうの態で逃げかえっているような状況になっていた。


 借金は回収できたが――ウルフガングはやはり納得できないでいた。


(ちっ、これじゃあまるでおれたちが負けたみてぇじゃねえか)


 結果は勝ちかもしれないが、内容で負けている。

 こんな仕事、どう転んでも自分たちにはうま味しかないはずだった。金が入ればそれでよし。


 そうでなければ、借金の代わりにあの女の所有権を手に入れることもできた。あるいはガキを売り払ってそこそこまとまった金を手に入れることもできた。そのはずだった。


 どこで何が狂ったのかと考えると、やはり途中で出て来た女ども――とくに、あのよくわからないチビのほうだ。

 考えれば考えるほど納得がいかない。とてつもなく腹立たしいが――しかし、それ以上にウルフガングには何かが引っかかっていた。


「くそ、あの紋様、最近どっかで見たような気がするんだが……どこだったか」

「紋様ってなんのことですかい?」

「うるせぇ! 話しかけるなっつってんだろうがこのウスノロ! だいたいてめぇがあんなクソガキにぶっ飛ばされるから悪いんだよ!」

「ちょ、痛いですってボス!」


 ウルフガングは苛立ちに任せて部下を蹴り飛ばした。

 ついでにもう一人も蹴飛ばしてやろうと思ったのだが、なぜかそいつは後ろのほうにいて、何やら汚らしい紙切れを見やっていた。


「おい、そんなところで何してやがる! さっさと動けこのトンマ!」

「いや、何か紙切れが顔に飛んできて――」

「うっせえ! おれに向かって言い訳してんじゃねえ! こんなゴミさっさと――」


 ひったくった紙をくしゃくしゃにして――やろうとしたところで、ウルフガングは何かに気が付いた様子で、いきなりその紙を食い入るように見始めた。

 それは紙切れではなく、治安維持局が発行している手配書だった。


「――く、くは、くははは」


 ウルフガングが急に笑いはじめたので、部下二人は顔を見合わせた。


「どうかしたんですかい、ボス?」

「その紙切れになにか?」


 怪訝な顔をする二人をよそに、ウルフガングは、


「――こいつはひょっとすると、ひょっとするかもしれねえなぁ……? ひひひ」


 と、まるで美味そうな獲物を見つけた肉食獣のように、べろりと舌なめずりをした。

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