第二章

 二人が人だかりをかき分けていくと、その先にはルーシーとマリーの姿があった。


「お願いです、もう少しだけ待ってもらえませんか」


 ルーシーはマリーを庇うように、三人組の男に頭を下げていた。

 そいつらはあの時の三人組だった。


 白いスーツの男は言った。


「いやはや、これは困った。こちらとしても十分待ったつもりなんですがね。もうこれ以上はさすがに待てませんよ、パターソンさん。とりあえずいま払えるだけでも払ってもらわないことには、わたしたちも帰るに帰れないんですよ。子供のお使いに来てるわけじゃないんでね」

「でも、いま払ってしまうと正規市民税が――」

「それはそちらの都合だ。まぁ元々あなたに非があることではない。それは確かだ。しかし、返済すべき義務が今のあなたにはある。それは法的に見ても明らかだ。自分の都合だけで返すべきものを返さないというのは、大人としていかがなもんですかねえ?」

「そんな……」

「ちょっとちょっと、何がどうなってるのよ」


 チヒロが両者の間に割って入った。

 ルーシーは彼女の姿を見て驚いたようだった。


「チヒロ、なんでここに?」

「いや、何となくあんたの顔を見に来ただけだったんだけどね。こりゃいったいどういうことなの?」


 チヒロは男たちを睨んだ。彼女の睨みは凄みがきいていて、相手もチヒロが只者ではないらしいと思ったようだ。


「ルーシーさん、こちらの人はお知り合いかな?」

「わたしはルーシーのダチだよ」


 チヒロが代わりに答えた。


「それで、よくわかんないけど、場合によっちゃわたしはあんたらを殴り飛ばさないといけないわけだけど……これはどういうことなわけ?」

「くくく、これはおっかないやつが出て来たもんだ。だが、別に我々は不当なことを言いにきているわけじゃないぞ?」


 男の口調が段々と雑なものになっていく。むしろそっちが地なのだろう。

「いちおう名乗っておくと、おれはウルフガングという。なんてことない、ただの金貸しだ」

「ようするにヤクザってこと?」


 ヤクザというと、本来はサイバーカルテルを指す言葉であったが、ここ近年ではとあるヤクザ組織がシティの別なくあらゆる非合法な組織を取り込んで巨大化しており、そのせいで一般市民からはあらゆる犯罪組織がいっしょくたに『ヤクザ』と呼ばれるようになっていた。


「まぁうちの依頼主はあのヤクザの傘下に入ったようだから、おれもそういうことになるんだろうが、おれなんてただの小悪党さ」

「なんでもいいわよ、別に。それで、あんたらがルーシーに何の用があるわけ?」

「自分から聞いておいてその言い草はないだろう。ふん、まぁいい。おれらはただ、そいつに貸した金を返してもらいにきただけだ」

「金? ルーシー、あんなやつらから金を借りたの?」


 チヒロが訊くと、ルーシーは顔を伏せた。それは肯定の意味だろう。


「どうしてあんなやつらから借りたのよ! わたしに言ってくれれば……それに、セドリックさんだって相談したら力になってくれたはずだよ!」

「まぁまぁ、あんまりパターソンさんを責めてやるなよ」


 ウルフガングが口元にタバコを咥えると、後ろの一人が即座に火を用意した。白いスーツの男は紫煙を吐きながら言った。


「そいつの借金は、元々そいつの旦那がこしらえたもんだ。だが、そいつの旦那は事故で死んじまったんだよ。泣ける話じゃねえか。旦那が残した借金を返すために懸命に働いて、健気に自分の子供を育てる……美談だねえ」

「……ルーシー、そうだったの?」

「……」

「だったらなんで、もっと早く言ってくれなかったのさ! そりゃ、わたしなんかに言っても頼りないとは思うけどさ――」

「そうじゃない、そうじゃないのよチヒロ。わたし、あなたに迷惑かけたくなくて……」

「迷惑なんてことあるわけないでしょ! 一人で早合点してんじゃないわよ!」

「ち、チヒロさん、落ち着いてください。マリーが怯えてます」

 ローレンシアに言われて、チヒロははっとした。ルーシーの足にへばりついているマリーが、今にも泣いてしまいそうな様子だったのだ。

「ごめんローレンシアちゃん、少しマリーをお願い」

「は、はい」


 ルーシーは、マリーをローレンシアに預けた。


「だ、大丈夫ですよマリー。すぐに終わりますからね」

「……うぐ、怖いよおねーちゃん」


 マリーを預かったローレンシアは何とかあやそうとしたが、場の張りつめた雰囲気は子供ながらにはっきりとわかるのか、不安そうな表情が消えることはなかった。

 必死に抱き着いてくるマリーを、ローレンシアは力強く抱き返した。

 ウルフガングはやれやれと肩を竦めて見せた。


「やれやれ、これじゃあおれたちが悪者みたいだな」

「みたいどころか、悪者そのものだろうが!」

「そんなバカみたいな利息払うやつがどこにいる!」

「とっととここから帰りやがれ!」


 周囲の人々からも野次が飛んだ。

 しかし、ウルフガングと名乗った男はまるで動じる様子はなかった。それどころか逆にじろりと一瞥を返して、


「ほう、威勢のいい連中だ。なら、お前らがこいつの代わりに金を返してくれるっていうのか? おれは別に構わないぜ。誰から受け取ろうが、金は金なんだからな」


 と、迫力のある声で言った。

 そうすると、みんな黙ってしまった。

 ウルフガングは嗤った。


「はん、興味本位だけで他人のことに首突っ込むんじゃねえよ。いいか、お前らがどう感じようがどう思おうが、そして経緯がどうであろうが、おれがこいつに金を貸しているのは事実であり、それは法的にも立派な契約のもとで結ばれているんだよ。おれは正当な理由で金を要求しているに過ぎない。おれはいっさい不当な要求などしていない。法はどちらの意見を正しいと見るか、わかるだろう?」


 得意げに言ってみせる男に、誰も言い返すことはできなかった。そいつにいくら腹を立てたところで、自分たちがその金を肩代わりできるわけでもないのだ。いや、そもそも本気でそんなことをしようなんて人間、いるはずがないのである。そのことをウルフガングはよく知っていた。


 野次を飛ばした人間たちは、ただ偽善で吠えただけに過ぎない。負け犬の遠吠えそのものだ。吠えるだけ吠えて金は出さない。そんなやつらの言葉などちゃんちゃらおかしいだけだと、本性を現した男は愉快に嗤うのだった。


「で、いくらなのよ」

「あん?」

「あんたが返せって言ってる金は、いくらかって聞いてんのよ」

「……」


 まっすぐ自分を睨んでくるチヒロに対して、ウルフガングは嗤いを収めた。男の年齢からすればチヒロなど小娘もいいところであるが、この中で一番マシな眼をしていると感じたのだろう。


「これが請求書だ」


 ウルフガングが懐から出した紙切れをチヒロはひったくって、その中身に眼を剥いた。


「ちょ、あんたこれふざけてんの? ルーシー、元々の借金はいくらなのよ」

「あの人が借りたのは百万NAドルだったはずだけど……」

「それでなんで請求がこんなわけわかんない額になってんのよ! おっさん、あんた算数もできないの!?」

「そっちこそ利息の計算もできねえのか? 言っとくが、それは正当な要求額だ。払えないってんなら、その女の所有権はおれらのものになるだけだ。こっちとしてはまぁ、別にそれでもいい。その女なら、すぐにそれぐらいの金は稼いでくれそうだしな。むしろいい金づるになってくれそうだ」


 男はまるでルーシーのことを『商品』のように見やった。その言葉の意味するところを察したのか、ルーシーは怯えるように思わず身を一歩引いていた。


(ルーシーさんの『所有権』? この男はいったい、何を言ってるんですか……?)


 ローレンシアにはおおよそ理解できないことであった。人間が『商品』として見做され、しかも金でやりとりされるなど、彼女にとっては慮外のことだったのだ。

 チヒロはルーシーの代わりに一歩前に出た。


「……てめぇ」


 どうやら、彼女はキレていた。何かが彼女の中にある逆鱗に触れたらしい。いつも気のいい笑みを浮かべている彼女がそんなふうに激怒しているところを、ローレンシアは初めて見た。


 ウルフガングはおもむろに右手を軽く上げた。それは後ろにいる図体がでかい部下二人への合図だった。


「やれやれ。このままじゃ埒があかねえな。そもそも部外者が話に割り込んできてんじゃねえよ。おれらが話があるのは後ろの女だけだ。怪我したくなかったらてめぇは失せな」

「そっちこそ、わたしに怪我させられたくなかったら、さっさとここから失せろ」

「……ふん。見たところ、女伊達らに腕っぷしには自信があるみてえだな。つっても所詮は女だ。おいてめぇら、ちょっとその女を可愛がってやりな」


 ウルフガングが合図をすると、後ろの二人が無言で前に出た。

 どちらもかなり大柄だった。腕の太さからして、チヒロの胴回りと同じくらいである。身の丈もでかく、平均的な成人男性ですら見上げるほどだ。周囲にいた人々はこの大男たちの気迫に押されて、みんな後ろに下がっていた。


「……」


 一歩も引かなかったのはチヒロだけである。

 ルーシーは慌てて言った。


「やめてチヒロ! あんたまで巻き込まれることないわ! わたしがあいつらの言うことを聞いたらそれですむんだから!」

「……それじゃあ、あんたは大人しくあいつに買われるってこと?」

「そ、それは――」

「あんたがいなくなったら、誰がマリーの面倒を見るのよ。マリーの母親は、あんたしかいないのよ」

「……」


 ルーシーが思わず黙り込んでしまったところへ、ウルフガングが思い出したように言った。


「ああ、そうだった。何だったら、そのガキをおれらに渡してくれたら、お前の借金をチャラにしてやってもいいぜ?」

「え?」


 困惑するルーシーに、ウルフガングはにやりと嗤いながら言った。


「いやなに、ここ数年で、それくらいのガキの値段が跳ねあがってるんだ。どうも、どっかの物好きがガキを買い集めてるみたいでな。どういうつもりで買い集めてるんだか知らないが、まぁそれはおれにはどうでもいいことだ。そんなクソジャリでもかなりいい値段になるはずだ。そうすりゃお前の借金なんて一気にチャラになって、むしろ大金を手にできるぜ? なぁ? 欲しいだろう、金が? 金があればなんでも手に入るんだ。こんなところとの生活ともオサラバできるってなもんで――」


 ウルフガングの言葉が終わらぬ内に、チヒロが動いていた。


 その動きは予想以上に速くて、大男たちもすぐに対処することができなかった。

 気が付くと、チヒロはウルフガングを思い切り殴り飛ばしていた。


「――てめぇは、それ以上喋るんじゃねえッ!!」


 チヒロは完全にブチ切れていた。

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