第四章
それから数日が経過していたが、魔法使いに関する情報など一つも入ってはこなかった。
ハプワイアは己の執務室で、苛立たしそうに
「くそ、この茶番はいったいいつまで続くんだ」
とんとんとん、と無意識にデスクの天板を指先で鳴らしている。
室内にいるのは補佐のために控えているビジネス・マトンだけだ。
頭にインフォメーション・ボールと呼ばれる装置を装着した〝それ〟は、命令さえ下せばどんな煩雑な作業でもそつなくこなしてみせるが、とくに命令がなければこうして待機しているのみで、ともすれば置物のようにも見えた。
ハプワイアの苛立ちは収まるどころか、どんどん大きくなっていった。
「そもそもだ、パンタシアグラマーなど本当に存在するのか? 百年前と同じ現象が観測されたからといって、それがどうしてパンタシアグラマーの有無と直結するというのだ。わたしも暇ではないのだぞ。これ以上、中央の連中の道楽などに付き合っていられるか。ここはガツンと言ってあの若造に思い知らせてやるしか――」
こんこんこん、とドアをノックされる音が響いた。
ハプワイアは驚いて飛び上がると、慌てて椅子から立ち上がってドアを開けにいった。
ドアの向こうに立っていたのはゲンベルスだった。
「いきなり申し訳ありません。少し、よろしいですか?」
「ももも、もちろんでございます! ささ、どうぞお入りください!」
さきほどの苛立ちなどどこへやら、ハプワイアは腰と頭を低くして中央の若造を部屋へと招き入れた。
ソファに向かい合って座ると、ハプワイアは手を揉みながら下手くそな愛想笑いを浮かべた。
「どうされたのですか、ゲンベルス卿。何か調査に進展などがございましたか」
「そうですね。それなりにデータは集まっていますが……まだもう少しデータが欲しいところです。それに、まだ肝心のパンタシアグラマーの行方も知れないままですからね。治安維持管理局のほうに何か情報は入ってきていますか?」
「い、いえ、申し訳ありません。そのような情報はまだ何も」
「そうですか。では申し訳ないのですが、いましばらくはご助力願いたい。パンタシアグラマーはまだ、このシティに潜伏している可能性が高い」
「は、もちろん捜索は引き続き行わせていただきますが――」
ハプワイアは頷いたが、喉に何かが突っかかったような物言いをした。
それに気づいたゲンベルスは訊いた。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ――大変さしでがましいことを聞くようなのですが、何と言いますか……そもそもパンタシアグラマーなど、本当に存在しているのですか?」
おずおずと躊躇いがちに言った。先ほどまで「ガツン」と言ってやると宣っていたわりには随分と腰の低い態度であるが、権力に弱い小心者にしては頑張ったほうだと言えた。
ハプワイアは慌てて付け加えた。
「いえ、何もゲンベルス卿を疑っているわけではありませんよ? ただ何と言いますか、百年前と同じ現象が発生したというだけで、それがすなわちパンタシアグラマーの存在の証明になるとは、わたしには思えないと言いますか……」
相手の顔色を窺いながら、ハプワイアはそのように言葉を続けた。
ゲンベルスはとくに気を悪くするでもなく、「なるほど」と頷いた。
「それは確かにそうですね。いやはや、これは失礼をした。わたしとしたことが、ハプワイア殿にきちんと説明をしていませんでしたね」
「いえいえいえ、滅相もない……!」
ハプワイアは恐縮しながらも、内心ではほっとしていた。とりあえず相手が気分を害することはなかったようだ。
ゲンベルスは言った。
「我々の根拠というのは確固たるものです。なにせ、パンタシアグラマーの存在は〝予言〟されていたものですからね」
「〝予言〟ですか?」
驚きを示したハプワイアに、ゲンベルスは首肯を返した。
「そう、〝予言〟です。これはラプラスの演算によって、事前に予測されていた事態なのですよ」
「そ、そうだったのですか。なるほど、ならばパンタシアグラマーの存在は確かに間違いない――」
これ以上ない確証を持ち出されて、さすがにハプワイアも頷くほかなかった。
ラプラス――それはソロモンの館が誇るギガスケール・チューリンマシンの名である。
それはもはや、ニューアトランティスの頭脳と言っても過言ではない存在だ。ラプラスの持つ演算処理能力を以てすれば、この世界に存在する全ての事象、あるいはこれから起こり得る全ての事象を予測することが可能なのである。ラプラスの演算によって導き出された未来は決定されたも同然の『結果』であり、この〝予言〟によってニューアトランティスは今日にいたる文明の躍進を成し遂げてきたのだ。
しかも、玄学者たちには〝
それがすなわち『未来』であろうとも。
「ラプラス――ニューアトランティスが誇るこのギガスケール・チューリンマシンの演算処理能力をもってすれば解けない〝解〟は存在しない――それはもちろんハプワイア殿も知っておられることだとは思います。ラプラスからすれば、未来もまた過去と同一の存在でしかない。いや、そもそも時間の矢という概念に縛られている人間がただ未熟なだけで、超越的存在には時間は全て同一なのです。そうですね、強いて言うのならば『未来とは、未来という名の過去』とでも言うべきか。〝
ゲンベルスは予言を諳んじた。
「〝
「ノーライフ・キング……ですか?」
不穏な響きに、ハプワイアは思わず息を呑んでいた。
「ええ、予言にはそう在ったのですよ。それから推測されるに、いずれ現れるとされたパンタシアグラマーは、これはただのパンタシアグラマーではないと我々は睨んだ。つまり、かつてエンテレケイアを統べたとされる〝
「そ、そんなバカな。マジェスティック・サイクロンと言えば、確か戦史において最強最悪とされたパンタシアグラマーだったはずでは?」
「その通りです。個としての戦闘能力もさることながら、彼奴めらの〝王〟はただのパンタシアグラマーとは違う。以前にも言いましたが、エンテレケイアの王族は大いなるものを受け継ぐ唯一の存在だったとされている。もし本当にそんな存在が復活すれば、何が起こるのかは見当もつかない」
「それはとんでもないことですが――いや、しかし、それならばパンタシアグラマーが現在どこにいるのかも、ラプラスを使えばすぐにわかるのではないですか? わざわざこんな面倒なことをせずとも」
「ハプワイア殿の言うことは御尤もです。ですが、残念ながらそれはできないのですよ」
「なぜです?」
「予言が止まってしまったからです」
「――は?」
言っている意味がわからず、ハプワイアは間抜けな声を出してしまった。
ゲンベルスは相手の驚きなどよそに、相変わらず余裕のある態度で続けた。
「これは本来ならば機密なのですが、現在、ラプラスによる予言は止まっているのです。パンタシアグラマーの存在を予言してから以後、ラプラスは未来の解析結果を出さなくなってしまった。いや、〝解析不能〟という結果しか出さなくなってしまった、といったほうが正しいですかね。おかげで中央最高議会は大騒ぎだ」
「そ、そんなことがあり得るのですか?」
「本来ならばあり得ない――というよりは、これもあってはならないことです。だが、それは現実に存在してしまっている。ですので、我々はこうしてここにいるのですよ。ラプラスは近いうちにパンタシアグラマーが――それも〝呪われし王(ノーライフ・キング)〟が現れるであろうという、その予言だけを最後に残した。しかし、それが具体的にいつなのか、どこで発生することなのか、それはこれまで一切が不明だった。そこへ、百年前と同一の不可解な現象がとうとう発生してしまった。ソロモンの館は、この現象こそが最後の予言が指し示すものだと確信しているんですよ」
「……」
「信じられないですか?」
「それは、いやしかし……そんなバカなことが――」
ハプワイアの驚きは、恐らく玄学者ならば誰もが抱くであろう驚きそのものだった。彼らにとって、文明の行く末というのは既知のものだった。
すでに文明のロードマップは完成されていて、もう百年もしないうちにニューアトランティスは文明の拠点を宇宙に移し、近隣惑星への開拓を始めるはずだったのである。観測可能なこれまでの人類史において、過去の世界統一文明も含めて、近隣惑星まで文明の勢力圏を伸ばすのはこれが初めてのことだった。
かつての世界統一文明は月にも文明圏をもっていたという記録があるが、現行人類はとうとうそれをも超える段階へ来ていたのだ。五百年後には文明はレベル3に移行し、その勢力圏は五百万光年に達しているはずで、これまでは全てが〝予言〟の通りに推移してきたのだ。
ラプラスにさえ〝解析不能〟な現象など、玄学者にとっては凡そ受け入れられない結果だった。
だというのに、この男――ゲンベルスはまるでどこか楽しそうに続けるのだった。
「我々は、玄学は完成されたものであると教えられてきました。〝
「……」
ハプワイアは混乱していた。
この男はいったい、何を言っているのだ?
男の言葉は狂人の戯言にしか聞こえなかった。少なくとも常識的に考えれば、その言葉は異常でしかない。
だというのに、男の目はまったくもって正常なのである。
「パンタシアグラマーは、きっとこのシティにいるはずです。これを捕らえて未知の部分を埋めなければ、我々の『未来』は確定しない。あやふやなままだ。ハプワイア殿、あなたは非常に運がいい。なぜならあなたは、もっとも歴史的な場面に立ち会っているわけなんですからね」
「は、はあ……それは、なるほど」
そのような返事をするので精一杯だったハプワイアであったが、ゲンベルスが続けた言葉に思わず耳を疑うこととなった。
「もし今回、無事にパンタシアグラマーを捕らえられることとなれば、それにご助力を頂いたハプワイア殿のクラス昇格も確実でしょう。ともすれば、一気に
「――は? い、いま何と?」
「此度の調査がうまくいけば、ハプワイア殿は間違いなくペタバイト・クラスになるでしょう。そうすれば
「こ、このわたしがペタバイト・クラスに昇格……? しかも
「はい。これはそれだけ、ニューアトランティスにとって重大な調査なのですよ」
「……」
頷いて見せるゲンベルスの言葉は、ハプワイアの頭にうまく入ってこない。
(こ、このわたしがハイエンド・クラスに――それも官僚を飛び越えて一気にレトリケに昇格するだと……? い、いや、しかしこんな若造の言葉を真に受けていいのか? 相手は確かに中央の官僚ではあるが――)
素直に信じきれないでいるハプワイアであったが、しかしそういった小さな疑念は、心の中に生じた野心という名の渦の中に呑まれて、段々と消えていってしまうのだった。
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