2.ニューアトランティス

第一章

(くそ、なぜわたしがこんなことに付き合わねばならんのだ……)


 内心では愚痴をもらしていたが、表面上は嫌そうな感情など億尾にも出さず、ハプワイアは中央から来た若造と共に砂漠に出向いていた。


 涼し気な顔のゲンベルスを、ハプワイアは横目でちらりと見やった。


(だいたい、パンタシアグラマーの生き残りだと? そんなものがいるわけがないだろう。歴史もまともに勉強しとらんのかこいつは。今さらそんなものが出てくるはずがないだろうが)


 魔法使いなど、今ではもうただの御伽話の存在だった。


 かつてニューアトランティスと戦ったという超越人類種。


 確かにそれは史実だが、歴史が過去に置いてきた遺物である。

 今では存在するはずのないものなのだ。


 だが、中央の目的がシティの査察ではなく、あくまでもそれを名目とした調査だというのはどうやら本当らしく、ゲンベルスを初めとす中央の連中はここ数日、主にシティの外の砂漠地帯を重点的に調査していた。


「それで、歪みのあった座標とはこのあたりなのですか?」

「はい。おおよそ、この付近だと思われます」


 ゲンベルスは鋭い視線を砂漠に向けたまま返事をした。

 二人は超大型輸送機、アルカ・トランスポーターシリーズ『アルカ293』の作業甲板に立っていた。


 アルカ293は全長が約二百プランクもある超大型の無限軌道輸送機で、人間など本当に豆粒にしか見えないほどの巨大さを誇る。

 このアルカ・トランスポーターシリーズは、輸送機などと呼ばれてはいるが、元々は大戦時に地上空母として製造されていたものが原型になっているため、ほぼ兵器と言っても間違いではない。


 ゲンベルスはどうやら中央からこのデカブツに乗ってここまでやってきたらしい。ハプワイアもこれを実際に見るのは初めてだった。


(これが大戦時の『地上空母』か。今では輸送機というふうに言われてはいるが、言い方が異なるだけで実質的には巨大兵器と同じ――これならば、あれだけのロボットを輸送するのも容易だろうが……)


 ふと、ハプワイアは疑問に思った。


(だが、これでここまで来たとなると、それなりの日数はかかったはずだ。中央を出発したのは何日も前のはず……なぜ通達はあんなにも遅かったのだ? 人のことを舐めているのか、こいつらは)


 疑問は苛立ちに変わったが、もちろん口になどは出さない。

 眼下では夥しい数のロボットが何やら作業しており、まるで虫の群れでも見ているかのようだった。


「あのロボットは全て中央から運んできたので?」

「ええ、必要となりそうなものを全て用意していたら、あれだけの数になってしまいましてね。おかげでベンセレムからの出発が遅れてしまいましたが……まぁ、それもまた必要な時間だったと思うまでのことですよ。不備があっては、結果的にそちらのほうが時間を無駄に浪費することになりますしね」

「ええ、それは確かにおっしゃるとおりですな――」


 どうでもいい相槌を打ちながら、ハプワイアは砂漠の熱さに思わず首元を緩めていた。遮るものが何もない場所での直射日光というのはこんなにもきついのかと、彼は生まれて初めての感覚を味わっていた。


(こいつ、この状況で一つも汗をかいていないが……暑くはないのか?)


 ハプワイアが肥満体質だというのもあるが、それにしてもゲンベルスの涼しげな様子は違和感があった。砂漠の太陽光というものはほとんど暴力的なのだ。


「ええと、それで、これは主に何を調べているんですか?」

「データを基に造り上げた絶対座標系の歪みと、現在のこの位置の絶対座標系とを重ね合わせて精査しているところです。現在はもう歪みは修正されているようですからね」

「しかし、未だに空間が歪むということがわたしには信じられませんな。魔法使いとかいう輩は、そんなことまでやってのける連中だったのですか?」

「この現象がいわゆる〝魔法(パンタシアグラム)〟によるものなのか、それはわたしにも計りかねることですが、アカシック・ストレージにはパンタシアグラマーたちの発生させたという、信じられないような超常を裏付けるデータは数多くあります。といってもまぁ、パンタシアグラマーとニューアトランティスが戦争をしたのはもう百年も前だ。その頃と今とを比べれば、技術も随分と進歩した。我々に残っているのは、当時の技術水準で調べたデータのみ。故に不完全な部分も多い。それにあの頃は捕獲よりも殲滅を優先していたようですからね。獲得できた素体はあまり多くなかったらしい。これから大陸に文明を建造するにあたり、後顧の憂いは全て排除しておきたかったのでしょうが……あぁ、実にもったいない」


 嘆くかのようなゲンベルスの言葉に、嘘偽りはなさそうに見えた。

 それを見たハプワイアは思った。


(……こやつ、本当に執行委員会の人間なのか? 執行委員会はあの〝粛清者〟ナヴァリアの子飼いだと聞いていたが……こいつはむしろ学術委員会の人間のようにさえ見えるな)


 玄学者というのは現代文明の支配者であると同時に、玄学という知識による真理の探究者でもある。ベンセレムも政治中枢というよりは、玄学的学術知識を追求するために存在するというのが本来の建前であるはずだった。


 ソロモンの館を動かしているのは、限られた一部のハイエンド・クラスの玄学者――賢議レトリケたちによって構成された中央最高議会であるが、その議会には二つの派閥が存在する。


 それはナヴァリア派という改革派の派閥と、マグダリア派という保守派の派閥である。


 本来の意味で言えばマグダリア派が正統な玄学者的思想を踏襲した集団であり、ナヴァリア派と呼ばれる派閥は近年になってから台頭してきた新興的思想を掲げる集団だ。


 それぞれの派閥の代名詞ともなっているナヴァリアとマグダリアは、それぞれがエキサバイト・クラスの玄学者であり、ニューアトランティスにたった三人しか存在しない超上位階級――いわゆる三賢人と言われるポストに君臨している。


 三賢人はそれぞれに異名を持っており、


 ――〝粛清者〟ナヴァリア

 ――〝探究者〟マグダリア

 ――〝救済者〟メルキアラ


 と呼ばれていた。


 三賢人はそれぞれが超特権的階級に位置していながら、その行動理念や思想にはまったく相容れるところがない。


 とくに件の二人については、勝手に中央の各委員会を自らの下部組織のような形で実質的に私物化し、いいように利用しているというのは公然の秘密である。


 対立が主に表面化しているのはマグダリアとナヴァリアの二人であり、この二人の対立は中央最高議会を真っ二つに分断している。


 もう一人、メルキアラはそういった政治的闘争には表立って関与していないのか、あまり話に聞くことはないのだが、とにかく〝粛清者〟と〝探究者〟の対立の溝が深まっているというのは、中央から遠く離れたここマクスウェル・シティにも聞こえてきているほどだった。


 その聞こえてきた話によるならば、中央執行委員会はナヴァリアが支配下におく委員会のはずだった。


 ナヴァリアの改革思想は過激で、これまで暗黙の了解ということで見逃されてきた慣習的行為においても、それが本来の法に抵触するのならば容赦なく断罪を断行するという。故に〝粛清者〟と呼ばれて多くの玄学者たちからは恐れられているのだった。


(もしマグダリア派の人間なら、放っておいても調査とやらだけを継続して、満足すれば適当に帰ってくれる可能性は十分ある。だが、噂通り執行委員会がナヴァリア派の組織で、こいつもただの『ふり』をしているだけなのだとしたら、やはりわたしは油断することはできない――くそ、こいつはどっちなのだ?)


 ぬぬぬ、と再び考え込んでしまうが、しかし暑さでいまいち思考がまとまらない。

 何やら落ち着きを失いつつあるハプワイアをよそに、ゲンベルスは勝手に話を続けていた。


「今の技術があれば、以前は解明できなかったパンタシアグラムについても、その多くが理解できるようになるはずだ。元々、我々ニューアトランティスもかつて存在した世界統一文明から別たれた存在ですからね。もちろんエンテレケイアもそうです。むしろ正統さで言うのなら、かつての世界統一文明が魔法文明であったことを踏まえると、エンテレケイアのほうが優性でしょう。主観主義文明から生まれた我ら客観主義文明は、むしろ異端者だ。しかし、その我らが現在この地上で唯一の文明となっている。まさに我らのテーゼである〝知は力なりスキエンティア・エスト・ポテンティア〟こそが真理だったわけだ。ハプワイア殿もそう思われるでしょう?」

「え、ええ、そうですな。実に同感です」


 いちおう返事はするが、話の内容はほとんど頭に入ってない。

 ハプワイアがどこか上の空であるのは傍目からでも十分わかったが、ゲンベルスはとくに気にしたふうもない。


「〝完全無欠の理論(プリンキピア)〟でも解明できない現象――くくく、実に面白いですね」


 にやりと笑ってから、ゲンベルスは改めてハプワイアに向き直った。


「ああ、それとハプワイア殿。少しの間、そちらの治安維持管理局に協力を願いたいのですが」

「え? え、ええ。それはもちろん構いませんが……何をするおつもりで?」

「いやなに、ちょっと魔女狩りをね」

「は、はあ、魔女狩り、ですか……?」


 聞いた事のある単語だ。

 確か王都を陥落させてエンテレケイアを滅ぼした後、ニューアトランティスが大陸全土で魔法使いの生き残りを徹底的に排除したという殲滅戦のことだったはずだ。それによって魔法使いはこの地上から完全に排除された、と言われている。


「……しかし、どうやってパンタシアグラマーを見つけ出すんですかな?」


 そもそも本当にそんなものがいるのか? という問いは寸前で飲み込んだ。


「そうですね。それについては、こちらのデータをご覧ください」


 ゲンベルスがそう言うと、ハプワイアの意識に〝システム・オペレーター〟の声が響いてきた。


《ハプワイア様、ゲンベルス様からデータが届いています。御覧になりますか?》


 それはハプワイアにしか聞こえていない声だ。玄学者と呼ばれる彼らは、インサイドビューシステムと呼ばれるヒューマン・インターフェースによって『脳』を一個のマシン・ハードウェア――つまりチューリングマシンと同等のものとしてネットワークに接続させている。


 おおまかに記憶領域、思考領域、意識領域にパーティションが区切られていて、ネットワークに繋がっているのは記憶領域と思考領域までである。


 送られてきたデータはネットワークを介してハプワイアへと届き、彼が意識内で承諾を返すとデータは記憶領域に保存された。するとそれは〝システム・オペレーター〟によって演算補助を受けた思考領域で即座に処理がなされ、最終的に意識領域に引き渡されてハプワイアの『視覚』に表れることとなった。


 玄学者にとって自身が持つ脳というのは、自我の存在場所でもあり、また高度な処理能力を有した有機的なチューリングマシンでもあった。それを可能にするのがインサイドビュー・システムというわけだ。彼らの脳は労働者階級の脳とは違い、玄学的技術によって後天的にネットワークに最適化されており、まさに〝知を愛する者ソフィスト〟の名に相応しい進化した人類なのだ。


 ハプワイアは、自身の視界にしか見えていないデータ群を見やって、少し怪訝な顔を見せた。


「――これは、もしかして〝世界言語ニーモニック〟ですか」

「その通りです」


 したり、とゲンベルスは頷いた。


「記録によると、パンタシアグラマーは右腕に〝世界言語ニーモニック〟を刻んでいたようです。それがすなわち、彼奴めらがパンタシアグラマーであることの証左と言えるでしょう。それ以外は生態的に見て人間と大して変わらないようですからね」

「パンタシアグラマーというのはつまり、元々はただの人間だったと?」

「恐らくそうでしょう。パンタシアグラマーとしての能力は後天的に得られるものだと過去のデータでは類推しています。〝魂〟の条件、とでも言いましょうか――何らかの基準を満たすことによって、大いなる存在がその人間に世界の寵愛を与える。そうしてパンタシアグラマーは新たに生まれてくる、と」

「大いなる存在、というのは?」

「詳しいことはわかりませんが、過去の研究データを残した何者かはそれを〝アーチ・イマジネーション〟と名付けていました。その者の研究データには不可解な部分が多いので、まだ十分に解読はできてはいないですがね」

「それは、かつて存在したという〝グレート・マザー〟とは違うのですかな?」

「そのあたりの違いも、まだ我々にはわかっていません。ただ、エンテレケイアにおいてそのアーチ・イマジネーションに該当するのが唯一、マジェスティックを名乗っていた王族だということだけはわかっています。パンタシアグラマーの中でも王族だけは特別な力を受け継いでいたとされていましてね――と、話が逸れてしまいましたね。ところでハプワイア殿、そのニーモニックですが、何か違和感には気づきませんか?」


 ゲンベルスに言われて、ハプワイアはそう言えば――と、あることに気が付いた。


「……我々が知っているニーモニックとは、どこか違いますな」

「その通りです。いま我々が使用しているものとは様式が異なっています。到達すべき場所は同じだったが、辿った道が違ったが故の差異……ということでしょうかね。我々は手探りでそれを見つけ出したが、彼奴めらは初めからそれを与えられていた。故に超越人類種と呼ばれ、長きにわたって人類史に君臨し続けてきた、と」

「つまり、このパターンのニーモニックを右腕に刻んでいる人間が、パンタシアグラマーだということになるわけですか」

「そういうことです。そのように手配しておいてもらえますか?」

「わかりました。すぐに手配させましょう。少し失礼いたします」


 これ幸いとばかりに、ハプワイアは作業甲板から艦内へと戻って行った。馬鹿馬鹿しいことだが、この暑さから解放されるのならもう何でもよくなっていた。


「さて、わたしはもう少しここで調査を続けましょうかね」


 ゲンベルスは相変わらず涼し気な様子で、しばらくはその場所から動かなかった。

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