第二章

 一週間前。


 一台の大型オート・モービルが砂漠を走っていた。


 それを運転しているのは若い女だった。よく日焼けした肌をしており、肩のあたりでばっさり短く切った髪も赤茶けた色合いだった。年齢はせいぜい二十歳前後といったところだろう。


 細身ではあるが、日ごろから力仕事をしているのか身体のつくりは非常に引き締まっているように見えた。

 薄汚れたオレンジ色のツナギを着ているが、暑いのか上半身だけ脱いで腰のあたりで適当にしばっていて、黒いタンクトップ姿で窓から入り込んでくる風を浴びていた。


 チヒロ・ミシネイトは産業廃棄物をシティの外、砂漠地帯に設けられたスクラップの廃棄場へ運んだ後、シティへと戻っているところだった。


 廃棄場は砂漠地帯の中にぽつんと置かれたオートメーション施設で、廃棄物を運べば後はロボット(非人間型の作業マシンの総称)が全て処理して、資材としてリサイクルされた鉄くずにしてくれる。


 それを持ち帰るのもまたチヒロの役目だった。

 施設がわざわざシティの外に設けられているのは、処理の過程で有毒物質が発生するためだ。


「……ほんと、シティの外ってなんにもないわよね」


 今さら当たり前のことを口にした。同じ風景ばかり続いて思わず欠伸が出る。


 目の前に広がっているのは砂漠ばかりで、ニューアトランティスではこの砂漠地帯のことを〝ヴォイド〟と呼んでいる。


 空っぽ、という意味だ。


 その名の通り、大陸のほとんどを占めるこの砂漠地帯には砂と岩以外には何もなかった。


 この大陸はかつて『自然』というものに溢れていたらしいが、そんなのは映像でしか見たことがないもので、森だとか湖だとか言われてもいまいちとこなかった。


 話によれば、百年ほど前の革命戦争の際、魔法使いが大地に呪いを振りまいてこうなったのだという。


 チヒロが生まれるよりもずっと昔の話だが、玄学者がこのニューアトランティス大陸に文明を築き上げる前は、魔法使いと呼ばれる人種がこの大陸に住んでおり、エンテレケイアと呼ばれる魔法使いたちの国家が存在していた。


 魔法使いと呼ばれる人間は特異な人種で、魔法という非玄学的な能力を個々人が備えていたというふうに言われている。


 玄学文明が徹底した客観主義に基づく知識体系ならば、魔法文明は突出した主観主義に基づいた技術体系によって成り立っていた。


 ようは万人が追証できる原理を究明することが是とされるのではなく、個人による秘術が優れているほどに、より強大であるほどに是とされるのが魔法文明の考え方である。


 そのため、文明を支配していた魔法使いたちは強大な力を独占し、その圧倒的な力で以て人間を奴隷のように使役していた。


 その魔法使いたちの圧政から人々を解放したのがニューアトランティス――つまり、玄学者である。


 玄学者たちは冥央海よりも向こうの大陸からやってきたと言われている。

 世界にはニューアトランティス大陸だけではなく、他にも巨大な大陸があるらしいのだが、彼らはある日突然、異なる大陸から新たな文明の灯を持ってこの大陸に渡って来たのだった。


 彼らは〝玄学スキエンティア〟と呼ばれる知恵を使い、この大陸を支配していた魔法使いたちを倒し、苦しめられていた人々を解放した。


 魔法使いたちの呪いによって砂漠に変えられた大地にシティを造り、さらにプラントを造ってテスラ・ストーンを採掘、精製し、劇的に人々の生活を――世界そのものを変えた。


 今日にわたって人間がこの砂漠の中で生きていくことができているのは、全てが玄学という知恵が生み出した想像物のおかげだと言えるだろう。

 玄学者は『想像力』という、魔法という強大な力にも劣らぬ知恵で新たな文明を築き上げたのである。


 やがて砂漠の向こう側に突如としてシティの巨大な姿が現れるのを見る度に、チヒロは大がかりな手品でも見せられたような気分を味わうのだった。

 こんな何もない砂漠のど真ん中に、玄学者たちはどうやってこんなにも大きな都市を造り上げたのだろう?


 その時、チヒロは急にどこからか妙な音が聞こえてくることに気が付いた。


「……ん、なんだこれ?」


 音源がどこにあるのかはっきりと判別できない音で、最初は耳鳴りか、それとも気のせいかと思われたが、それは段々と大きくなっていった。


 これは気のせいじゃないぞと思ったところで、突如、進行方向の先に爆発的な光が生じた。


「うお、まぶしっ」


 慌ててブレーキを踏んだ。


「……な、なに今の?」


 恐る恐る眼を開くと光はもう消えていた。

 ほんの一瞬だけ生じた閃光らしかったが、もろに直視したのでしばらく目はチカチカしたままだった。


「……」


 このまま進んでいいのか、チヒロは少し迷った。


 迂回するべきかとも思ったのだが、しかし好奇心のほうが勝ってしまい、そのままの進路でゆっくりとオート・モービルを動かし始めた。


「ん? あそこ……なんかあるね」


 しばらく進んでいくと、砂漠のただ中にぽつんと黒い影があるのを見つけた。

 近づいていくとそれが人型だとわかったが、彼女はこの時点ではそれが本物の人間かもしれないという認識を持たなかった。


「……オート・マトンかな。さっき光ってたのってあの辺だよね」


 訝しみながらもとりあえず近寄って停車した。


 オート・モービルから降りて近づいてみると、それは小柄なオート・マトンだった。周囲を見回してみたが、他には何もない。


「うーん、光ったのはこのあたりだと思うんだけどな。でもオート・マトンが1体落ちてるだけ……か。何があんなに光ったんだろ?」


 考えてもチヒロの中には答えとなる知識はなかった。そうなると彼女は潔いもので、わからないものはわからないのだと自分を納得させた。


「うーん……ま、いっか別に。そんなことより、なんでこんなとこにオート・マトンが落ちてんだろうね」


 オート・マトンとは『人間の想像的時間を算出するための機械的労働力』である――というのは玄学者たちの言葉であってチヒロには何やらさっぱりだが、とにかく人間社会の中で人間をサポートしている人型のマシンのことだと彼女は認識していた。


シティの治安維持を行っているポリス・マトンも、役所で事務をやっているビジネス・マトンも、全てがオート・マトンというマシンで、それらはあらゆる場面で人間が暮らすこの社会を支えている存在なのだった。


 でも、それにしては――とチヒロは違和感を覚えた。


「……いや、でもオート・マトンにしては小さいな。なんか子供みたい――っていうか子供だよね、これ。そんなオート・マトンあるのかな? それに頭にあの変な機械もつけてないし――」


 チヒロの知っているオート・マトンというと、役所で見かけるビジネス・マトンであれば、普通は成人した人間と同じ見た目で、頭に被せるような機械を装着しているものだし、ポリス・マトンであれば、頭から足先まで全て黒いプロテクターで覆われているものだ。


 だが、このオート・マトンは見るからに子供だし、そういった機械の類も見当たらない。


 金色の長髪、白い肌、丸っこいほっぺ、見たこともないようなふりふりのついた服。何だかいかにも『お人形さん』みたいな感じだ。


「……」


 ふつふつと『まさかな』という思いが湧きあがってくる。

 試しに頬をつっつくと、小柄なオート・マトンは身じろぎした。

 すると、ううん、とうなってからわずかに瞳を開いた。


 この乾ききった砂漠の中において、小さな二つの瞳には何というのか……潤いみたいなものがあった。


「……こ、こは?」


 オート・マトンが掠れた声を出した。

 ここでチヒロの違和感は確信になった。


「え、ちょ、嘘でしょ……オート・マトンじゃ、ない――?」


 この小さな女の子はオート・マトンではなかった。

 どうやら人間のようだった。


「ちょ、ちょっとあんた大丈夫ッ!?」


 慌てて駆け寄ってその身を抱き起したが、脱水でも起こしているのかぐったりとしていて、意識もはっきりしていない様子だった。


「なんでこんなとこに人が――いや、そんなこと言ってる場合じゃないわ! ど、どうすれば――そ、そうだ! とにかく〝オペレーター〟にこんな時の対処法を――」


 チヒロは慌てて仕事用のエニィウェア(一般的に普及している移動情報通信体)を取り出したが、なぜか圏外になっていた。


「ちょ、なんでこんな時に圏外なのよ! このへんならネットワーク圏内でしょうが!」


 怒鳴っても振り回しても端末は圏外のままだ。

 チヒロは舌打ちするとエニィウェアをしまいこんで、女の子を抱き上げると急いで車両に戻った。女の子を助手席に乗せて、自分は回り込んで運転席へと飛び乗る。


「すぐ医者のところに連れてってあげるから、それまで頑張ってよね――ッ!」


 チヒロはエンジンをはじめから最高出力にして、トップスピードでシティを目指した。


 砂漠の中を一台のオート・モービルが爆走していく。


 誰もいない砂漠でそれを見ていたのは、はるか遠くにそびえ立つニュートンズ・クロックだけだった。

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