第4話 Infection
それから俺は、時々ふらっと例の『青森さん』に会い、話をするようになった。その会う場所というのは職員室の前だったり移動教室の途中だったりただ廊下にいるだけのときだったりするのだが、時々ふらっと気まぐれで屋上に顔を出すと、なぜか待ち伏せていたように、青森はそこにいた。
「あんた、暇なの?」
「暇じゃないですよ。藤堂くんこそ、こんなしょっちゅうサボりをしていていいんですか?」
「サボりじゃないよ」
「じゃあなんでこんな時間にこんなところにいるんですか?」
「……腹が頭痛で気持ちが悪くて?」
「なんで疑問形なんですか」
あんたこそ、なんで俺が来るたびこんなところにいるんだ。
俺は屋上で会うたびにそのようなことを思っていたが、口に出すことをやめていた。なんだか言ってはいけない気がしたのだ、その問題は。
その代り、俺は青森にその他の色々な疑問を問いただすことで、その不満を解消していた。
ト音記号。ヘ音記号。4拍子全部休むのが全休符で、4拍分全部のばすのが全音符。半音上げるのがシャープで半音下げるのがフラット。
「藤堂君、これはなんでしょう?」
「……おたまじゃくし?」
残念ながら、2分音符から32分音符までは覚えることができなかったが。
俺は今まで対して興味のなかった音楽の知識を咥えながら、青森についての考察を広げていった。
こいつの名前は青森響子。で、進学科の2年。俺と同じ年齢だけど、そもそも校舎が違うので面識がなかった。腰くらいまで伸びた栗色のロングヘアーが特徴といったら特徴。大人しい、というか真面目。校則を破るとかそういうの知らないんだろうなっていうくらい。そんな奴が、なぜ俺と共に3時間目の授業中、屋上なんぞでひなたぼっこをしているのか謎だったが。
いわく、
「創作意欲が湧くんです」
らしい。
「家の中だと、なんだか息が詰まりそうになって……ここの方が、気持ち的にも、すごくいいものが書ける気がするんです」
コンクリートの座りこんでいる青森の言葉に、クリエイターというものはそういうものなのだろうかと思う。残念ながら俺はそういった感受性だとか芸術性に乏しくて、100円の絵だってゴッホの絵画もすべて同じものに見えて仕方がない。(芸術と言えば染野のアホが美術部で何度も入賞をしているが、俺がこの間見た奴の作品は全身銀色の宇宙人が7色のブラックホールに飲み込まれているというなんともシュールな作品だった)
そんな俺でも、今目の前で何やら詩を作っている青森さんが、染野のアホなんかよりも繊細かつ純粋な感性を持っていることは一目瞭然だった。
「音楽関係の仕事に就きたいんです」
というのは彼女の希望。
「曲を作って、詩を書いて……自分の曲を、世界中の色んな人が聞いてくれたらいいなぁ……って」
自分で歌ったりはしないのか、というのは俺の質問。
青森は滅相もないとばかりに両手と顔を左右に振って、
「わたしは、歌が下手だから……でも、もし誰かが私の作ったものを認めて、歌ってくれたら、すごく、いいなぁ……って」
青森の意思はひどく内向的で後ろ向きだが、その分とても真摯的で前向きだった。言葉の最後が小さくなって聞こえなくなるのも、しゃべるとき自信なさ気に下を向くのもすでに癖になっていたが、音楽に対する情熱だとか気持ちだとかは本物のようだった。
学校で作詞をして家で曲を作っているのか、家には何の楽器があるんだと俺が言うと、
「家にはピアノがあって、それでメロディーを作るんです」
ふむ。両親のどっちかが音楽関係の人なのかと問いかけると、
「……?普通のサラリーマンと主婦ですけど……」
なんでそんな質問をするんだとばかりに返された。あまりにきょとんとした表情で返されて、逆にこっちが恥ずかしいような気分になった。
出会った当初はずっと敬語で話していたが、そのうち慣れてきたのか何なのか、青森は徐々に砕けた言葉使いをするようになっていった。
「藤堂くんは、いつから眼鏡をかけてるの?」
あるとき、眼鏡についた指紋をシャツの裾で拭っていると、それまでずっとルーズリーフとにらめっこをしていた青森がもの珍しそうな瞳で覗き込んできた。
小6からだと俺は言う。
正直、そんな質問をされたのは久しぶりだ。俺の周りのやつらは誰も俺の眼鏡になんか興味がないし、染野なんぞ「藤堂は生まれたときから眼鏡なんだよ」とか言ってやがる。
青森は俺の裸眼をしげしげと――まるで、動物園に現れた新しい動物を見る目つきで――眺めていた。
そんなに珍しいのかと俺が言うと、青森は全力で頷いた。素直な奴だ。
そんな感じで時々昼飯も一緒に食うようになっていって、数度目の会食のとき、青森はふと思いついたかのようにこういった。
「藤堂君はいつもパンだね。お母さん、お仕事かなにかしてるの?」
青森は俺の手の中にある菓子パンを眺めながら、自分の弁当箱をつついていた。
俺はコッペパンの形の菓子パンをきっかり真ん中で2つに割って、言ってやる。
「あー……うち、おかーさんいねーの」
うちの母さんは俺が幼稚園のときに交通事故で亡くなっている。昔は寂しいとか悲しいとかも思ったような気もしなくはないが、今の俺がそれを悲しんだり嘆いたりするには少しばかり時間がたち過ぎていた。
俺が半分にちぎった菓子パンを更にちぎって口の中に放り込んでると、青森がやたら悲しそうな表情を作り、ウサギのマークの箸を置いた。
「ごめんなさい」
なにを謝っているんだと俺は言った。
俺は科学が嫌いだということは先に話したが、その他の教科の態度も散々たるものだった。
提出しろといわれた英語の課題を思い切り忘れていた俺は、その日の授業で今日の放課後までに出さねば通知表に1をつけると最後の通達を受ける。いくら成績に無頓着でも、さすがにそれはちょっと困る。
なんなく課題をクリアして(そもそも量が少なかったのだ)放課後の職員室の戸を開けると、そこに見えるは挙動不審な動きをする栗色。
「よぉ」
と俺が声をかけると、青森はまるでトラの檻に放り込まれた羊のように、ビクリと体を震わせた。青森はうるうるうると目を潤ませながら、「こんにちは……」と呟いた。
「なにしてんの?」
「今日……日直で……日誌を取りに……」
「ふぅん」
「藤堂くんは……」
「提出物。出してなかったから」
などと一言二言会話をして。
俺は教師に名前を呼ばれ、少し怒られる。あんたってほんと駄目ね。はあ。わたしがいったこと聞いてた?これ、本当は水曜日提出だったの。へぇ。今日何曜日か知ってる?木曜日です。
なんてことを延々と30分ほどやり続け、教師の声が枯れかけたところで俺は漸く解放される。さすがの俺もちょっと疲れて、今度からもう少し真面目に提出物をしよう、なんてことを思いつつ下駄箱から革靴を取り出すと、どこからか俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。聖陽一。
聖は明るくて穏やかで気のいいごくごくいい奴だ。話もうまいし聞き上手だ。
そのまま並んで歩き続け、ふとした瞬間に、聖はあることを口に出した。
「藤堂ってさ、青森さんと仲いいの?」
さっき、職員室で話してたよね?という問いかけに、悪くはないと俺はいう。
逆に、仲がいいと何かあるのかと問いかけると、聖は口元だけ笑い眉根だけを寄せるというなんとも器用な表情を浮かべ、「悪くはないけど」と、先ほどの俺と同じ言葉を口に出す。
「俺さ、一年の時、青森さんと同じクラスだったんだ」
ホントは一回も、話したことないんだけど。
と、なぜか自嘲気味な笑みを浮かべる、聖。
どういうことだと俺がいうと、聖は意味もなく頬を掻いて、首を傾げた。
『青森さんさ、一年のとき、あんま学校きてなかったんだ。いじめとかそういうのじゃないんだけど……なんていうか、気持ちの問題?』
(そんなことだろうとは、思ってたけど)
そう考えていれば大体ことは納得ができるし辻褄もあう。
青森響子は一年次に出席日数ぎりぎりで、半登校拒否児をしていた。2年になり徐々にまともに登校していくようになりとりあえずは来てるが、時々ふらっと思いついて、授業に出席をしなくなる。いじめがあったのかなかったのかはわからない。でも、少なくともなにかしらあいつが気になるようなことをいわれたのも確かなのだろう。例え、いじめが本当になかったのだとしても。
今俺の目の前では、茶色い髪を珍しく一つに纏めた青森響子がぶつぶつと呟きながら付箋に指を這わせている。
(屋上は、誰も邪魔なんかしないしな)
7月の空はとても高くてひたすら青くて、寝転んで見上げていると吸い込まれてしまいそうだ。わたあめのようなふかふかの雲が緩い風に流されて、複雑な形状を作っている。
「小学生の時、授業でオーケストラのコンサートを見に行って、すごく感動して……すごく綺麗で、かっこよくて。あんな風になれたらいいなぁって思って」
いつから音楽家になりたかったんだという俺の問いかけに、青森はそう答えた。
「お父さんとお母さんは、あんまり賛成してなくて……音楽家とか、成功するかわからないし、そんな安定しない職業よりも、もっと堅実な職のほうがいいって……。夢を見るのは自由だけど、でも、そんな簡単に、成功するわけなんかないから……」
青森の親の言い分もわからないでもないのだが、正直俺には縁のないような話だった。俺の親父は俺の進路だとかについて何も言わないし、第一俺も将来だとかその先について何か考えたことがなし、高校も楽に入れるところを選んだだけだ。
「本当は、高校も音楽系の学科にしようと思ってたんですけど、でも、だめで」
俯いたまま途切れ途切れに発せられる言葉たち。
俺は半分くらい聞き流しながら聞いていて、とあることを思いつき、それをそのまま口に出す。
「今は?」
「え……」
「今は違うの?」
俺は寝転んだまま体勢を変えて、頬杖を突く。
「やりたければやればいいじゃん。やりたくないこととか、無理してやることないと思おうし。叶うとか叶わないとか、そんなの、その時に考えればいいんじゃないの?」
俺に言わせれば、他人に振り回されるなど真っ平だし、できるかもしれないことをやる前に諦めるなどナンセンスだ。『それ』を叶えるためには色々なものを犠牲にして想像もできないような苦労をするかもしれないが、本人がそれでいいなら構わない。なぜなら、本人がしたくてやっているわけだから。それを他人があれこれいって、人の人生を左右する権利などどこにもないのだ。
それをそのまま伝えると、青森はなぜか鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、ぽかんと口を開けていた。
「なんだよ」
青森の表情に気が付いてそういうと、なんでもないです、と青森は笑った。
季節は徐々に移り変わり、夏休みが過ぎてカンカン日照りが少し柔らかくなりつつあった長月のある日。
青森は、とある雑誌を俺の前に突き出した。
「『中高年就職センター応援キャラクター募集』……」
「そうじゃなくて、その隣の」
「『全国高校生オリジナルソングコンテスト』……?」
細い爪がなぞった文字を口に出してそのまま読むと、青森は力強く頷いた。
「全国の色んな高校生が出展するんです。自分で曲を作って、CDに吹き込むんです。それで歌詞を作って送るんです」
拳を握りらんらんと目を輝かせる青森は、未だかつて見たことがないような熱意に満ちていた。
「いいんじゃねぇの。やってみれば」
ポテトチップスを頬張りながら俺が言うと、青森は鼻息荒く頷いた。
「やってみようと思って……やれば、なにか、変わるかなぁって思って」
青森の変化というものは志だけではなく、それは人間関係でも現れていた。それはなにか特別なことでは決してなくて、学食で友達と飯を食ったり、廊下で話をしてみたりとそういうこと。それは晴れの日に雨が降るような些細な変化でしかなかったが、赤い薔薇の中で一本の青い薔薇が咲くかのような大きな変化でもあった。
人の体は60兆個という膨大な数の細胞で成り立っていて、それらは毎日生まれ変わる。日々15兆個の細胞が死んで、人の体を支える骨でさえも2か月ですべてが新しくなるという。
人の体が一秒ごとに変化を遂げて、数か月たつと別人だ。髪だとか皮膚だとか、爪の皮一枚だって同じものなどたった一つもありはしない。
「藤堂君は」
「は?」
「藤堂君は、将来何になりたいの?」
正面からまっすぐ向けられた質問に、俺はもぐもぐと動かしていた口を止める。それから少し考えて、
「……特に、考えたことねーな」
漠然としすぎた俺の答えに、青森は「そっか」と少し笑った。
その笑みに、俺はなぜか落ち着かないようなそわそわとした気分になって、残り少しになってしまったポテトチップスをそのまま口に流し込んだ。わしわしわしと咀嚼しながらそのそわそわの原因をかみ砕いて、水と一緒に飲み込んだ。
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