雲と星のおいしい食べ方

ユウリ・有李

第1話 雲と飴

 ぼくは雲と星を食べて生きている。


 雲の中でも最近気に入っているのが、飛行機雲。

 できたてを食べてしまうと目立つから、食べごろなのは時間が経ってぼやけ始めたものがいい。

 その端っこのほうからちょっとずつ頂戴するのがポイントだ。

 飛行機雲はぼくの大好物だ。 


 次に好きなのが星。

 星といっても星座になっているような有名どころの星はいただけない。


 たとえば北斗七星。柄杓の柄の先っぽ部分にある星アルカイドを食べると、北斗七星は六星になってしまって、柄杓の柄は短くなるし、おおぐま座(北斗七星はおおぐま座のお尻~しっぽのあたりにある)の長いしっぽもちょんぎれてしまう。


 こぐま座のしっぽの先である北極星を食べてしまおうものなら夜空の大事な目印がなくなってしまうし、夏の大三角のひとつ、おりひめでもあるベガを食べてしまったりしたら、アルタイルのひこ星は嘆き悲しみ、デネブだって仲間が消えて寂しいに違いない。


 なにより、そんなことが立て続けに起こったら地上の人たちがパニックになってしまう。


 だからぼくは、夜空に流れる星を選ぶことにしている。

 すっと尾を引いて流れてすぐに消えてしまうだろう星を、人差し指でちょちょいと口まで誘導する。

 そのあいだに、摩擦やらなにやらのおかげですっかり食べるのにちょうどいい大きさになったそれをごくりと飲み込む。


 そうすると、からだの中にふわりと甘みが広がるんだ。

 昼は雲を、夜は星を。


 空を見上げればそこには大好物がたくさんある。

 それはとても幸せなことだ。

 この思いを真に共有してもらうのは、なかなかに難しいことだけれど。

 


 ※※※



「――ま、おい牧島まきしま、牧島ゆい」

「っふぁいぁっくしょいっ!」  

 六限目の授業中、あの飛行機雲早く食べごろにならないかなぁなんて考えながらぼんやり空を見ていたらどこかからわたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。

 慌てて返事をしようとした拍子にくしゃみが出て、それと一緒に舐めていた飴ちゃんが口から飛び出した。


「まぁきぃしぃまぁ~」


 気がつけば、古典教師であり担任でもあるダル(小樽こだる辰彦たつひこ、三十三歳独身)が、わたしのすぐ目の前に立って青筋を立てている。


「あ、す、すみません」


 わたしはスカートのポケットからしわくちゃになったポケットティッシュを引っ張り出して、飛び出した飴ちゃんがヒットしたダルのぽってりしたお腹の上を申し訳程度に拭くと、充分な弾力を得て軽やかにバウンドしたのち床に転がった飴ちゃんを拾って包んでポケットに押し込んだ。


 もったいないけど、あとで捨てとこう。  


「授業中に菓子を食うな」

「はあ、すみません」

「昼休憩が終わったばかりだろうが」

「はあ、そうなんですけど……」

「ほら、いつまでもぐだぐだ言ってんな。ここからだ、さっさと読め」


 とんとん、と自分の持っていた教科書の背で、わたしの教科書の当該箇所を示す。

 その時、ダルの目が教科書の下からはみ出した机の落書きに向けられたような気がして、わたしはこそっとノートの位置をずらすと『死ね』の『ね』を隠した。

 それから素知らぬふりで、ダルが指したところに書かれた文章へ目をやる。


 むぅ。わからない。

 古典は苦手だ。


 そもそも、活字だというのに、落書きのようにのたくって(?)いるのは何故なんだろう。


「すみません、なにが書いてあるのか理解できません」

「理解できなくてもいいから、とりあえず読め。そこに書いてあるのは日本語だ」

「……信じられません」

「だが事実だ」


 一年の時もわたしの担任だっただけのことはあって、ダルはなかなか折れない。

 これ以上抵抗してもお腹が減るばかりかもしれない。

 観念して教科書を手に取る。


 ぎゅるる、とお腹が鳴った。




 六限に続いてSHR(ショートホームルーム)をさっさと済ませたダルが、日直の号令で挨拶を終えたあとぐるりと教室を見渡す。


 呼び止められたりしたら面倒だ。

 ダルの視線がわたしへと到達する前に「先生」と生徒その一がダルへ声をかけた。


 よくやった。


 わたしは生徒その一へ賞賛を送りつつ、その隙に席を立って逃げ出す。

 けれど廊下へ出た途端、ゆい、と男子に呼び止められた。


 それが誰かなんて、見なくてもわかる。わたしを待ち伏せしていたのは、幼なじみで隣のクラスのショーゴだ。

 でもわたしは知らんぷりで通り過ぎる。


「ゆい、今日は一緒に帰ろうと思って……」


 背ばかりひょろりと伸びたけど中身は昔とちっとも変わってないショーゴの気弱そうな声が追いかけてくる。


「これから部活だから。じゃあね」


 でも、わたしがなにかを主張すればショーゴは強く言えないってわかってるんだ。


「あ……」


 一瞬、肩先に軽くショーゴの指先が触れたような気がした。

 数歩進んでからちらりと振り返ると、ショーゴは伸ばした手を引き寄せて、しゅんと肩を落としている。


 長めの前髪のせいで俯いたその顔はよく見えなかったけど、捨てられた大型犬の仔犬のようだと思った。

 首からぶら下がっている制服のネクタイまで、なんだかまるで元気のない仔犬のしっぽみたいに見えてしまう。


 まさかこのくらいで泣いてなんかいないと思うけど……。

 ショーゴには、声をかけないで、って言ってある。

 関わらないで、近寄らないで、って何度も繰り返した。 


 それを無視しているのはショーゴのほうだ。

 悪いのはショーゴだ。 


 なのに気分がもやもやして、わたしはショーゴから逃げるように足を速めた。

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