第9話狂王との対面

 相手は狂王。まともに会話ができない可能性も考えられる。

 けれど、不老不死になるための提案ならば、耳を傾けるはず。


 伝説でしかない不老不死。

 それを施す術をもっともらしく聞こえる嘘を、水月と一緒に考えてきた。

 本当は誰にも出来ない不可能なことだと悟られないために。


 いずみは視線を落とし、深く息を吸い込む。


(ここで気後れしていちゃ駄目だわ。水月を生かすためにも、みなもと再会するためにも、戦わないと――)


 不意に脳裏へ、立ち止まって短剣を抜き、囮になると言ったみなもの姿が浮かぶ。

 生きるか死ぬかの状況で、小さな妹が見せてくれた勇気。


 あの時に比べれば殺される可能性が少ない状況なのに、怯えて萎縮してしまうのは情けない気がした。


 ゆっくりと息を吐き出して覚悟を決めていると、水月の指が再び動いた。


『もし上手く言えなくても、オレが助け舟を出してやるから心配するな』


 頼もしい言葉が自分を支えてくれる。

 一緒に捕まったのが水月でなければ、不安と心細さで動くことすらできなかったかもしれない。


 心から水月に感謝しながら、いずみは彼の手を指で二回叩いた。


 壁に点々と燭台があるだけの廊下を歩き続け、一行は突き当りにある扉まで辿りつく。

 廊下の途中でいくつか見かけた扉よりも横幅は広く、重厚感もあり、左右に開くことができる立派な木製の扉だった。


 キリルが扉を叩くと、中から背の高い男が出てくる。

 面長で、北方の人間には珍しく彫りの浅い顔。まとっている臙脂色の軍服に不釣り合いな、穏やかでのんびりした空気を漂わせていた。


 彼は微笑を浮かべていたが、キリルと目が合った瞬間、満面の笑みへと変わった。


「無事にお戻りになられて何よりです、キリル様」


 へりくだりながらも親しげな口調だ。しかし彼とは対照的に、キリルの表情は一切変わらない。


「グイン、俺が戻るまでの間に何か変わったことはなかったか?」


「二日ほど前に陛下のお命を狙うネズミが紛れ込みましたが、すぐに始末しました。陛下に何のお変わりもありません」


 にこやかな顔のまま、どこか嬉しそうにグインが報告する。

 ネズミを始末――間者を殺したと笑顔で答える彼を見て、いずみの背に悪寒が走った。


 不意にグインがいずみと水月に視線を移し、柔和に微笑みかけてくる。

 体格を見て判断しているのだろう。顔を見なくとも、グインは二人が仲間ではないと気づいていた。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。今日の陛下は機嫌が良いですから、理不尽に斬り捨てることはしないはずです。……陛下のご期待を裏切らなければ、ですがね」


 クスクスと小さく笑うグインへ、キリルが低く小さな声で「無駄口を叩くな」と注意を促す。

 グインは一瞬大げさに目を丸くして小さく肩をすくめると、後ろへ下がり扉を開けた。

 

「お引き止めてしまって申し訳ありません。陛下から許可は頂いております、どうぞ中へ」


 言われるままに、一行は部屋の中へと足をつける。

 廊下と同じ深紅の絨毯がしかれた部屋は、鎧や槍、大剣や大盾などの武具が飾られ、王の威厳や勇ましさを誇示していた。


 そんな部屋の最奥で、一段高くなった所に置かれた大きな椅子に深々と座り、寄りかかる男の姿があった。

 真っ先に肩幅の広い大きな体躯と、橙色に近い金髪が目に入る。


 一行に気づくと、彼は気だるそうに腕を肘かけに置いて頬杖をついた。

 遠目からでも男から威圧感が漂ってくる。説明されなくとも、彼がバルディグの王なのだと分かった。


 ゆっくりと近づく度に、辺りの空気が重くなっていく。

 次第にジェラルドの顔がはっきりと分かってくると、思わずいずみは息を呑んだ。


(あの方がジェラルド陛下……)


 彫りが深く、はっきりとした目鼻立ち。一見すると精気に溢れて勇ましそうな顔だが、虚ろな琥珀色の瞳と、肩まで伸ばした波打つ髪のせいで、深い森にある沼地のような陰湿さを感じてしまう。

 よく見ると頬がこけており、顔全体が青白い――心なしか、彼の体から魂が半分抜けているような印象を受けた。


 キリルが王の足元まで近づくと、恭しく膝をついて頭を垂れる。後方でも男たちが跪く音が聞こえてくる。

 いずみと水月は繋ぎ合っていた手を離し、彼らを真似て同じように跪いた。


「……顔を上げよ」


 力がまったく入っていない、低くかすれた声でジェラルドが命じる。

 疎らに一行が顔を上げると、キリルはジェラルドを見上げ、口を開いた。


「お待たせして申し訳ありません陛下。時間はかかってしまいましたが、ようやく久遠の花を連れ帰ることができました」


「よくやってくれた、キリル……どの者が久遠の花なのだ?」


 ジェラルドに尋ねられると、キリルは横にずれ、手の先を揃えていずみを指した。


「彼女が久遠の花です。隣は……彼女を連れてくるための人質です」


「ほう……二人とも、余に顔を見せてみろ」


 弱々しいのに、逆らうことを許さない畏怖を帯びた声。

 恐怖で小刻みに震える手をどうにか動かし、いずみは頭からフードを外した。


 あらわになった二人の顔を、ジェラルドは瞳だけを動かして交互に見る。


「まだ子供、か。娘よ、名はなんと言う?」


「は、はい……いずみと申します」


 乾いた喉から出てくる声は、蝋燭の火のように揺れている。

 少しでも間違ったことは言えない。そう思えば思うほど、いずみの口の中に苦味が広がっていく。

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