第8話王の居城

 コンコン、と外から荷台を叩く音が聞こえてくる。

 キリルは踵を返して出入口から外へ顔を出した後、二人へ振り返った。


「ここから先は歩いていく。二人とも、俺の後ろへついて来い」


「は、はい、分かりました」


 荷台から出ようとするキリルに遅れまいと、いずみは一歩前へ踏み出そうとする。

 刹那、急に膝から力が抜け、前のめりに体勢が崩れた。


「おっと、危ねぇな」


 素早く水月に腕を掴まれ、いずみは転倒を免れる。

 ふう、と一息ついてから、水月はいずみの肩を叩いた。


「歩けないんだったら、オレが背負って行こうか?」


 一緒に遊んでいた時と変わらない、からかいの色。それが今は酷く安心できる。

 いずみはフードから顔を覗かせ、水月に笑いかけた。


「ありがとう、水月。でも大丈夫、一人で歩けるわ」


 怯えているのは水月も同じこと。

 支えようとしてくれる彼を、自分も支えていかなければ。

 深呼吸して気持ちを落ち着けると、いずみは確かな足取りで荷台から降りた。


 外へ出ると、冴えた空気と赤くなり始めた空、そして林の向こう側に佇む消炭色の大きな建物が目に入ってくる。

 どれだけ攻められても屈しないだろう、無骨で強固な城。遠目で見ているだけで、その威圧感に息苦しさを感じてしまう。


 既にキリルたちは、いずみと同じ外套を着込んで二列に並び、出発の準備を終えていた。

 先頭に立ったキリルが振り返り、無言で「こっちへ来い」と目配せする。

 いずみと水月が小走りにキリルの後ろへ並ぶと、それを合図に前へ進み出した。


 城の裏側へ回り込むように移動しながら、少しずつ一行は城に近づいていく。

 そびえ立つ城壁の前に到着すると、キリルが歩みを止めた。


「ここで待て」


 短い指示を聞き、残りの者たちが一斉に立ち止まる。

 そして振り返りもせずキリルは再び歩き出し、城壁を築くレンガに手を添えた。


 胸元の高さにあったレンガの一つをグッと押す。

 すると、キリルから木一本分ほど離れた所に、縦に伸びた長方形の穴が城壁に現れる。

 大人一人がギリギリ通れるほどの幅――城内へ続く隠し通路の入り口だった。


 光が一切見えない、暗闇に満ちた入り口。

 あそこへ入ったら、もう二度と外へ出られない気がした。


 キリルが手をサッと挙げると、背後にいた男が「行け」といずみの背中を軽く押す。

 行きたくないと強く願う心とは裏腹に、いずみの足は一歩、また一歩と、入り口との距離を縮めていく。

 横目で全員動き出したのを確かめてから、キリルは闇へ溶け込むように入り口をくぐった。


 いずみは入り口の前で足を止め、息を呑みながら中を見つめる。

 さほど離れていないはずなのに、キリルの姿はなく、目に入ってくるのは闇ばかり。

 ただでさえ怯えと緊張で目眩がしそうなのに、不安がますます膨れ上がっていく。


 躊躇していると……ポウッとキリルの手に青白い光が現れ、中を淡く照らす。

 キリルがいずみに向けて、光を差し出した。


「娘、これを持っていろ」


 光へ吸い寄せられるように、いずみはフラリと入り口をくぐり、キリルの元へ行く。

 両手を広げて光を受け取ると、硬くすべすべした感触と、ほのかな温もりが同時に伝わってきた。


 遠目では分からなかったが、光はどんぐりほどの小さな丸い石――ルウア石から放れていた。


「陛下の御前に出るまで、体をぶつけて外套を汚さないよう、細心の注意を払って歩け」


 キリルの抑揚のない声に小さく頷いてから、いずみは石を見つめる。


 美しくて、儚く頼りない光。

 妹と再会するという自分の中の希望に似ている気がした。


 水月や他の男たちも中へ入ったところで、背後から鈍い音とともに外からの明かりが消える。

 ルウア石の光はいずみや水月の足元を照らすが、キリルの所までは届いていない。

 彼の目には闇しか映っていないはず。しかしキリルは外を歩く時と同じ足取りで前へ進み始めた。


 緩やかな坂状の通路を、一行は無言で歩き続ける。塔の中なのか、らせん状にグルグルと回りながら上へと登っていく。


 少しいずみの息が切れ始めた頃、坂が終わり、平坦な通路へと変わる。

 真っ直ぐな一本道をしばらく進んだ後、キリルは足を止めた。


 いずみが彼に近づくと、ルウア石の明かりが目前にある扉を照らした。


 キリルは扉に手を添えて、ゆっくりと押し開ける。

 扉の動きに合わせて、淡く黄ばんだ明かりが差し込んできた。


 現れたのは、城壁と同じ消炭色をした円形の小部屋。窓はなく、等間隔で並ぶ燭台の火に照らされた薄暗い所だった。


 キリルが中へ入ると、それを待っていたかのように向こう側にある飴色の扉が開いた。


「お帰りなさいませ、キリル様」


 後ろの男たちと同じ格好――キリルの部下なのだろう。彼は扉を開けるなり、その場へ跪いた。


「陛下がキリル様をお待ちです。お疲れだと思いますが、どうか――」


「分かっている。すぐに陛下の元へ向かう」


 短くキリルは頷き、振り返って背後の部下たちに視線を送る。


「三人ほど俺と一緒に来い。残りはここで待機だ」


 そう指示を出すとキリルはいずみと水月にを一瞥した。


「これから恐れ多くも、陛下が直々にお前たちへ声をかけられる。失礼のないよう応対しろ」


 まばらに二人が頷いたところを見てから、キリルは「行くぞ」と背を向けて歩き出す。

 いずみがついて行こうとした時、隣に水月が並び、優しく包み込むように手を握ってきた。


「お前ならいつも大人たちと話すような感じで喋れば問題ねぇよ。だから、あんまり緊張するな」


「……ありがとう、水月」


 じんわりと伝わってくる温もりが、心を少しずつ落ち着けてくれる。

 きっと同じように水月も不安に思っているはず。

 それが少しでも和らぐようにと願いながら、いずみはそっと手を握り返した。


 キリルを先頭にいずみたちが小部屋を出ると、深紅の絨毯が敷かれた左右に伸びる廊下が現れる。

 最後尾の男が廊下に出て扉を閉める――内側は普通の木製の扉だったが、外側は長方形の額縁に飾られた絵画になっているのが分かった。


「これも隠し扉か……すげぇな」


 ぽつりと水月が呟くと、無駄口を叩くなと言わんばかりにキリルが睨みつける。

 水月は少し肩をすくめて口を閉ざすと、歩幅をいずみに合わせ、並んだまま歩いた。


 握り合っているいずみの手の平に、水月の指が動いた。


『オレたちで決めたことを、言う準備はできているか?』


 いずみは水月の手を、軽く親指で二回叩く。


 幾度となく手の平で筆談を重ね、これからのことを念入りに話し合っていた時に決めた合図の一つ。

 文字を書かなくても、二回叩けば『はい』、三回叩けば『いいえ』だと伝えることができた。

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