第68話この手で決着を

 一瞬、意識が真っ白に弾けて、ナウムの言葉が入ってこなかった。

 けれど、一旦通り過ぎた言葉がジワジワと染み出し、頭の中で呪文のように繰り返し響く。


 コイツのせいで、みんなが犠牲になった……?


 全身の血が目まぐるしく流れ、みなもの胸を高ぶらせていく。

 感情が口から走り出しそうになり、唇を噛んでどうにか己を抑える。


 息を吐いて高ぶりを抜いていくと、みなもは冷めた目をナウムに向けた。


「信じられないな。あの時、一人前にもなっていなかったお前に、そんな真似ができるとは思えない」


「ああ、そうだな。じゃあ厳密に言おう……一族を売ったのはオレの親父や、商隊の連中だ。そしてオレは親父を手伝っていたんだ」


 確かにそれならば話は分かる。一気にみなもの中で現実味が増した。

 それでも素直に聞き入れられない。こちらの怒りを煽るような嘘をつき、殺すように仕向けている可能性も十分に考えられる。


 嘘か真か判断つかず、みなもが困惑していると――。


「腹立たしいが、言っていることは本当だぞ」


 いつの間にか部屋に入ってきた浪司が、腕を組み、険しい目でナウムを見下ろした。


「コイツの役目は情報集め。大人たちにあれこれ聴き込んで、オヤジに垂れ流していたんだ。とにかく口がうまくてな、相手を油断させて話を聞き出すのが上手だった……なあ、水月?」


 話しかけられて、ナウムは軽く肩をすくめる。


「そりゃあオレも命がけだったからな。しくじればオレたちが殺されるって、ガキながら必死だった。李湟……アンタの存在を知った時は、お先真っ暗だと思ったもんだぜ。その気になれば国一つを毒で満たせる化け物を、普通の人間が出し抜けるとは思えなかったからなあ」


「言ってくれるな。子供ってことを最大限に利用して、ワシを洞窟におびき寄せて閉じ込めた張本人のクセに」


 淡々とした口調だが、浪司の背後から殺気が漂っている。

 今すぐにでも殺したがっている――そんな空気を感じてしまい、みなもは表情を曇らせた。


 浪司が認めるなら、ナウムの話は真実なのだろう。

 そう受け入れた瞬間、あの日の憤りが、悔しさが甦る。


 仲間や両親が次々と殺された光景は、今も鮮やかに脳裏へ焼き付いている。


 この男が許せない。

 徐々に黒い靄が胸に広がり、純粋な殺意が芽生えてくる。

 抑え切れない怒りで、思わずみなもの肩が震えた。


 そっとレオニードの手が肩に置かれた。


「君の手を汚す必要はない。……俺が代わりに仇を討とう」


 剣を鞘から抜くと、レオニードが一歩前に踏み出そうとする。

 しかし、みなもは腕を伸ばして彼を制した。

 

「気持ちは嬉しいけれど、俺に決着をつけさせて欲しい」


 これだけは譲ることができない。

 自分の手で決着をつけなければ、死ぬまで後悔し続ける気がする。


 眼差しを強め、無言でレオニードに訴える。

 反論したそうだったが、渋々と頷き、こちらの気持ちを汲み取ってくれた。


 浪司に視線を移すと、みなもが言うより先に「お前さんの好きなようにしろ」と了承してくれた。


 コツ、コツ、と足音を立てながら、みなもはナウムに近づく。

 そして見上げてくる顔に視線を定める。

 

 見れば見るほど、憎しみが膨らんでいく。


 この男がいなければ、両親も、一族のみんなも死ぬことはなかった。

 大好きな姉と生き別れることもなかった。

 心細い思いをしながら、一人で生きていくこともなかった。


 恨みつらみは、胸の内に募るばかり。

 ただ、こんな状態にならなければ、自分は藥師として生きることもなく、レオニードと会うこともなかったけれど。


 ナウムを殺したところで、もう過ぎてしまった時間は戻せない。

 それが分かっていても、胸奥から湧いてくる殺意は止まらない。


 みなもは無言でナウムを睨み続け、漏れ出る怒りをぶつける。

 いっそ視線で人が殺せれば、どれだけ楽だろう――ふと、そんなことを思った。


 ……覚悟は決まった。


 みなもは腰にぶら下げていた革の小物入れを探り、黒の小瓶を取り出す。

 それを見た途端、ナウムは眉根を寄せて苦笑した。


「毒をさらに追加する気か。耐毒の薬のせいで簡単に毒で死なねぇが、長く苦しませながら殺すことはできるからなあ」


 今から訪れるであろう苦しみを、分かった上で笑っている。

 むしろ死だけでなく、救いのない苦しみすら望んでいるように見えた。


 思わずみなもの小瓶を掴む手に力が入る。

 彼の顔面に叩きつけてしまいたい衝動に駆られたが、グッとこらえて、ナウムに投げ渡した。


「ナウム、それを今すぐ飲み干せ」


「ああ、良いぜ。最後くらい、お前の言うことを素直に聞いてやるよ」


 そう言いながら、ナウムは小瓶の蓋を開け、口をつけて中身をあおる。

 ゴクリ、と一回ですべてを飲み込んだ音がした。


 次の瞬間――ナウムは不思議そうに己の体を見渡した。


「……まったく効いてねぇぞ。まさか古すぎて効かなくなった毒でもくれたのか?」


「いいや、かなり即効性のあるものだ。もう効いている」


 みなもの言葉にナウムは首を傾げる。

 が、急に目を見開き、真顔でこちらを凝視してきた。


「まさか、今オレが飲んだのは――」


「そう。毒なんかじゃない。……解毒剤だ」


 レオニードと浪司から、驚きで息を引く気配を感じる。

 ナウムも信じられないと言わんばかりに、瞬きを増やした。


「お、おい、みなも、本当にそれで良いのか?」


 戸惑い気味に浪司から問われ、みなもは小さく頷いた。


「良いんだ……俺の気持ちとしては、何度殺しても殺し足りないくらいだけどね」


「だったら、どうしてオレを殺さない?」


 抑揚のない声でナウムが訪ねてくる。

 いっそ罵声でも浴びたほうが気が楽だ、という声が聞こえる気がした。


「お前は一族を死に追いやった上に、その汚れた手で俺を弄んだ。でも――」


 チラリと、みなもは静かに眠るいずみを見やった。


「――お前がいなければ、姉さんは生きていなかった」


 離れ離れになった後、側でいずみを支え続けてくれたのはこの男。

 それが下心であったとしても、本来は守り葉である自分が守るべき花を守り続けていたことは事実だ。


 いずみの眼差しを見れば、ナウムが本当に特別な存在だというのは察しがつく。

 多くを語らなくとも、それだけで二人の絆が十分に伝わってきた。


 ナウムを殺せば、今までいずみを支えていたものを奪うことになる。

 記憶を奪い、一族としても、身内としても完全に縁を断ったのだ。

 これ以上いずみから大切なものを奪いたくはなかった。


「少しでも罪悪感があるなら、姉さんを最後まで守れ。記憶がなくなっても、姉さんはお前の支えを必要とするはずだから」


 みなもが言い終わった途端、ナウムは上を仰ぎ、手で目を覆った。


「ったく、もう報われない想いを抱えたまま、生きたくなかったのになあ。しかもオレのことを忘れた女を守れだなんて……残酷なヤツだ」


 声の調子は軽いが、どこか神妙さを漂わせた響きがする。

 これがナウムの本音なのだろう。それが分かったところで、同情する気には一切ならないけれど。

 

 みなもはレオニードと浪司に目配せすると、ナウムの横を通り過ぎる。


 部屋を出る間際、足をピタリと止め、振り向かずに口を開いた。


「本当はお前になんか任せたくないけれど……姉さんを頼む」


 憎くて憎くて仕方ない男。

 でも、いずみを守るために犠牲を払い続けた仲間。


 ようやく離れられると安堵する中、わずかに後ろめたさが滲む。

 

 報われないものをナウムに押し付けて、自分は己の望みのままに生きようとしている。

 仲間の犠牲で手にしたものを喜ぶ自分が、ナウム以上にあさましく感じてしまう。


 次第にみなもの頭がうなだれていく。

 と、おもむろに隣へ並んだレオニードが、優しく手を握ってくれた。


(……レオニード)


 フッ、と胸の中が軽くなり、肩の力が抜ける。


 彼と一緒に生きたい――それをあさましいとは思いたくない。

 共に背負ってくれたレオニードを貶めないよう、自分の選んだ道に胸を張っていこう。


 みなもは顔を上げると、前を見据え、握り合う手に力を込めた。

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