第67話真実

 せめてレオニードがどんな人なのか伝えようと、みなもは口を開きかける。と、


「みなも、無事か?!」


 懸命に走ってくる足音とともに、廊下から声が飛んでくる。

 みなもが頭を上げて視線を動かすと、切羽詰まった顔で息を切らせたレオニードが部屋に駆け込んできた。


 ナウムの生死は分からないが、レオニードが勝ったからここへ来たのだろう。

 彼が生きていてくれて良かった――みなもの顔が思わず緩む。


 ふと視線をいずみに戻すと、彼女は二人を見交した後、レオニードに向かってニコリと笑った。


「……どうかこの子のこと、よろしくお願いしますね」


 言い終わった直後、急にいずみの体から力が抜け、こちらへ倒れ込んでくる。

 みなもは咄嗟に受け止めると、彼女の背中を揺すった。


「姉さん……いずみ姉さん!」


 声をかけてもまったく反応しない。

 眠りについたのだと分かっていても、目から涙が溢れた。


 次に目を覚ます時は、もう一族のことも、自分たちが姉妹だったことも忘れている。

 これから先、もし再会することがあったとしても、家族として向き合うことはない。


 いずみはこれからも生き続けていく。

 けれど、姉としてのいずみは死んだも同然だった。


 みなもの足元から感覚がなくなり、その場へ浮いているような気分になる。

 膝が折れそうになった時、大きく頼もしい腕が背中を支えてくれた。


 子供のように、泣いて立ち止まってなんかいられない。

 みなもは袖で涙を拭うと、鈍い動きで首を動かし、間近になったレオニードを見上げた。


「……姉さんを寝かせてあげたいんだ。運んでもらってもいいかな?」


「ああ、もちろんだ」


 重々しく頷き、レオニードはいずみを抱き上げる。

 長い髪がさらりと流れ、みなもの手を撫でながら離れていく。


 さっきまであった温もりが消え、未練が残る。

 ここにいるだけ動けなくなりそうで、みなもは機敏に辺りを見渡し、いずみを寝かせる場所を探す。


 部屋の奥に大きなソファーを見つけると、レオニードに目配せする。

 すぐに意図は伝わり、彼は大きく揺れないようにしながらソファーへ向かうと、慎重に彼女を降ろした。


 横たわったいずみの顔を、みなもはジッと見下ろす。

 心残りはなくなったのか、その寝顔は穏やかな微笑みを浮かべていた。


 自分が知っている、一番いずみらしい表情だった。


(これからもずっと、姉さんのことが好きだよ。俺は姉さんのことも、この気持ちも絶対に忘れない)


 心の中でそう呟いていると、レオニードがみなもの肩を優しく抱いた。


「みなも……ヴェリシアへ戻ったら、お姉さんの話を聞かせてくれ。君たちが姉妹だということを、俺も覚えていたい」


 こんなことも一緒に背負ってくれるんだ。

 レオニードらしいと思いながら、みなもは彼に少しだけ寄りかかった。


 いずみの顔をしっかり脳裏に焼き付けた後、みなもは「行こうか」とレオニードを促す。

 彼が無言で頷き、こちらの肩から手を離す。それを合図に踵を返し、机の上に置いた本を取りに行き、みなもは片腕で抱え込む。


 その直後――黒い影がみなもに覆いかぶさった。


「危ないっ!」


 急にレオニードがみなもを引き寄せると、間髪入れずに横へ飛び退く。

 

 目まぐるしく周囲の風景が変わり、視界が揺らいでいたみなもの耳に、ドンッ、と何かを殴りつける鈍い音がした。


(何が起きたんだ?!)


 みなもは慌てて自分の周りを見回す。

 視線の先には、床で唸りながらうずくまる男――ナウムの姿があった。


「……あの短剣で傷を負って、なぜ生きているんだ?」


 低く押さえつけた声で呟いたレオニードの声を拾い、みなもは状況を察する。


 おそらく自分が渡した猛毒の短剣を使ったのだろう。

 普通の人間ならば、かすり傷ひとつ負えば死んでしまう毒。それなのに生きている。


 しぶとい、という言葉では片付けられない。

 みなもが目を見張っていると、ナウムは咳き込みながら上体を起こした。


「オレのためにいずみが特別に作ってくれた、耐毒の薬を飲んでいるからな。おかげで意識はぶっ飛んだが即死は免れた」


 いつものようにナウムが不敵な笑みを浮かべようとする。

 が、青白い顔で力なく笑うことしかできず、見るからに生気が弱まっていた。


「ククッ……情けねぇなあ。オレが唯一守りたかったものすら、守れねぇなんて」


 ナウムはふらつく体を支えようと、腕を突っ張る。

 そして目を細め、どこか悲しげにいずみを見つめた。


「これで目が覚めれば、オレのことも覚えていないのか。……ここが頃合いなのかもな」


 長息を吐き出した後、ナウムがみなもに視線を移した。


「みなも、オレのことが憎いか?」


「当たり前だろ。分かり切ったことを聞くな」


 怒鳴りたくなる気持ちを抑え、みなもはナウムを睨みつける。

 あからさまに嫌悪感をぶつけたが、不思議と彼は嫌な顔をせず、どこか安らいだ表情を見せた。


「そんなに憎いなら、オレの命をくれてやる。もう生きることにも疲れた……お前の好きなようにオレの心臓を止めてくれよ」


 言われてみなもは呼吸を止め、ナウムの目を凝視する。


 憎い。殺したいほど憎い。

 ただ、殺されることを望まれてしまうと、殺すことで彼を喜ばせるような気がして、躊躇してしまう。


 こちらの動揺を見透かしたように、ナウムは声を押し殺して笑った。


「さっきといい、今といい、案外と甘いところがあるなあ。だが……これを聞けば、オレを殺す覚悟も決まるだろう」


 一体何を言うつもりなんだ?

 予想もつかないのに、嫌な胸騒ぎがする。

 思わずみなもは己の胸元を掴み、固唾を呑む。


 焦らしているのか、長く間を空けてからナウムは口を開いた。


「お前たち一族をバルディグに売ったのは……オレだ」


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