第35話ナウムの正体
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
案内されたのは、乳白色の大理石の床が美しい、主の清楚さを表したような部屋だった。
花とツタの模様が刻まれた壁紙と、職人が形にこだわったであろう無地の調度品は、どちらも調和が取れていて、部屋に彩りを加えていた。
「そこに座ってちょうだい、二人とも」
いずみから大きな臙脂のソファーへ座るように促され、みなもはゆっくりと腰かける。
何の迷いもなくナウムが隣へ座ってきたので、露骨に嫌そうな顔が出かかる。
だがテーブルを挟んで向かい側のソファーに座ったいずみの顔を見ると、嬉しさが上回ってナウムへの不快感を忘れることができた。
「みなもと別れてから、ずっと心配してたのよ。本当に会えて嬉しいわ」
いずみの昔と変わらない口調と声に、みなもの緊張も和らぎ、声を出すことができた。
「うん、俺もだよ。別れてからずっと姉さんを探していたけど、まったく分からなかったからさ」
「生きていくために男のフリをして、ずっと一人で頑張っていたのね……辛かったでしょ?」
「そんなことはないよ。辛い時もあったけれど、藥師の仕事は楽しかったし、住処にしていた村の人たちは優しかったよ。熊みたいなオジサンも気にかけてくれたし、それに――」
レオニードの名が喉まで出かかって、止まってしまう。
口にしたら心が折れてしまう気がして、どうにか呑み込んだ。
「――姉さんのほうが大変だったんじゃないの? 髪と瞳の色も変わって、名前も違うし……何があったの?」
いずみは小さく息をつくと、遠い目をして虚空を見つめた。
「貴女と別れた後、私は里に戻ったわ。その時に捕らえられて、バルディグに連れて行かれたの……イヴァン様の前の王様が、不老不死を叶えるために久遠の花を求めていたのよ。ただの伝説なのに、それを真に受けて……」
そっと睫毛を伏せ、いずみが己の髪を撫でた。
「でも不老不死なんて無理だと言えば私たちは殺される……だから不老不死になるためには時間をかけて薬を飲まなければいけないと嘘をついたの。私の正体がバレないよう色素を薄くする薬を飲んで別人になりすまして、心身を悪くしていた陛下の治療をしていたわ。……イヴァン様が玉座につかれるまで」
言葉にすれば呆気ないが、両親や仲間の仇を治療していたことを少し想像しただけで胸が締め付けられ、みなもは顔をしかめる。
「姉さん……そんな辛い状態だったんだ」
「もう終わったことよ。それに私はイヴァン様やナウム、色んな人に支えられていたから、辛かったけれど寂しくなかったわ」
いずみは柔和に微笑み、ナウムと目を合わせる。
言葉を交わさなくとも、王の臣下と妃という関係とは思えないほど親しげな空気が読み取れた。
どうしてナウムなんかと仲良くしているんだ?
みなもが訝しげな視線を隣に送っていると、いずみが小さく首を傾げた。
「ナウム、もしかしてまだ貴方自身のこと、話していなかったの?」
「言っても信じてもらえなさそうでしたから、ちゃんと証人がいる前で言いたかったんですよ」
そう言って肩をすくめると、ナウムはみなもに顔を向けた。
「いずみと同じように、オレもここで姿と名前を変えたんだ。本当の名は、水月だ」
水月……はっきりとは覚えていないが、聞き覚えのある名だ。
一体いつ聞いたのだろうかとみなもが思案していると、ナウムは苦笑を漏らした。
「久遠の花から薬を貰って各地に売りさばいていた行商人が、里に出入りしてただろ? オレはその息子だ。……小さい頃、何度もお前と遊んでいたんだがなあ」
みなもは必死に小さい頃を思い出し、手がかりとなる記憶を探っていく。
物心ついた頃から、いずみの後ろをついて回っていた。
その時に、いずみと同じ年代の子供たちと遊んでいたのは覚えている。ただ、彼らがどんな顔をしていたのかはハッキリと分からなかった。
どうにか思い出そうと頭を働かせていると、いずみが「覚えていないの?」と不思議そうに呟いた。
「何度も一緒に遊んでいたのに……みなもってば、いつも彼に抱き上げてもらいたがって、駄々をこねていたのよ。おとなしくさせるのが大変だったわ」
みなもは目を見張り、まじまじとナウムを見つめる。
「……本当に?」
「ああ本当だ。ついでに言えば、オレはお前が赤ん坊の頃、何度も面倒を見ている――そうでしたよね、エレーナ様」
……姉さん、お願いだから否定してくれ。
そんなみなもの願いも虚しく、いずみに「ええ、懐かしいわ」と言い切られてしまった。
顔には出さなかったが、心の中は打ちひしがれる思いでいっぱいだった。
こんなことで嘘をつくような姉ではない。
諦めの息をついてから、みなもはいずみに向き直った。
「二人が生きているってことは、他にここへ連れて来られた仲間もいるの?」
急にいずみは表情を曇らせ、静かに目を伏せる。
そして小さく首を横に振った。
「……いいえ、生き残ったのは私たち二人だけ。殺されてしまった人もいるけど、自ら命を絶った人もいたわ。自分たちの力が悪用されないように」
「そう、なんだ。姉さんたちが生きているならって期待したけれど――」
愕然となりながらも、頭のどこかで冷静な考えが働く。
ナウムは里に出入りしていたが、外部の人間。
つまり、バルディグの毒を作っていたのは――。
「まさか……姉さんが、ここで毒を作っているの?」
尋ねながらみなもの背筋が、胸奥が麻痺していく。
人を癒すべき久遠の花が毒を作っていた。
同じ一族の血を使わなければ、解毒できない毒を。
いずみは何も答えず、祈るように目をつむる。
しばらくして、ぎこちなく唇が開いた。
「……ええ、そうよ。この国とイヴァン様を支えるためには、どうしても必要だったのよ」
喉から搾り出すような、いずみの苦しげな声。
しかし、その中に迷いは感じられなかった。
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