第30話姉の手がかり
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
みなもはレオニードとともに城を出ると、真っ直ぐに伸びた石畳の通りを進み、城下町の中心にある広場へと向かう。
広場の中央には勇猛に馬を駆らせるヴェリシアの英雄の銅像が佇み、民の日常を見守っている。そんな英雄の勇ましさと勢いにあやかるように、広場の周りには食料や日常雑貨を扱った店が集まり、いつも賑わいを見せていた。
みなもは並んで歩いていたレオニードの袖を小さく引っ張り、遠くに見える山を指さした。
「あの山へ日が沈みかける頃、この銅像の前で落ち合おう」
「分かった。滅多なことはないと思うが、くれぐれも用心してくれ」
心配げな表情を見せながらレオニードが小声でつぶやく。
彼が何を心配しているのかは察しがついている。ここが城下町だからといって安全という訳ではない。バルディグの密偵なり、内通者なりがいて、解毒剤を作った自分を始末するかもしれないと思っているのだろう。
あまり心配させたくないと、みなもはわざと勝気な笑みを浮かべた。
「安心してよ、いつでも毒を使う準備は出来ているから」
少し面食らったようにレオニードは目を丸くした後、大きく息をついた。
「そんな物騒な物を常に持つのはどうかと思うが……万が一の時は、躊躇せずに使ってくれ」
「もちろん。今までそうやって生きてきたからね」
みなもは片目を閉じてから「じゃあ行ってくるよ」と、レオニードへ手を振りながら離れていく。
衣料店の前まで行くと、みなもは足を止めてレオニードを伺う。
ずっとこちらへ視線を送っていたが、どの店に入るかを確認して安堵したらしく、彼も目的の店へと向かって行くのが見えた。
その背を視界に入れた時、みなもはグッと胸元を掴んだ。
(……ごめん、レオニード)
一瞬だけ顔をしかめた後、みなもは一切の表情を消す。そして衣料店を通り過ぎ、隣にある雑貨屋へと入った。
表は人の往来で賑やかなのに、物に溢れた店内は薄暗く、誰もいないのではないかと思ってしまうほど人の気配を感じられなかった。
みなもが辺りを見渡しながら奥へと進んでいくと――。
「いらっしゃい、黒髪の御仁」
横からしゃがれた声が聞こえて、みなもは咄嗟に振り向く。
そこには小柄で皺だらけの老人が、商売道具に埋もれるようにして椅子に腰かけていた。
「あちらの部屋へどうぞ。お待ちの方はもう来ておるよ」
老人が店の一番奥にある扉を指さす。
指されたほうを一睨みしてから、みなもは無言で会釈してから扉まで進み、錆だらけのノブを回した。
ギギィ、と耳障りな音を立てながら扉を開く。
そこは倉庫と思しき小部屋だったが、在庫の品は見当たらない。代わりに部屋の中央に木の椅子が二脚と、ランプを置いた机があった。
椅子には一人の男が腰かけ、ゆっくりとくつろいで本を読んでいた。みなもが入ってきたことに気づくと、男は本を閉じて顔を上げる。
暗紅色の瞳がランプの灯りに照らされ、妖しく光った。
「久しぶりだな、みなも。せっかくの再会だ、そんな怖い顔するなよ」
「それは無理な注文だな……ナウム」
もう二度と会いたくないと思っていた男。
詰め寄って胸ぐらを掴みたい思いでいっぱいだったが、どうにか己を抑え、みなもはナウムの向かい側に座る。
口を開いて出てきた自分の声は、今までに聞いたことがないほどの低さだった。
「余計な話はしたくない。本題に入らせてもらう」
ナウムが口端を上げ、嬉しげに目を細める。
「せっかくの逢瀬なんだ、そんなに焦るなよ……と言いたいところだが、まあ無理な話か。ほら言ってみろよ、今だったら何でも答えてやるぜ」
相変わらずこちらを見てくる目が色めき立っていて、みなもの背筋に悪寒が走る。
露骨に嫌な顔をしそうになるが、ナウムの機嫌を損ねて席を立たれる訳にもいかない。みなもは無表情のまま懐から手紙を出し、机の上に置いた。
「この手紙はお前が書いたのか?」
「ああ、そうだ。間違いなく、オレが心を込めて書いた恋文だ」
そんな名目で手紙を受け取ったことを思い出し、みなものこめかみが微痛でうずく。
書かれていた内容は、とても簡素な要件と待ち合わせ場所のみだった。
そして、みなもにとって一番心を揺さぶられる言葉があった。
みなもは目尻を上げ、ナウムを睨んだ。
「どうしてお前が……俺の姉さんの名前を知っているんだ!」
初めて手紙を目にした時、頭の中が真っ白になった。
『いずみのことを教えて欲しければ、オレへ会いに来い』
仲間の、しかも最愛の姉の名をこんな手紙で見ることになるとは思いもしなかった。
姉の名を自分から他の人間に言ったことはないし、ザガットの宿屋でレオニードに寝言を聞かれてしまったが、彼の口の堅さは自分がよく分かっている。
つまり、前々から姉のことを知っていなければ書けない名前。
警戒と戸惑いを乗せたみなもの問いに、ナウムは喉でくぐもった笑いを零した。
「ククク……簡単な話だ。オレはいずみのことを昔から知っている。そして、今どこにいるのかも知っている。元気でやってるぜ」
ナウムの言葉を聞いて、みなもの顔に不覚にも微笑みが出てしまった。
大好きな姉が生きている。
離れ離れになってから、ずっと知りたかったことだった。
喜ぶ顔をナウムに見られまいと、みなもはその場にうつむき、こみ上げてくる喜びに破顔した。
「姉さんが生きていてくれたなんて……本当に良かった」
この話をナウム以外の人間から聞きたかったところだが、それでも嬉しさが止まらない。
どうにか自分の気持ちを落ち着かせようとしていると、ナウムから「なあ」と声をかけられた。
「オレがいずみに会わせてやろうか?」
思わずみなもの頭が上がり、虚を突かれて呆然となった顔を露にする。
「本当に、会わせてくれるのか?」
「いずみもお前のことを心配してたからな、できれば会わせてやりたいと思っていたんだ。ただ――」
上機嫌に一笑してから、ナウムの笑みが不敵なものに変わる。
「――オレはお人好しじゃないんだ。見返りがなければ、残念だがいずみに会わせる訳にはいかねぇな」
みなもは軽く顎を引き、顔つきを引き締める。
「条件はなんだ?」
「簡単なことだ、オレのものになれ」
この男のことだから、何となく察しはついていたが……。
みなもが呆れていると、ナウムは机に肘を置き、身を前に乗り出した。
「本音を言えば、オレはお前のすべてが欲しい。その体も、心も、毒の知識も、何もかもな」
こちらの体を舐め回すように見てくる視線に耐えられず、みなもはわずかに視線を逸らした。
「それだったら、この話はなしだ。自力で姉さんを探し出して、俺から会いに行く」
「まあまあ、最後まで話を聞けよ。オレはお前をものにしたいが、力づくで押し倒したところで、お前は毒で抗おうとするだろ? 人に痛い目を見せるのは好きだが、痛い目に合うのは嫌だからな」
ナウムはそう言うと、顔から笑みを消した。
「みなも、オレの部下になれ。そしてオレと共に、いずみを守ってくれ」
ここで姉の名前を出されるとは思わず、みなもは首を傾げる。
「姉さんを守るって……どういうことだ?」
「言葉通りさ。詳しいことは一緒にバルディグへ行った時に教えてやるよ。意地悪で言っているんじゃない。いずみの立場はかなり特別でな、身内であっても容易に教えられるものじゃねーんだ。悪く思わないでくれよ」
かなり特別な状態って、どういうことなんだ?
さらにみなもは尋ねようとしかけたが、揺らがないナウムの目を見て口を閉ざす。
これ以上は、どれだけ粘っても教えてくれる気がしない。
おそらく事情があることをちらつかせて、少しでもこちらの興味を引くことが狙いだろう。しかし、ナウムの言葉に偽りはなさそうだった。
姉が――守り葉として守るべき人がバルディグにいる。
容易に再会できない状況に身を置きながら。
これだけの事実で、自分の取るべき行動は決まっている。
決まっているのに、会いたいのに。
ここを離れたくない――。
みなもが答えに詰まっていると、ナウムが鼻で笑いながら、椅子の背もたれへ寄りかかった。
「この場ですぐに答えを出せっていうほど野暮じゃねーよ。少し考える時間をやる……まあオレも忙しい身だからな、明日の朝にバルディグへ発つ。それまでにここへ来なかったら、オレは二度とみなもの前には現れねぇからな。いずみと会うのは一生諦めてもらうぞ」
返事をする気になれず、みなもは無言で立ち上がり、部屋から出ようとする。
扉を開ける間際、背後から「いすみに悲しい思いをさせんなよ」とナウムが追い打ちをかけてくる。
悔しいが、認めるしかなかった。
この男はこちらの性格も考えも、よく理解している。たった三度しか会ったことがないのに、まるで昔からの知己のようだった。
ナウムの手の平で踊らされているという感覚が、全身へ麻酔がかかるように広がっていく。
それが体の上を這いずり回り、言いようのない不快感を与えてくる。
もしナウムについていくとすれば、ずっとこんな思いをするのかと、みなもは顔をしかめた。
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