第31話首飾りと共に

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「みなも、ほとんど食事に手をつけていないが……どこか具合が悪いのか?」


 向い合って食事をしている最中、急にレオニードから尋ねられ、みなもは我に返る。

 

「大丈夫だよ。ちょっと今日は疲れて、頭がボーッとするんだ」


 咄嗟に答えつつ目を弧にして笑ってから、目の前の食事を口に運んでいく。


 いつも通りの食卓なのに、食べていて味が分からない。

 それでも「このパン美味しいね」と言いながら、みなもは強引に料理を食べ切った。


 様子がおかしいと思っているのだろう。レオニードが難しい顔をしてこちらを見つめてくる。


「君は無理をしやすいからな。明日は休んだほうがいい」


「問題ない……って言いたいところだけど、少し甘えさせてもらおうかな。俺が潰れたら、他の人に心配かけちゃうしね」


 そう言うとみなもは椅子を引いて立ち上がり、空になった皿を手に取った。


「これを片付けたら今日はもう寝させてもらうよ。ここ最近、寝るのが遅かったし……」


 意味ありげにレオニードへ視線を流し、悪戯な笑みを浮かべる。

 こういう冗談には免疫がない彼らしく、ほんのり顔を赤くしながら咳払いした。


「悪かった。これからはもう少し自分を抑える」


「たまに休ませてもらえれば、今まで通りで構わないよ。好きな人が近くにいたら、触れたくなるのは俺も同じだから」


 話しながら台所の洗い場へ食器を置くと、みなもは椅子に座っていたレオニードに近づき、唇を重ねるだけの軽い口づけをした。


 わずかに顔を離して彼を見ると、穏やかな目でこちらを見つめていた。

 そしてみなもの頬を、そっと大きな手で触れる。


「……今、君に渡したい物があるんだ。少し後ろを向いて欲しい」


 何だろうと不思議に思いながら、みなもは言われた通りに後ろを向く。


 椅子から腰を上げる音がした後。

 チャリ……。

 硬い音と共に、首へ金属の冷たさが当たる。


 顎を引くと、視界の下で水色の透き通った美しい石が見えた。


「これは……首飾り? わざわざ俺のために買ってくれたの?」


 首飾りなんて、子供の頃に姉が作ってくれた花飾りしか知らない。

 こんなきれいな物、自分には縁のない物だとばかり思っていた。何だか気恥ずかしいけれど、素直に嬉しい。


 みなもが再びレオニードへ体を向けると、彼は微笑みながら頷いた。


「ああ。ヴェリシアでは生涯を共にする女性に、こうして男性が首飾りをつける風習があるんだ」


 そんな特別な物だったのかと、みなもは改めて首飾りの石を見る。

 見ていると吸い込まれそうな、濁りのない水が湧き出す湖を思わせてくれる石だ。

 

 ただ、初めて手にしたという感じがしない。不思議としっくりくる。

 みなもは小さく笑うと、レオニードを見上げた。


「この石、貴方の瞳と同じ色だからすごく好きだな。ありがとう」


「気に入ってくれてよかった。……その石は色によって意味が変わるんだ。緑なら優美、黄色なら無邪気といった具合に」


「じゃあ水色にはどんな意味があるの?」


 何気なく尋ねてみると、レオニードは少し間を空けてから口を開いた。


「水色は、誇りだ」


「誇り?」


「みなもは初めて会った時から、自分ができることを考え出そうとして、人に弱さを見せなかった。だから俺はずっと君のことを誇り高い人だと思っていたんだ。……こうして見ても、やっぱり君にはその色が似合う」


 思いもしなかったことを言われ、みなもは目を丸くする。


 この人の目には、そういう風に見えていたのか。

 今まで仲間を求めて生き続けた道のりは、ただ苦しくて寂しいだけの日々だと思っていたのに――この石が、こんな自分を認めてくれる。


 どんな愛の言葉を囁かれるよりも嬉しかった。


 水色の石を両手で握り締めながら、みなもはレオニードの胸へ寄りかかった。


「本当にありがとう。大切にするよ」


 レオニードには貰ってばかりだなと思った時、不意にみなもの脳裏へ浮かぶものがあった。


「ちょっと待ってて、俺も貴方に渡したい物があるから」


 パッと彼からみなもは身を離し、小走りに二階へと向かう。

 そして自分の荷袋から目的の物を取り出すと、すぐにレオニードの元へと戻った。


「前から渡そうと思っていたんだ。受け取ってくれるかな?」


 みなもは持ってきた物を、レオニードに差し出す。

 その手には、黒鞘に入った細身の短剣が握られていた。


「これは……?」


「俺が護身用に持っている、猛毒が仕込まれた短剣だよ。かすり傷だけでも人を殺せる。素手で刃を触るだけでも激痛が走るから、扱う時は慎重にね」


 こんな物騒な物、恋人に贈るような物ではない。

 レオニードもそう感じているのだろう、彼からはひしひしと戸惑いが伝わってくる。


 小さく笑うと、みなもは軽く肩をすくめた。


「レオニードはヴェリシアの兵士だから、このまま戦いが続けばいつかは戦場に行く。そうなれば俺はただ貴方の無事を祈りながら、待つことしかできない。だから――」


 みなもは眼差しを強め、レオニードの目を真っ直ぐに見つめた。


「……綺麗事は言わない。これを使ってでも生きて欲しい」


 自分の愛した人がこの世から唐突にいなくなるのは、もう耐えられない。

 もし戦場へ行ってしまうなら、絶対に生きてこの地に戻ってきて欲しい。


 こちらの思いを汲み取ってくれるように、レオニードは短剣を受け取った。


「分かった。戦場へ行く時が来たら、必ず生き抜いてみなもの元へ戻ってみせる」


 レオニードは空いた手をみなもの頬へ添わせ、顔を近づけた。


「約束する、君を一人にはしない」


 思わず表情が崩れそうになり、みなもは顔に力を入れて堪える。

 嬉しくて仕方が無いのに、今の自分にはその言葉が辛い。


 何も言えずにいると、レオニードから唇を重ねられる。

 

 ずっとこのまま時が止まってくれればいいのに。

 そんなあり得ないことを望みながら、みなもはレオニードの首に腕を回し、より深く口づけを交わす。


 と、急にレオニードが顔を上げ、頭を振った。


「どうしたの?」


「いや、少し目眩がして……」


「貴方もずっと休んでいないからね。先に上へ行っててよ。俺も後片付けが終わったらすぐに行くから」


 即座に返事をしようとしたレオニードの口は、わずかに開いただけで動きが止まる。

 眉間に皺を寄せて苦しげに唸ると、彼はみなもから離れた。


「……すまない、先に休ませてもらう」


「うん。無理して俺が来るまで起きていなくてもいいからね。しっかり休んで、明日には元気な顔を見せて欲しいな」


 みなもが精いっぱいの笑顔を浮かべると、レオニードも苦しげながらも微笑を返す。

 そして背中を向け、二階への階段を上った。






 後片付けを終えた後、みなもは二階の寝室へと足を踏み入れる。

 案の定レオニードは眠気に勝てず、ベッドで静かな寝息を立てていた。


 みなもはベッドに腰かけるとレオニードの頬を撫で、起きる気配はないことを確かめる。


 よく薬が効いているようだ。

 頬から手を離すと、ジッと彼の寝顔を見つめた。


(ごめん、レオニード。俺はバルデイグへ行くよ……姉さんと、仲間と会うために)


 家へ帰るまでの間、ずっと迷い続けていた。

 嫌な思いをしながらも姉に会いに行くのか、このままレオニードの元へ残るか。


 恐らくナウムのことだ、ただ姉と会わせるだけで済まないだろう。

 少しでも隙を見せれば、自分のものにしようと手を出してくるはず。そう思うだけで胸奥のむかつきが治まらない。


 あんなヤツを頼りたくない。

 けれど、早く今まで自分が追い求めていたものに決着を付けたかった。


 今の自分は、過去と未来の間で宙に浮いているようなものだ。

 新しい道へ行きたいのに、心が過去へ引っ張られる。温かな居場所へ留まりたいのに、罪悪感が募って、居たたまれない気持ちになってしまう。


 だからバルディグへ行こうと思った。

 もうここへは戻れないかもしれない。場合によっては命を落とすかもしれない。けれど、レオニードと共に生きていける可能性もわずかばかり残っている。

 そのささやかな可能性のために胸を張って彼の隣を歩けるよう、今まで歩いてきた道に一区切りつけたかった。


 みなもは立ち上がると、部屋の隅に置いていた荷物を持とうとする。

 腰を屈めた瞬間、水色の石がぶらりと垂れ下がった。


(レオニードと会えなくなっても、この石があれば耐えられそうだ)


 彼の瞳と同じ色の石。

 これを見るだけで、レオニードに見守られているような気がした。


(ここを離れても、俺の心は貴方と共に――)


 みなもは首飾りを服の下に潜り込ませると、荷物を持ち上げ、寝室を出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る