第29話広がり過ぎた噂

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 城の裏手にある広大な庭園は、まだ花こそ咲かないものの、手入れの行き届いた常緑の木々が植えられており、訪れる者の心を和ませてくれる。


 王侯貴族のみが立ち入ることを許された場所だったが、護衛という名目を与えられ、レオニードはマクシムとともに庭園へ足を踏み入れていた。

 かすかに吹く風は冷えていたが、日差しを遮る雲はなく、太陽の温もりが心地良い午後だった。


 前を歩いていたマクシムが、足を遅めてレオニードへ振り返る。


「すまないな、余の散歩に付き合わせて」


「いえ、陛下とご一緒できて光栄です」


 臣下の立場をわきまえて答えたのだが、マクシムはムッと唇を尖らせた。


「まったく……周りに人がおらぬ時ぐらいは、その堅苦しい態度は止めろ。お前は余の大切な幼なじみなのに」


 子供の頃、近衛兵だった父に城へ連れられ、王子だったマクシムの遊び相手をつとめていたことがあった。その時やけに気に入られて以来、成長して王位についた今も、幼い頃と変わらず友人であると言ってくれる。

 それがレオニードにとって嬉しくもある反面、態度に困ってしまう。


 戸惑いを隠せないレオニードを見て、マクシムが肩をすくめた。


「まあいい。今日はお前をからかうために呼び出した訳じゃないからな、これぐらいで勘弁してやる」


 微笑を浮かべておどけた空気を出した後、すぐにマクシムは真面目な顔つきへと変わる。


「フェリクス将軍の解毒剤を、みなもが作ってくれたそうだな」


「……はい。彼がいなければ、手遅れだったと思います」


「また同じ毒が使われれば、次もみなもに頼らなくてはいけないのか。……彼には助けられっぱなしだ」


 マクシムは腕を組むと一人で何度も頷き、レオニードを横目で見つめる。


「今みなもがいなくなれば、戦況が大きくヴェリシアの不利になることも考えられる。仲間を探している彼には悪いが、この地にいてもらわねば困る。それにバルディグの密偵がみなものことを知れば、暗殺に乗り出してくるかもしれぬ」


 言われてレオニードは目を細める。

 指摘されるまでもなく、みなもが解毒剤を作った時から心配していたことだ。


 治療できるはずのない毒を治してしまったのだ。恐らくはすでに調べ上げられているだろう。

 そして、みなもがバルディグに仲間がいることを確信したように、毒を作った人間にも伝わっているはず。


 暗殺も考えられるが、仲間に会いたいというみなもの焦りを利用して、この地から離れるように仕向けて捕らえてくることも考えられる。

 あの暗紅の瞳の男が、にやけ顔でみなもに手を伸ばす――そんな光景が脳裏に浮かび、レオニードの胸が重くなる。


 どちらにしても、みなもを奪われる訳にはいかない。

 レオニードは覚悟を改めると、軽く拳を握った。


「事情を伝えれば、みなもはこの地に残ってくれると思います。後は……私が命をかけて彼を守ります」


「うむ、頼んだぞ」


 重々しく頷いてから、マクシムはこちらの顔をまじまじと見つめてきた。


「ど、どうされましたか?」


「先日、侍女たちの話を聞いてしまったんだが――」


 ……なぜだろう。嫌な予感がする。

 レオニードが顔をしかめそうになるのをこらえていると、マクシムの目が好奇の色に光った。


「お前、みなもと恋人同士になったらしいな。本当なのか?」


 この人のところまで噂が広がったのか。……恨むぞ、浪司。


 浪司の悪びれもなく笑う顔を思い出し、激しく抗議をしたい気分でいっぱいだ。

 しかし今はどうマクシムに答えればいいか、考えることが先決だった。


 必死に頭を働かせるレオニードの肩を、ぽんとマクシムが叩いてきた。


「本っっっっ当に嘘のつけないヤツだな。侍女たちがただ騒いでいるだけだと思っていたが、まさか事実だったとは……ちょっと驚いたぞ」


「なっ!? い、いえ、そんな噂があったことに驚いただけで――」


「もしこれが事実じゃなかったら、お前は即座に否定している。答えに躊躇すること自体が不自然なんだよ。まさかお前みたいな真面目な堅物が、男と恋仲になるとは思わなかったがな」


 慌てて反論しかけて、レオニードは口を噤む。


 まだみなもは女性であることを隠したがっている。夜を共にした時、自分の弱さを人に見せたくないと言っていた。ようやく得られた彼女の信頼を、裏切る訳にはいかない。


 すごく、すごく不本意だったが、レオニードは「嘘をついて申し訳ありません」と謝罪した。

 素直に受け入れてみたが、それでもマクシムが首を傾げる。


「まだ何か隠しているような気はするが……当然だな、相手が相手だ。知られたくないことも多いだろう。安心しろ、これ以上は詮索せぬ」


 確かに隠していることはあるが、見当違いで助かった。

 わずかに安堵しながらも、いつか誤解が解ける日がくるのだろうかとレオニードは思う。


 もっと彼女が警戒を解いて、楽に生きられる日が来るといいんだ。

 ありのままの姿で自分の隣にいてもらえるなら、どんな苦労も誤解もいとわなかった。






 王の相手から解放され、すぐにレオニードはみなもを手伝いに作業の部屋へと向かう。

 中へ入ると、真っ先に中央の机で手元に集中しながら、薬を作るみなもの姿が目に入る。


 いつもならこちらが部屋に入ったことに気づかず、黙々と薬を作り続けているのだが、珍しく今日は手を止めて顔を上げた。


「お帰り、レオニード。待ってたよ」


 微笑みながら、みなもがこちらへ寄ってくる。

 自分の欲目を抜きにしても、気を許した彼女が見せる表情はあどけなく可愛い。


 思わず抱き締めたい衝動に駆られるが、さすがに城内では不謹慎だ。

 レオニードはどうにか己を抑えて、みなもと向かい合った。


 彼女はこちらを見上げると、少し困ったように眉根を寄せた。


「実はさ、今日はちょっと行きたいお店があるんだ。だから悪いけれど、今から俺だけ先に帰らせてもらえるかな?」


「早く帰るのは構わないが、俺も一緒について行こう。準備をするから、少し待っていてくれ」


「……ごめん、レオニード。俺一人で行かせて欲しいんだ。だって――」


 辺りを見渡し、浪司や他の人間がいないことを確かめてから、みなもは少し頬を赤らめながら小声で言った。


「欲しいのは女物の服と下着なんだ。せめてレオニードの家で過ごす時は、男の格好をやめてもいいかなって……。選ぶのに時間もかかりそうだし、貴方に見られながらっていうのも恥ずかしいから」


 みなもの照れが移ってしまい、レオニードも思わず動揺して目を逸らす。


「す、すまない、そこまで考えが至らなかった。だが……」


 いくらヴェリシアの城下内とはいえ、いつみなもが襲われるかも分からない状況。一人で行動させる訳にはいかない。


 しかし今まで服も下着も男物を使っていたみなもが、女物を買おうとしている。彼女が自分を作らずに生きられるようになるためにも必要なことだと思う。そんな機会を奪いたくはない。


 せめて近くまで一緒に行ければ、と思った瞬間、ふとレオニードの頭の中に閃くものがあった。


「実は俺も買いたい物があるんだ。だから途中まで一緒に行って、お互いの用事が終わったら待ち合わせないか?」


「それならいいけれど……珍しいね。いつも食材も日用品も、ゾーヤさんに買ってきてもらってるのに。何が欲しいの?」


「……悪いが、今はまだ言えない。品物が手に入ったら教える」


 みなもは首を傾げながら、不思議そうにこちらの顔を伺ってくる。

 しかし、すぐ表情を和らげて「楽しみにしてるよ」と笑ってくれた。

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