第19話もう元には戻らない

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 夕食を終えて一息ついてから、みなもはレオニードと連れ立って外へ出る。寒さはより一層強くなっており、鼻から息を吸う度に肺が凍えていく。

 ゾーヤの家から向かって左隣の家まで行くと、レオニードが「ここだ」と扉を開けてくれた。


 寒さから逃げるように、みなもは素早く中へと入っていく。ゾーヤの所よりは冷えているものの、すでに暖炉へ火を灯しただけあって、ほのかな温もりが出迎えてくれる。


 レオニードも中へ入って扉を閉めると、みなもの隣に並んだ。


「みなも……疲れているところ悪いが、寝る前に話があるんだ。こっちへ来てくれ」


 空腹が満たされて眠気はあったが、まだ耐えられる程度。みなもがコクリと頷いたのを見て、レオニードは奥の部屋へ行くよう目配せした。


 中へ進んでいくと、赤々とした火が踊る暖炉の前に木製の長椅子が置かれていた。

 みなもが暖炉と向い合って座ると、少し間を空けてレオニードが隣へ座る。


 しばし二人は言葉を交わさず、暖炉の火を見つめた。パチ、パチ、という薪の燃える音が耳に心地よい。


「話って……急に改まってどうしたの?」


 おもむろにみなもが尋ねると、レオニードは軽く息をついてから口を開いた。


「実はマクシム陛下に報告した際、みなもにバルディグの情報を教える約束をした事をお伝えしてきた。それは構わないと言って頂けたが……」


 言い渋るレオニードへ、みなもはわずかに顔を向ける。苦しげに目を細めてうつむく彼の横顔に、少しだけ胸が詰まった。

 次にどんな言葉が続くのだろうかと、みなもは不安を胸に押し込みながら答えを待つ。


「バルディグにいる密偵からの話では、毒の作り手はまだ分かっていないそうだ。君は一刻も早く知りたいと焦っていると思うが……すまない、しばらく情報は待って欲しい」


 どうやらこちらの願いに応えられなくて悪いと思っているらしい。

 それだけ真剣に考えてくれている事が伝わり、みなもは薄く微笑んだ。


「八年間ずっと探し続けて何も分からなかったんだ。教えてもらえるまで、ここで待たせてもらうよ」


 嫌味の一つでも言われると思っていたのか、レオニードの表情がフッと和らいだ。


「ありがとう、情報が掴めたら必ず伝える事を約束する。……もし他に望みがあれば言って欲しい。今度は俺が君の力になりたい」


「うん、思いついたら遠慮なく言わせてもらうよ。……そうだ、待っている間にお城の藥師さんたちのお手伝いをしても良いかな? 俺ができる事なんてたかが知れてると思うけれど――」


 一度目を大きく見開いた後、レオニードは体をこちらへ向けた。


「そう言ってくれると本当に助かる。街の藥師にも手伝ってもらっているが、薬も負傷兵の治療も追いついていないんだ。……みなもには迷惑かけてばかりだな」


 申し訳なさそうに眉根を寄せたレオニードへ、みなもは小首を振った。


「ヴェリシアを苦しめているのは、俺の仲間かもしれないんだ。久遠の花も守り葉も、誰かを助けたり、自分や仲間の身を守ったりする以外に力を使うなと……力を悪用して人を傷つけるなと教えられてきたのに……だから俺が手伝うのは、罪滅ぼしみたいなものだよ」


 みなもは静かに睫毛を伏せる

 レオニードから事情を説明された時から、ずっと引っかかっていた事だ。

 住処にしていた村を立つ前は、噂話でもいいから仲間の行方を知りたい気持ちが強かった。


 けれどヴェリシアへ近づくにつれて、後ろめたさが膨れ上がった。

 もしバルディグに仲間がいるなら、ヴェリシアの犠牲があってこその再会になる。

 

 仲間には会いたい。

 でもバルディグにいて欲しくない。


 ゆっくりとみなもの顔がうつむいていく。

 前からレオニードの動く気配を感じていると――。


 ――肩へ、彼の腕が回される。

 そして前へ引き寄せられた。


 一瞬、何をされたのか分からなかった。

 額がレオニードの胸に当たって、みなもは彼の抱擁に気づく。


「バルディグの毒は、みなもが作った訳じゃない。だから君が思い悩む必要はないんだ」


 額から低い声の響きが、レオニードの温もりが伝わってくる。

 不意を突かれて、思わずみなもの目に涙がにじむ。


 このまますべてを話す事ができたら、どれだけ楽になるんだろう。

 自分が女だという事も、久遠の花と守り葉の秘密も――。


 でも口にした途端に、一人で生きていけなくなりそうな気がする。

 誰かに寄りかかったら、そこから離れたくなくなってしまう。

 ただ自分が甘えたいだけに、レオニードの人生を縛る訳にはいかない。


 みなもは呼吸を整え、こぼれ落ちそうになっていた涙を指で拭う。

 

「ありがとう。そう言ってもらえると、少し気が楽になるよ」


 もう大丈夫だと、顔を上げて彼に伝えよう。

 そう思ってみなもは動こうとするが、体は動こうとしない。


 離れた直後に訪れる、温もりを失う瞬間が怖い。

 ようやく治まった心の揺れが、また酷くなりそうな気がした。


「……ごめん、もう少しこのままでいさせてくれるかな?」


 小さくかすれた声で、レオニードが「ああ」と了承してくれる。

 ほんのわずかに肩へ回された腕へ、力が加わった。


「あまり一人で抱え込んで、自分を追い詰めないでくれ。俺では役不足かもしれないが、みなもが少しでも幸せになれるよう力になりたい」


 純粋に心配しているのだと分かっていても、みなもの耳には甘い響きを伴って聞こえる。

 鼓動が早まり、胸が痛くなる。


 自分を受け止めてくれるかもしれない、という期待に心が浮かれそうになる。

 同時に、自分の幸せを考えるだけで、暗く重たい罪悪感が全身を駆け巡る。


 相反するものが、己の中でぶつかって火花を散らす。

 その度に今まで作り上げてきた自分が崩れていく。


 無言でみなもは頷きながら、少しずつ己が変わっていくのを感じ取っていた。


 まるで水に浮かべ続けた紙のように、ほろほろと溶けていく。

 もう元には戻らない。

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